第464回 「大英雄」

「大英雄」の一場面。レスリー・チャン(手前中央)やジャッキー・チュン(同右)の表情は他の作品ではなかなか見ることができない(C)1993, 2007 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved. (以下同じ)
ほぼ同じスタッフ、キャストで撮影しながら、それこそ天と地ほども違う作品になったのが、1993年制作の「大英雄」と94年の「楽園の瑕」である。香港映画ファンにはよく知られている話だが、先ごろ東京と大阪の2館で「ウォン・カーウァイ監督スペシャル」としてこの2作品(「楽園の瑕」は08年の終極版)も上映されたので、思いを新たにされた方も多いだろう。

ターバンを巻いた珍しい衣装を身に着けたトニー・レオン
この2作品誕生にはいきさつがある。もうご存知の方も多いので簡単に紹介すると、原因はウォン・カーウァイ監督の徹底的な作品作りへのこだわりである。人気も実力も兼ね備えた当時の10大スターを勢ぞろいさせた「楽園の瑕」は、そのこだわりのために撮影が遅々として進まない状況に陥った。スタッフやキャストをいつまでも遊ばせておくわけにはいかないので、公開に穴を空けないよう同じメンバーでもう1本作ったのが「大英雄」だ。ただし監督にはプロデューサーのジェフ・ラウがあたり、ウォン・カーウァイ監督は製作総指揮に回った。

リラックスムード満点の左からジャッキー・チュン、ジョイ・ウォン、マギー・チャン
皮肉なことに、わずか8日間の急ごしらえとなった同作品は香港で大ヒットし、逆に手間暇かけた「楽園の瑕」は豪華メンバーに見合う成績を上げられず、興行的には失敗作とされている。
今回、日本初上映された「楽園の瑕 終極版」の見ごたえについては、毎日新聞の愛読者サイト「まいまいクラブ」に連載中の筆者コラム「キネマ随想」に詳しく紹介しているので、そちらに譲ろう。本コラムでは同じスターたちの脱力ぶりが話題になったコメディ映画「大英雄」の魅力に迫りたい。何しろレスリー・チャン、トニー・レオン、レオン・カーファイ、ジャッキー・チュン、ケニー・ビーの男優陣と、ブリジット・リン、ジョイ・ウォン、マギー・チャン、カリーナ・ラウ、ヴェロニカ・イップの女優陣とくれば、たとえ駄作だったとしても見に行きたくはならないか。そして筆者は、その場しのぎの作品としては面白い、いや、ヒットするだけの要素が詰まっていると見た。

ジョイ・ウォン(左)と今は亡きレスリー・チャン
ドタバタコメディなのでストーリーはかなり破天荒。金輪国の王妃(ヴェロニカ・イップ)は西毒(トニー・レオン)の助けを得て国の乗っ取りをたくらむが、鍵を握る第三王女(ブリジット・リン)は旅に出ていた。多くの武闘家が続々と後を追い、ワイヤー・アクションを駆使した熾烈で漫画チックな戦いが繰り広げられる。
ほぼ同じメンバーの制作で、なぜ興行成績に違いが出たのか。その謎は2作品を続けて見ることで明かされると思う。
今回、筆者は先に「楽園の瑕 終極版」を見て、次に「大英雄」を見た。「楽園の瑕 終極版」では、剣豪や女たちが1人の人間として愛や人生に悩む姿が描かれ、自己抑制的な空気が支配していたが、「大英雄」では愛は常にストレートに訴えるものとして描かれ、いい意味で実に軽いのだ。前者が役になりきっての演技とすれば、後者は役を遊ぶ感覚と言ったらいいだろうか。

ブリジット・リン(左)の復活を求める声もあるが……
後者は演技の手抜きと見たら誤解である。いつ来るともしれない出番の号令に待ちくたびれた俳優たちが、ようやく演技する場を得て、喜び勇んで演技を楽しんでいる図と見た方が良くはないか。
事情はカメラや美術、音楽等のスタッフすべて同じで、いま制作できることに喜びを感じながらのものだったに違いない。つまり現場に“いい気”が流れていたのだろう。豪華俳優陣に加え、メンバーの気持ちが一つになっていたという要素もプラスに働いた。興行的成功は約束されていたも同然だったのだ。
たとえば、仙人になるために運命の恋人を探す南帝を演じたレオン・カーファイは、「楽園の瑕」とは大違いの弾けた演技を次々に披露。洪七公役のジャッキー・チュンもノリノリの演技だった。レスリー・チャンやトニー・レオンも同様である。
俳優によってはあまり変化のない人もいたが、逆に2作における俳優同士の変わり様を見比べるという楽しみもある。
同じ俳優がこんなにも違う演技をするのか、あるいは別の魅力を見逃していたのかと知る事が出来るだけでも、2作品を見比べることはお勧めだ。
ただし見る順番を決して間違えてはいけない。先に「大英雄」を見てしまうと、後から「楽園の瑕」を見た時にトニーのソーセージのように腫れ上がった唇を思い出してしまい、笑いをかみ殺しながら作品に集中するのは至難の技であろう。あるいはレオン・カーファイの艶っぽい演技も他の作品ではまず見ることのできないお宝ものである。

発売中のDVD「大英雄」のジャケット写真
推測だが、香港での公開の順番はやむを得なかったとはいえ、「楽園の瑕」の興行成績に少なからず影響したと思う。
最後になったが、武術指導に当たったサモ・ハン・キンポー(当時)の教えが良かったのだろう。短期間の撮影にも関わらず、ワイヤーアクションを結構楽しめた。そう、この作品は評論ではなく楽しむためのものだった。
シネマート六本木、同心斎橋でのウォン・カーウァイ監督スペシャル上映は終了。8月7日からDVD&ブルーレイ発売中【紀平重成】
【関連リンク】
「ウォン・カーウァイ監督スペシャル」の公式サイト
http://www.cinemart.co.jp/theater/special/wong-kar-wai/
「楽園の瑕 終極版」を紹介している毎日新聞愛読者サイト「まいまいクラブ」の連載コラム「キネマ随想」のサイト
https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/kinemazuiso81/
以前見た北京語版にあったシーンが丸々カットされていてちょっと残念でした。
ヴェロニカ・イップとマギー・チャンのムカデを飲ませあうシーンだったのですが、これはその部分の広東語音声が無かったからカットされてしまったのでしょうか?
それにしても、やっと本人たちの広東語でこの映画を見られて幸せでした。