第491回 「カンチョリ オカンがくれた明日」
港町の釜山が舞台でヤクザも出て来る映画と聞けば、作品を見る前から名作「チング 友へ」を思い浮かべる人がいるかもしれない。事実、ヤクザ同士の抗争シーンもあるし、海が見える光景も出て来る。しかも難病の母親の手術費を工面するために苦悩する主人公と、その彼が心を寄せる美しい女性との恋愛もからむとなれば、どこか既視感にとらわれても仕方がないだろう。だが、アン・グォンテ監督は、それだけで終わらないよう、ある仕掛けを施していた。
外見はぶっきら棒だが優しい心を持つカンチョリ(ユ・アイン)は、重い内臓疾患と認知症を患う母親スニ(キム・ヘスク)の世話をしながら港で黙々と働いていた。息子を亡くなった夫と思い「あなた」と呼んだり、徘徊して煙突に登ったりという母親に振り回さっぱなしだが、カンチョリの願いは、時に可愛い仕草を見せるそんなスニと少しでも長く暮らすことだった。
しかし手術費は高額でカンチョリ一人の手には負えない。ある日、カメラを担いでソウルから遊びに来たスジ(チョン・ユミ)と出会ったカンチョリは、彼女の素直な物言いに惹かれ、彼女も母親思いの彼に好意を抱く。笑顔を取り戻し、前向きに生きようとする彼の前に母の容体悪化と、その手術費工面のために相談した男からの難題が立ちふさがる。男は裏社会で生きる幼なじみの紹介で会った組織のドンだった。
この作品にリアリティーを与えているのは母親の認知症の描かれ方だ。認知症になったら全くの廃人で家族は悲惨な思いをしなければいけないという誤った考え方にはとらわれず、認知症になっても重度にならなければ理解力や感情など多くの面は正常に機能しているという前提で描かれている。
だから警察のロビーでおもらしをしてしまった母を気遣ってわざとゴミ箱を蹴飛ばし、散らかったゴミを拾い集める風を装って床を拭く息子に母親は「やめなさい、汚いから」と声を掛ける。認知症だから完全にダメなのではなく、正気に戻ったり最初から分かっている部分が多いという描き方なのである。そして心優しい息子にこう言うのだ。「お前には必ず恩返しするから」と。
次のようなシーンも印象的だ。いつになくきびきびした動きでキッチンに立つ母親。海苔巻のお弁当を用意しながら息子にひとつつまんで食べさせる。微笑ましい光景。いつもと作り手が交替している。しかし、その次のセリフはあまりにも切ない。
作品は認知症の人を世話する家族の大変さだけでなく、だからこそ見えてくる幸せ感についても公平に光を当てているところがリアルでいい。
「まだらぼけ」とよく言われるが、認知症が一気に進行することはなく、正気に戻ったり、また不安定になったりと行きつ戻りつするのが実際である。そんな難しい演技をこなすことができたのは、やはり名優のキム・ヘスクだからであろう。テレビドラマ「冬のソナタ」でユジン(チェ・ジウ)の母親を演じたかと思えば、映画「10人の泥棒たち」ではサイモン・ヤムと日本人夫婦に化けるという“怪演”を披露し、芸達者ぶりは周知のことだが、今作でのチャーミングな演技と、認知症の症状が出たり正常にもどったりという変化を実に自然に表現して、さすがと思わせてくれた。
ユ・アインやチョン・ユミらの演技もいいが、この作品を成り立たせているのは、認知症を正確に描き、その演技をキム・ヘスクに託したという点にあると言えるだろう。
監督のリアルさへのこだわりは、釜山のロケ地選びにも表れている。ヘウンデの海岸など有名観光地も出ては来るが、街中の煙突や製氷工場など意表を突く新しい場所を登場させている。
またヤクザの抗争で展開されるアクションも派手さはない代わりに本当に殴っているのでないかと思うほどに熾烈である。演技でけがをする人が多かったと聞いている。
「カンチョリ オカンがくれた明日」は5月17日よりシネマート新宿、シネマート心斎橋ほか全国順次公開【紀平重成】
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「カンチョリ オカンがくれた明日」の公式サイト
http://kangchul-movie.com/