第430回 「記憶が私を見る」ソン・ファン監督に聞く

「記憶が私を見る」の一場面(以下2を除いて、東京フィルメックス提供)
東京フィルメックスで来日した監督に直接インタビューするシリーズの第3弾は、中国のソン・ファン監督。Q&Aで横向きのシーンが多いのは意識的なものかと聞かれ、「シャイだから」と気恥ずかしそうに答えていたのとは対照的に、本人が語る撮影手法は、スタッフや出演者に意図を丹念に説明し、現場では臨機応変に対処するしなやかさを併せ持つなど、むしろタフなクリエイターという印象だった。
「ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン」でベビーシッターの中国人留学生役を演じた監督が、初長編作品の今回は自らの家族や知人たちが待ち受ける南京に帰省し、人々との会話の中で過去の記憶を呼び起こされていくという構成だ。監督を除けば、全員が演技初体験で、それぞれ本人役を演じたという。

インタビューに答えるソン・ファン監督(2012年11月30日、朝日ホールにて筆者写す)
会話がありふれた内容なのに生き生きとしていて印象的。どのように材料を集めたのでしょうか?
「この数年、年に1、2度帰省するたびに、家族や親せきたちと話した内容などを少しずつ集め、脚本に書いていきました」
どういうきっかけで映画にしようと思ったのですか?
「最初は映画とは関係ないことでした。母の先輩で私をよく可愛がってくれた人を母と一緒に見舞いに行きました。すると私の手を握って何か言いたそうでしたが、もう話はできませんでした。でも手を握られた瞬間、私の頭の中に映画の場面が浮かんだんです。両親の親しい人たちの中には人生の晩年に入って、明日の命もわからない人たちがいる。それはまさにひらめきでした。これは映画に撮っておかねばならないと」
映画を撮るという目的はすでにあったけれども、テーマがまだ決まっていなかったということでしょうか?
「具体的な構想はなかったわけです。でも親の世代の人たちの状況に知らず知らずのうちに影響を受けていたのでしょう。だから映画を撮りたいと思ったのだと思います」

南京の実家で母と語らうソン・ファン監督(右)
両親との仕事や健康をめぐる会話、兄嫁を通じて兄が勧める縁談、姪との宿題や年齢談義……。どれも自然で、しかも長い。どうやってセリフを覚えさせ、また演技指導を行ったのでしょうか。
「セリフを覚えてもらうということはしなかったんです。大体の話というのを作っておいて説明し、後は自分の言葉で話してもらいました。でもそれがうまくいかない時もある。その時は『もうワンテイク行きましょう』と繰り返す。またある部分は綿密なリハーサルをして、ワンシーンごとに撮っていく。私自身も演じてますので、自分は止まらずに話して、それに付いてきてもらうようにしました。姪の役は難しいのでかなりテイクを重ねましたが、何回も同じことをやらせるのは無理なんですね。それで少し方法を変えたり会話の内容も変えて。それでもカメラをついつい見てしまうので大変でした。最後は子供の雰囲気がうまく出せているテイクを選びました」

父(右)の血圧を測る母
老いや死を思い起こさせるシーンの後に監督の顔が映るたびに、監督と一緒に自身も自分の老いや老親のことを考えていることに気付く。それはまるで「人生と時間」とでも呼ぶような授業を受けている感覚。意図的に狙った構図なのだろうか。
「主観的な意図をもって撮ってはいないと思います。見た方に自発的に感じてもらえればいい。年老いていく人たちとの触れ合いを通して、その人たちに対する自分の思いを表現したかっただけです」
年に一度しか両親に会っていない人が、この作品を見てすぐに親のところに帰りたくなったと聞いています。
「そう思ってもらえれば良かったです(笑)」
製作は「我が道を語る」をプロデュースしたジャ・ジャンクー監督。このオムニバス映画の二つのパートをソン・ファン監督が担当している。

審査員特別賞受賞を喜ぶソン・ファン監督(左)
近年、フィクションとドキュメンタリーの垣根を積極的に乗り越えようとしているようにも見える師匠でさえも、ここまで家族の親密さを引き出しつつ映画としても成り立っている作品をまだ産みだしていないのではないか。ジャ・ジャンクー監督がどのように関わったのか気になるところだ。
「全体的な面でサポートしてもらいました。とくにポスト・プロダクションの際にいろいろ意見をもらったりと助けられました。また配給をどういう風にしたらいいかということも教えていただいています」
ロケに使われた南京の集合住宅はソン・ファン監督の実家。少し古いけれど、よく使いこまれていて洒落た感じだ。
「親が実際に住んでいるところですが、映画的に少し美術を入れました。私自身も思い入れがありますし、光線の具合とか、部屋の隅がどうなっているのかよく知っています。今回は慣れた場所で撮ることが重要でした」
中国映画というと乾燥した北部の窰洞(ヤオドン)と呼ぶ土の家や、山間の狭くて暗い家、あるいは大都市のいかにも贅を尽くした感じの家がアイコンのように描かれるケースが多いが、ごく普通の小ざっぱりした市民の家が登場するのは意外に少ないように思う。戦乱と政治闘争に明け暮れた中国が、ようやく得た平和な日々を楽しみ、成熟した都会生活を送っていることを伺わせる。
そんな落ち着いた生活も開発ラッシュで“記憶”となってしまうのだろうか。【紀平重成】
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「私のアジア映画ベストワン」を今年も募集します。その作品を選んだ理由も一緒にお寄せください。ペンネームも可。匿名希望はその旨をお書きください。2012年の公開なら海外で見た作品も対象です。また映画祭や特集イベントの作品も歓迎します。応募の締め切りは13年1月4日。あて先は、「12年私のアジア映画ベストワン」係(kihira-s@mainichi.co.jp)まで。
この1年、ご愛読ありがとうございました。皆さんが13年もすばらしい映画にご縁がありますように……。