第497回 「『収容病棟』の王兵(ワン・ビン)監督に聞く」
そこにカメラは確かにあるのに、まるで空気のように消えていく。いわゆる“ワン・ビンの距離”から生まれる奇跡の映像の舞台裏を知りたくて、2月の大雪の日に来日した監督に聞いた。本コラムの488回でも監督のトークイベントの様子を紹介しているが、慎み深いカメラの動きさながらの誠実で抑制された受け答えを堪能いただきたい。
昨年のベネチア国際映画祭でワールドプレミアされた本作が撮影されるきっかけとなったのは、2002年の秋、「鉄西区」の編集中に北京郊外の精神病棟の前を通りかかったことから。「人の姿は全く見えず、何か不思議な感覚に取りつかれ、映画を撮りたいと思いました」。しかし、何年待っても撮影許可は下りず、そのことを雲南省で知り合った精神病棟勤務の医師に話すと、その人が勤務先の許可を取ってくれたという。
同じ中国なのに「北京と雲南省は許可一つとっても雰囲気がかなり違いました。『三姉妹~雲南の子』の編集が終わった後、13年の冬から春にかけて3カ月撮りました。撮影に関しては全く邪魔されるようなことはなく、スムーズに撮影が進みました」
その撮影、違和感を持たれることなく収容者にカメラを向けることは本当に可能だったのだろうか。
「確かに最初はそういうのはありました。なかなか慣れないんです。外の者が彼らの生活している病院に入っていくわけですから不思議に思われて取り囲まれたこともあります。誰かにカメラを向けると、どっと人が寄ってくるわけです。冗談を言ったりいろいろなことがありました。初日と2日目はそうでしたが、4日目ぐらいになると各自いつもの状態に戻って行くわけです。基本的に患者さんたちとはうまく交流ができました」
撮影は300時間に及び、それを4時間弱に編集した。大変な作業である。
そんな貴重な映像の中に「ここに長くいると精神病になる」とつぶやく人がいて、ハッとさせられる。あまりにも本当のことを言っているようで、彼は正常な人なのではないかと思うのだ。
「ここに入院している人たちの背景は様々で複雑です。たとえば特に精神病を患っていないのに、地元の人たちとうまく行かなくて送り込まれたり、司法の刑罰を逃れるために自ら病院に逃げ込んできた人もいます」
では彼も病気ではないのに何らかの事情で入った人なのか。
「彼とは一度話したことがありますが、背景までは分かりません」
どのぐらい観察すれば人となりが分かって来るものなのだろうか。
「撮りはじめて半月ぐらいはなかなか内面を見ることは難しい。でもその後は徐々に彼らの心の中に近づいて行くことができるような気がしてきました。たとえばひたすら周り廊下を走る真っ赤な服を着ている人がいますね。あの人は入って来たばかりなんです。彼はまだ外の空気をそのまま持っている。自宅で暮らしていた時の習慣をまだ維持しているわけですが、だんだん日が経つにつれて病院に馴染んできて、他の人たちの中に入っていく。私たちもそういう感じだったのです。ですから素材を撮った通りの時間の流れで編集しています」
監督は虐げられている人を好んで撮っているように見える。それはなぜなのか?
「私は普通の人を撮りたいだけです」
もっと楽しい、面白い映画を撮れという圧力は当局からないのでしょうか?
「自分としてはこういう映画を撮っていることはとても楽しいです。私が撮る人物というのはどの人もとてもおもしろい。私にとってはそう感じられる。この人たちの求める愛はすごく微妙ではあるけれども、かえって美しいものだと自分には感じられます。むしろこの病院にいる人たちの方が人間関係がすごくシンプルで、おそらく外にいる人たちよりも人間本来の姿というものをとてもリアルに素朴に表現していると思います。いわゆるこの病院の外にいるような“正常な人”というのは、人と人との関係を作るときに、とても商業的であったり、利己的であったり、偏見に満ちていたり、人に対して全く同情も寄せることなく他人に対することがあります。それよりもむしろここにいる人たちのほうがそういう人間らしさというものがあるように感じました」
同じ中国を舞台にしたジャ・ジャンクー監督の「罪の手ざわり」が東京地区を皮切りに全国で公開中だ。普通の庶民が人間の尊厳を損なわれるような困難に直面した時に暴発することを描いた作品。2つの作品を重ねあわせてみると、異常とされる者が実はそうではなく、異常と言っている側に原因があるという構図が浮かび上がる。
どちらの作品も今の社会の歪みを静かに、だが力強く告発しているように見える。舞台は中国だが、我が国も他人ごとではない。
「収容病棟」は6月28日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開【紀平重成】
【関連リンク】
「収容病棟」の公式サイト
http://moviola.jp/shuuyou/
銀幕閑話:第488回 「収容病棟」
http://d.hatena.ne.jp/ginmaku-kanwa/20140227/1393458905