第422回 「ロスト・イン・北京」の過激さと巧さ

ピングォ(ファン・ビンビン=左)は夫(トン・ダーウェイ)と仲良く暮らしていたが
人気と美しさにおいて現在の中国トップ女優とも言える范冰冰(ファン・ビンビン)が07年に体当たり演技で話題を呼んだのが「ロスト・イン・北京」(原題「苹果」)だ。女性の李玉(リー・ユー)監督の演出による激しいセックスシーンが中国公開時にはカットされ、その後は上映禁止にまでなった作品。しかし注意深く見ると、話題のシーンもさることながら、監督の巧さの方が際立って見える。

豊かな生活を送る社長(レオン・カーファイ=右)と妻(エレイン・チン)だが、夫婦仲に隙間風が吹いている
当時、中国在住の知人からもらった「苹果」のDVDにも濡れ場と分かるシーンはあったが、実にあっさりしたもの。これでは中国の観客は物足りないだろうと思いつつ、ノーカットの完全版をいつか見たいと思っていた。その願いは、同作品が今年の「中国映画の全貌2012」の上映作品の1本に選ばれたことで、意外に早くかなったのである。

ピングォは子を産むかどうか悩む
北京のマッサージ店で働くピングォ(ファン・ビンビン)は、同じ出稼ぎでビルの窓ふきをしている夫のアン・クン(トン・ダーウェイ)と貧しくとも仲睦まじく暮らしていた。
ある日、解雇された仲間を慰めるためピングォは深酒し、酔った勢いでマッサージ店の社長室に入り込み、寝入ってしまう。そこへ社長のリン・トン(レオン・カーファイ)が戻ってきてレイプする。それを窓の外の夫が偶然目撃し、激怒して部屋に暴れ込む。
これに社長夫人のリン・メイ(エレイン・チン)を加えた4人によるドタバタは、いくつかの偶然が重なる点に難はあるものの、テンポ良く展開し、監督の手際の良さを感じさせる。

「紅いコーリャン」で印象的な演技を見せたコン・リー
しかも浮気常習男の社長役にレオン・カーファイを配するところにキャスティングの巧さが光るのだ。「愛人 ラマン」(ジャン=ジャック・アノー 監督)でも見せたレオン・カーファイの裸の演技を思い出さないわけにはいかない。
そんな彼と相まみえ、一歩も引かない“艶技”を披露したのがファン・ビンビンだ。これ以上の深入りは避けるが、演技とは思えない細やかさと迫力ある動きをいくつも見せつけている。あるいはこれも監督の演出だったのか。
この時、ピングォが妊娠したことから物語は予期せぬ展開を見せる。一つは生まれて来る子がはたして誰の子かを調べる必要が出てきたこと。もう一つは慰謝料をどうするか。そして育児はだれがするのか。4人の思惑が次々に交差し、サスペンスさながらに緊張するかと思うと、自分の子と信じる社長が胎児に影響を与えるからと若い夫婦のセックスを禁じたり、アン・クンがわいろを使って医師に血液型の診断を書き直させたり、とドタバタはさらにグレードアップする。

「鉄西区」(ワン・ビン監督)も中国理解に欠かせない作品
その一方で、作品に深みを与えているのは、随所に織り込まれる変貌著しい北京の街並みの点描だ。万事金がすべてで、なりふり構わず疾走し続ける今の中国の気分を、映像によるナレーションとでも言うようにごく自然に描いていく。そしてお金のために我慢することの苦しさや、ほろ苦さを感じる登場人物たちは、お金では決して幸せにならないという教訓をかみしめるのである。
後半、社長は「もう誰も信じられない」と吐き捨てる。このセリフ、まるで中国の今そのものを言い当てているかのように聞こえるのは、うがちすぎであろうか。
貧富の差の拡大や、それにもかかわらず金持ちといえども心の平穏を保てずにいることなど、あまりにもリアルで、見ていて心に痛みを感じないではいられないが、それだけに終わらず作品が不思議なおかしみをも併せ持つのは、やはり監督のうまさであろう。
制作は5年前だが、間違いなく今の中国を理解する一つの作品と言えるだろう。ラストも何やら暗示的だ。
「ロスト・イン・北京」や今年のノーベル文学賞受賞の莫言の原作を映画化した「紅いコーリャン」(チャン・イーモウ監督)を含む「中国映画の全貌2012」は11月16日まで新宿K’s cinemaにて開催。ただし「ロスト・イン・北京」の残る上映日は11月16日午前10時40分からの1回のみ【紀平重成】
【関連リンク】
「中国映画の全貌2012」の公式サイト
http://www.ks-cinema.com/movie/chinesefilm2012/