第461回 「日本の悲劇」
ほぼモノクロームの映像。なのに色彩感覚にあふれる。登場人物わずか4人。それなのに、多彩な演技を堪能できる。さらにストーリーは余命3カ月と言われた初老の男が自死を図ろうとするシンプルな内容なのに、年金の不正受給やはかどらない東日本大震災の後始末、リストラとうつ病など現代日本社会が抱える問題をあぶり出す。噛みごたえのない作品とは一線を画す小林政広監督の最新作は、無骨なまでに問題を掘り下げて行くこれまでの路線をさらに深化させている。
2011年10月、東京の下町にある木造平屋の古い建物に、息子の義男(北村一輝)に抱えられるように不二男(仲代達矢)が帰宅する。その年の3月11日、東日本大震災当日に肺がんで入院した不二男は、一度の手術を経て、2度目の手術を告げられ、自らの意思で退院したのだ。その日は妻良子(大森暁美)の命日だった。
残り少ない命を悟った不二男は、自室のドアや窓にクギを打ちつけ、食事も水もとることをやめると宣言し、遺影と向き合う。そんな父親の行動に義男は驚き、中止するよう説得するが、不二男は朝のあいさつ以外は声をかけるなと厳命する。息子はリストラされてからうつ病となり、妻のとも子(寺島しのぶ)と娘に去られて失業中。生活を立て直す意欲もなく、父親の年金を頼りに暮らしていた。忍び寄る家族の崩壊を前に、部屋を封鎖した父親の本当の想いとは……。
うっかりしていたが、映像がほとんどモノクロームだったことに、作品を見ていて途中まで気付かなかった。それは緊迫したシーンの連続で展開に目を奪われていたということもある。またカメラは長回しなのにアングルを随時変えることで画面に奥行きとリズムが生まれ、見た目以上にビジュアルに感じた。
後半、主人公の不二男の脳裏に過去の情景が浮かんでは消えていくシーン。息子夫婦の間に生まれた赤ん坊を家族4人で囲む幸せな日が色鮮やかなカラーで浮かび上がると、それはさすがに気付いたが、カラーへの切り替えによって、バラ色に輝く愛おしい日々が失われたことをこれ以上如実に語る方法もないだろう。
ミイラになるまで自分の死を公表するなと宣言する不二男の行動は一見狂気じみている。しかし不二男は本当におかしいのだろうか。目を転じれば、本来は復興のために使われるべき予算が復興とは無関係の他の事業に回される不思議。あるいは年金の不正自給、さらに原発事故で後始末の見通しすら立たない重い現実があるのに再稼働を求める感覚。共通するのは目先のお金にとらわれるばかりで、将来を見据えた思考ができないことだろう。
そんな不二男が息子に教え諭し決断を迫るかのような行動は、むしろ真っ当にすら見えてくる。
その父子の扉越しの攻防戦は、愛憎のぶつかり合いで熾烈を極める。泣き叫ぶかと思うと次には怒鳴り散らす義男。それを不二男は完全無視かと思うと、遺影を前に正座し、かかって来た電話に出ない息子の気配が気になり、あるいは妻良子が病死した際の電話を思いだす表情は哀感が漂う。
脚本に惚れて出演を決意したという仲代達矢の背中で語る演技力は、これぞ演技のお手本と叫びたくなるほどに素晴らしい。コップになみなみと注いだ日本酒を一気に飲み干し、そのうまさの感動を右手に掲げた空のコップで表す演技。食卓で、待ちかねた赤ん坊の孫を前にして、孫を連れて来るのが遅かったことも「いいのいいの」と言って喜びを表す後ろ姿。
そうかと思うと、不二男が自身の脳裏を駆け巡る過去の光景に重ねて表情を変えていく大写しの顔は、「2001年宇宙の旅」のボーマン船長の驚愕の表情を思い起こさせる。背中も魅せるが、顔のアップも千変万化の味わいがある。必見であろう。
出番は少ないが寺島しのぶの演技も光るものがあった。
「日本の悲劇」は8月31日よりユーロスペース、新宿武蔵野館ほか全国順次公開【紀平重成】
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「日本の悲劇」の公式サイト
http://www.u-picc.com/nippon-no-higeki/