第500回 「コラム500回 」

ジャ・ジャンクー監督(2011年11月25日、筆者写す)
このコラムも500回目を迎えた。スタートは2003年2月28日なので、もう11年余の連載となる。第1回目のコラムのタイトルは忘れてしまったが、紹介作品は、ちょうど日本公開中だったジャ・ジャンクー監督の「青の稲妻」だったことを鮮明に覚えている。その時、監督は32歳。「一般公開するために表現の自由を失うぐらいなら検閲を通らなくてもいい」と気負いを感じさせるコメントを残していたが、最新作の「罪の手ざわり」では巨匠の風格を漂わせ、隔世の感を禁じ得ない。
では、この11年余で自身の原稿はどんな変革を遂げたのかと自問すると、いささか心もとない。当初は隔週で毎日新聞のウェブサイトに連載し、その後は週1の更新へとペースを上げてきた。400回を迎えたのを機に、一昨年6月、慣れ親しんだ毎日jpを離れて独立し、現在に至っている。
アジア映画を中心に、主に新作を紹介し、時に台湾や香港、中国、韓国に出掛けて、海外の映画祭や現地初公開作品の新潮流を探ってきた。このコンセプトは全く変わっていない。
変わってきたことと言えば、IT技術の革新の波が筆者のところにも着実に押し寄せ、以前はパソコンに向かって原稿を書いて(キーを打って)いたのが、最近は場所を選ばず、電車の中でもスマートフォンに向かって細かな文字を打ち込んでいる。いつでも、どこでも原稿を書くことができるというのは、非常に便利だが、静かな場所で集中した方が出来はいいのではないかという疑問は常にある。

ジャ・ジャンクー監督最新作「罪の手ざわり」の一場面 (C)2013 BANDAI VISUAL, BITTERS END, OFFICE KITANO
一方、コラムのアップをツイッターやフェイスブックに投稿して告知し、いち早く読者の反応を知ることができるのは、昔では考えられなかったことだ。もちろん新聞社に寄せられる読者からのハガキも双方向のコミュニケーション・ツールとして今も大事だが、スピードや量が段違いと言っていい。

「めぐり逢わせのお弁当」の一場面 (C) AKFPL, ARTE France Cinema, ASAP Films, Dar Motion Pictures, NFDC, Rohfilm-2013
お恥ずかしい話だが、写真説明の誤りや固有名詞の間違いも、すぐ読み手からフェイスブック等で指摘があり、素早く(大慌てで)修正される。便利さと紙一重の恐さも感じるのである。
ところで、本コラムはなぜアジア映画中心なのか。それは地理的にも歴史的にもアジアは近く、描かれる風俗や人間心理もある程度理解しやすいと思うからである。
たとえばお弁当。8月9日公開予定のインド映画「めぐり逢わせのお弁当」は、ムンバイの弁当配達システムを利用している孤独な男女が、万に一つもない誤配送がもたらした偶然の出会いを通じて心の触れ合いを深めていくというドラマ。それを“演出”した4段重ねの豪華弁当の器と、そのお弁当に込めた作り手の思いが画面から伝わってくる。

「父の初七日」の一場面(C)2010 Magnifique Creative Media Production Ltd. Co. ALL rights reserved
同じインド映画には「スタンリーのお弁当箱」というほろっとさせる佳作もあって、インドにおけるお弁当文化は大いに楽しめるのである。
ちなみにアジアは屋台文化が発達していて、昼食はおろか、朝食も夕食も屋台という人も多い。そんな中、台湾では日本統治時代の名残で、駅弁文化が花開いているのがうれしい。その象徴とも言える「池上弁当」はいつか食べに行きたいと思っている。
他にも文化の近似性を感じる作品は多い。たとえば葬式。韓国の「祝祭」や台湾の「父の初七日」は日本の「お葬式」に通じる厳粛なセレモニーの中にも人々のユーモアを忘れない心理状況が巧みに描かれている。また、銭湯なら、北京の胡同で銭湯を経営する親子と入浴客との交流を描いた「こころの湯」がある。大きな湯船と、そこで交わされる人情味豊かな会話は、日本映画を見ているような錯覚を覚える。
このような弁当箱や銭湯、葬式と言った庶民生活に欠かせない道具や因習を比較することで、アジアの人々を理解していくことは楽しい。政治的対立だけでは決して相手の国を理解できない大事なアイテムである。

「ポエトリー アグネスの詩」の一場面 (C)2010 UniKorea Culture & Art Investment Co. Ltd. and PINEHOUSE FILM. Allrights reserved.
本コラムでは最近、映画の中で描かれる認知症についても取り上げる機会が増えている。それは筆者が認知症に関わる公益財団法人に現在勤めているという事情もあるが、認知症の人を描いた作品自体が増えていることも影響しているだろう。アジアに限っても、たとえば「女人、四十。」(香港)、「私の頭の中の消しゴム」「ポエトリー アグネスの詩」「拝啓、愛しています」「カンチョリ オカンがくれた明日」(以上韓国)、「おばあちゃんの夢中恋人」「昨日的記憶」(以上台湾、両作品とも日本未公開)、「わが母の記」「毎日がアルツハイマー」「ペコロスの母に会いに行く」(以上日本)とすぐに10本を挙げることができる。
昨今の作品は、認知症になった人の様子を正確に描き、記憶する機能に障害はあっても喜怒哀楽を感じる感情面は変わらずにあるという医学的見地に裏付けされた描き方をする作品が徐々に増えている。超高齢社会を迎え、認知症に関する情報も豊かになり、認知症の進行が異常に速かったり、感情面が豊かに残っている事実を無視したりという作品はいずれ淘汰されていくのではないだろうか。そんな時代の流れを映し出すのが以上の作品群だ。娯楽作品として楽しむだけでなく、認知症の正しい姿をキチンと描いているかどうかにも目を配ると、作品の味わいもまた違って見えるかもしれない。
映画の娯楽的要素に加え、映画を通じて様々な出会いがあり、また学ぶことができる。そんな作品をこれからも紹介していきたい。前回ご紹介の「毎日がアルツハイマー2 関口監督、イギリスへ行く編」もそんな作品の一つである【紀平重成】
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コラムの連載500回を記念して筆者秘蔵の映画プログラムを10名の方に差し上げます(お一人3点まで)。応募者多数の場合は抽選を行います。当選者にはこちらのリストを示し、その中から選んでいただきます。ここ20年のアジア映画が多いですが、「卒業」「イージー・ライダー」「時計じかけのオレンジ」といった60、70年代のハリウッド作品もあります。
応募は「連載500回記念プレゼント係」nari.nari☆jcom.home.ne.jp(☆を@に変えて送信してください)へ。締め切りは14年7月7日。