第489回 「チスル」
人は物事を善悪で判断したり好き嫌いで決めたりしがちだ。私もそうである。しかし、“寄り添う”、あるいは“歩み寄る”という視点があれば、見えてくるものが随分違ってくる。韓国の済州島で1948年に起きた島民3万人の虐殺事件をモチーフに描いた「チスル」はまさにそんな眼差しを持つ監督による奇跡のような作品と言えるだろう。
残念ながら日程が合わず、来日したオ・ミヨル監督へのインタビューは叶わなかった。その会場に居合わせた人の話によると監督は誠実な方という。作品を見て抱いた「人間は愚かだが、監督は一面的にはとらえずに見ていく人」というイメージと何となく重なるではないか。
韓国では北朝鮮との軍事的対立で戒厳令をはじめ国民への締め付け政策が長く続いたことから「済州島4・3事件」を語ることは長い間タブーで、今もって事件の正確な姿を再現することは難しい。48年4月3日、軍事境界線の南側だけの単独選挙に反対する一部の済州島民たちが武装蜂起。これに対し韓国軍と警察は海岸線から5キロより内陸にいる人間を暴徒とみなし無差別に殺し始めた。混乱する中、その後7年間に拷問による犠牲者も含め死者は3万人に及び、日本にまで逃げた人も多かったという。
済州島で生まれ育った監督は沈黙を強いられてきたお年寄りから聞き取りをし、島民が実際に逃げ込んだ洞窟も使って撮影をした。
島自体が“完成された役者”と考える監督による映像はモノクロながら圧倒的に美しい。詩的な映像も多々はさまれる。来日した監督の話によると、カラーで撮らなかったのは済州島の美しさに目が行ってしまうからとのことだが、雪の風景をはじめモノクロだからこその美しさも存分に楽しめる。
その一方、正直に言えば事実関係をつかみにくい実験的映像の連続に戸惑ったことも事実。その点も監督は「事件の詳細については、ドキュメンタリーや本などが伝えるべきもの」と答え、映像は別物ととらえる。
監督の並々ならぬ才能を感じるのは、ある意味不確かな史実に頼るのではなく、島民の眼差しを基本に据えたこと。なぜ殺されるのか分からない状況の中で被害者は恐怖に駆られるのではなく、むしろ穏やかに応対する。事件そのものは悲惨なはずなのに。
その点を監督は「(俳優たちに)同じ恐怖を体験させるのはとても残酷だと思いました。再現映画ではなく、当時なくなった名も無き霊魂を慰め、残された者によってその傷を癒やすことができればという気持ちでスタートさせた映画」(韓国の「シネ21」「NAVER映画」の記者インタビューより抜粋のプレス資料)
だからこそ、悲惨な場面も用意されながら、見ての印象はむしろ滑稽に感じることもあり、加害者と被害者双方が繰り広げる愚かな人間劇という風にも見ることができる。仲間を裏切り、大変な時に夫婦げんかをし、ある時は雪が降る中丸裸で立たせる命令を出す。そして加害者である傷を負った兵士にジャガイモを差し出す島民たち。イデオロギーだけでは見ない監督の鋭い人間観察がうかがえる。
この作品はヤン・イクチュン監督の「息もできない」が作ったインディペンデント映画動員記録を更新。また海外の映画祭でも受賞を重ね、結果的に世界的な事件としての掘り起こしにも成功した。
気になる人もいると思うので「チスル」について紹介すると、済州島の方言でジャガイモを意味する。兵士に殺された老女が大事にしていたジャガイモは、迎えに来た息子が泣きながら焼け跡から拾い出し、洞窟で仲間に分け与える。そして兵士にも。愚かしいだけではない人間の素晴らしさをも見せるイモなのである。
「チスル」は3月29日よりユーロスペースほか全国順次公開【紀平重成】
【関連リンク】
「チスル」の公式サイト
http://www.u-picc.com/Jiseul/