第490回 「KANO」
それまで野球の試合に一度も勝ったことのない台湾の無名校が台湾代表を勝ち取り、甲子園でも決勝まで勝ち進んで準優勝するという奇跡のようなドラマが戦前、実際にあった。この史実をもとに映画化した「KANO」はスポ根青春物語としてもよくできているが、日本人、台湾人(漢族)、先住民からなる混成チームの活躍を描く内容は日台友好に留まらず、多民族共生の醍醐味をも実証するエピソードとして語り継がれるべきだろう。
映画のタイトル「KANO」は台湾が日本統治下にあった1931年、夏の甲子園、全国中等学校優勝野球大会(全国高校野球選手権大会の前身)に台湾代表として初出場ながら準優勝した嘉義農林学校(現在の嘉義大学)の通称・嘉農から採られている。
当時、台湾では野球は持ち込んだ日本人がやるものと考えられていた。実際、台湾代表は日本人の多い北部台北の学校が独占していた。そこに登場したのが永瀬正敏演じる近藤兵太郎監督である。松山商業の監督経験もある近藤が猛特訓と「決してあきらめない」という精神をたたき込むことによって台湾南部の弱小チームを常勝軍団に鍛え上げた。
とはいえチームに日本人だけでなく台湾人や先住民が混じっていることを揶揄する日本人もいたという。映画でもそんなシーンが一度ならず出てくる。そんなとき、近藤監督は「日本人は守備がいい。漢族は打撃力がある。先住民は足が速い。こんな理想的なチームはない」と言い返すのである。
その言葉通り、台湾代表を決める島内の試合を勝ち進み、その余勢をかって甲子園でも勝ち上がっていくと、最初は全く注目されなかった嘉農は次第にファンを増やし決勝でも相手の中京商業に負けない応援を得ることになる。
その辺りを作家の菊池寛は大阪朝日新聞に寄せた甲子園印象記で次のように紹介している。「僕は嘉義農林が神奈川商工と戦った時から嘉義びいきになった。内地人(日本人)、本島人(漢族)、高砂族(先住民族)という変わった人種が同じ目的のため共同し努力しておるという事が何となく涙ぐましい感じを起こさせる。実際甲子園に来て見るとファンの大部分は嘉義びいきだ」
サッカーの試合で心ないファンの狭い了見がヒンシュクを買ったのとは対象的に、発想の広がりと柔軟性、対立より融和を求める優しさと強さをその文章から汲み取ることが出来るだろう。それは菊池寛だけでなく、近藤監督にも、また嘉農が大健闘した史実を埋もれさせまいと映画化に乗り出した魏徳聖(ウェイ・ダーション)プロデューサーや馬志翔(マー・ジーシャン)監督にも当てはまる同じ思いだったろう。
ただ、個人的には作品の印象として日本による台湾統治を少し美化していないかと懸念するのである。当時の日本人の漢族や原住民に対する差別感はもっと強かったのではないか。事実「セデック・バレ」(ウェイ・ダーション監督)では差別意識丸出しの軍人や警官が出てくる。今回もその敵役を演じたのが野球の取材を続ける新聞記者だ。記者会見場やスタンドの記者席で散々差別的発言を繰り返しながら、最後は反省し実力を認めて活躍を讃える姿はセデック・バレの軍人の姿と一部重なる。
東日本大震災の際の義援金が一人当たりに換算すると世界でも飛び抜けて多く計200億円を超えているから親日的というのではなく、いい面も悪い面も含め50年間も支配されたという事実を乗り越えての台湾の人々の優しい思いに感謝すべきではないか。
野球をよく知るスタッフを揃えたのだろう。プレイに違和感がないどころかスピーディーでスリリングな併殺シーンや投手のくせから次の球種を読むという野球ならではの頭脳戦が展開され、野球ファンにも十分堪能してもらえる内容だ。
映画は2月末から台湾で公開され記録的なヒットを続けているという。日本でも先日大阪アジアン映画祭のオープニング作品として上映された。映画の企画が持ち上がった時から楽しみにしていた作品だけに、もちろん筆者も駆けつけた。
上映後はスタンディングオベーションで拍手が鳴りやまない。出演した永瀬正敏をはじめ、選手役のイケメンたちがずらりと並んでのハイタッチの人垣が出現。筆者は年相応に一人一人と握手を交わし、映画への感動と感謝の気持ちを伝えて行った。野球同様若者たちが一つの目的に向かって全力をあげる姿は美しい。
間もなく甲子園球場でセンバツ(選抜高校野球大会)が始まる。今年は間に合わないが、来年以降センバツの精神にのっとり、台湾チームを招待するという企画は果たして夢物語であろうか? 来年は嘉農が初めて春のセンバツに出場して80年という節目の年だ。「KANO」の日本公開も来年になると聞いている【紀平重成】
【関連リンク】
「大阪アジアン映画祭」の公式サイト
http://www.oaff.jp/2014/ja/index.html
当時の日本が、台湾びいきになれる環境であったという菊池寛の文章を残すべきだ
白人列強諸国が、世界を達観してから、有色人種を賞賛するような文物は、日露戦争以前は、ほぼ無い
白人覇権は、植民地政策でアフリカの黒人を奴隷化し、オーストラリアやアメリカの原住民は少数派になるぐらい殺戮
インド、インドシナ人からは、搾取し続け、中国を植民地化し始めた頃、日本が勃興した。
ロシアが白人社会を圧倒しはじめていた時代だからこそ、キリスト教にとっては、
奴隷となるべき有色民族がロシアに勝ったとビックリしたのだ
今の中国は、人口と多さと、日本が高めた技術を盗んで、経済力を高めただけの、ただの成金
イスラム系は、戦闘や命に対して臆病ではないが、非人道的で、仁で統率しない。
武力や恐怖で統率し、学問が無いため、常に内部権力闘争が繰り広げられる。
空軍や大量の戦車の前では歯が立たない武力で、国をまとめ上げる為には、何が必要なのだろうか
日本が世界に対して無力な今、有色人種が覇権を争える次代は、まだまだ遠いようだ。