第438回 「王になった男」の15日間

「王になった男」の一場面(C)2012 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved(以下同じ)
その昔、彼のことを「七色の目を持った男」と本コラムで紹介したことがある。どんな役柄でも迫真の演技でこなしてしまう凄みすら感じさせる芸達者。そんな彼だから、今作で暴君の名を欲しいままにした本物の王様と、芸人上がりで純真だがいささかとぼけた王の影武者を演じ分けることなど苦もなくできるだろうと思っていたが、期待以上の演技にしびれてしまった。演技にとことん貪欲な男。イ・ビョンホンとはそういう男である。

本物の王(右)は自分そっくりのハソン(左)に驚く(イ・ビョンホンの2役)
韓国の宮廷エンターテインメントはテレビドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」や「イ・サン」などを通じて日本のファンの間ではすっかり定着し改めて驚くことはないが、実在の朝鮮王朝第15代の王・光海をめぐる史実とフィクションを取り混ぜた物語は、映画ならではのスケールの大きさも加わって興味深い。とりわけ暴君の影武者としてたった15日間だけ王になりすまし、民のために生きた男がいたとすれば……。

王の忠臣ホ・ギュン(リュ・スンリョン=左)は影武者のハソンに王としての教育を施していくが
1600年代の初頭、15代王の光海(イ・ビョンホン)は謀反におびえ次第に暴君と化していた。さらに毒殺を恐れるあまり、数少ない忠臣ホ・ギュン(リュ・スンリョン)に自分の替え玉を捜せと命じる。影武者として白羽の矢が当たったのが、料亭で酔客相手に腐敗した権力を風刺する漫談をしていた道化師ハソン(イ・ビョンホンの2役)。王とうり二つの顔立ちに加え、ものまねまでそっくりだった。
おどおどしながらの王との謁見後、しばらくして、その王が病に倒れ昏睡状態に。政変を恐れ忠臣ホ・ギュンはハソンに王の代役を命じる。話し方や歩き方から食事の約束事まで身に着けていく中で、ハソンは腐敗した政治の現実を目の当たりにする。15歳の毒味役の女官サウォル(シム・ウンギョン)の身の上話にははらはらと涙を流して同情し、非情な政治に怒りを募らせるのだ。

ハソンは美しい王妃(ハン・ヒョジュ=右)に興味を抱き、思いがけぬ行動に出る
とうとうハソンはただの影武者ではなく自身の思いを伝えるようになる。そして心から本物の王になりたいと願うのだ。変わり始めた王に疑惑の目を向ける宮中。奇跡的に病から復活した本物の王。さらに妻ならではの目で王に疑念を抱く美しい王妃(ハン・ヒョジュ)。それぞれの思惑が複雑に絡み合い、事態はクライマックスへ。
イ・ビョンホンには02年に「純愛中毒」(パク・ヨンフン監督)という作品がある。偶然にも兄弟そろって交通事故にあい、1年の昏睡後、奇跡的に意識を取り戻した弟に兄の魂が宿っていたという話だ。兄嫁に恋する弟の切ない思いと、兄の魂が憑依したという設定で二つの人格を演じ分けるイ・ビョンホンの神がかりの演技が印象深い。
設定は異なるが、イ・ビョンホンは昔から二つの人格を演じ分けることなど朝飯前だったということがよくわかる。その演じ分けをつぶさに分析してみれば、一見矛盾しているように見えるものの、片やクールであり、また情熱的であるとも言えるだろう。それは自身の感情をコントロールできる男にして初めて可能な演技と言えないだろうか。

豪華な衣装も話題の一つ
これも昔の話で恐縮だが、イ・ビョンホンが新作のプロモーションで来日した際に、筆者は大きなホテルの記者会見場で彼が座る演壇の真ん前に着席したことがある。距離にして約3メートル。会見が始まる直前、一瞬のことだが私に向って小さくウインクした……かに見えた。そう思ってドキッとしていると、よくよく視線を追えば私の隣に座る若い女性に向かってと合点した。ホッとすると同時に、緊張の中にもチャーミングな面を忘れない彼に好意を抱いたことはもちろんである。
演技熱心でクールなイメージの強かった彼が、実際にはチャーミングで周囲に気を遣う気さくな人でもあると見直したのである。
そんな彼が、道化師のハソンから民のことを気遣う本物の王に変身していく様子と、身の危険が迫る最後の演説シーンで、民の幸福を第一に置くことの大切さを説く名場面は、心地よいバリトンの声と重なって、まさに名君の降臨を垣間見ているかのような気にさせた。
短いフレーズであおるような政治家の物言いとは程遠い真に心のこもった演説場面
。どうぞお楽しみあれ。
「王になった男」は2月16日より新宿バルト9、丸の内ルーブルほか全国公開【紀平重成】
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「王になった男」の公式ページ
http://becameking.jp/