第518回 「慶州」
世界遺産の街、慶州を舞台に、パク・ヘイルとシン・ミナ演じる男女2人のドキドキする出会いをユーモアあふれるタッチで描いたファンタジー。チャン・リュル監督は「キムチを売る女」や「豆満江」で中国朝鮮族というマイノリティーの厳しい現実を描いてきたアート系作家。監督の“変身”ぶりも見所の一つだ。
監督には2007年1月にインタビューしたことがある。「韓国アートフィルムショーケース」の第一弾として「キムチを売る女」が上映された際に来日。「映画は複雑ですが単純でもあります。ある場面を探し自分の目を通して枠の中に入れる。目はカメラ。耳は録音機です。自分の情感で空間を切り取っていく作業。それが映画です」と話し、「あなたも映画を撮ることができますよ」と親指と人差し指を上下逆さに重ねて作った長方形の枠からのぞき込んだ。
そう話していた監督の切り取る慶州の街並みは、思いがけずロマンチックで美しく優しさに満ちていた。
先輩の葬儀のために久しぶりに韓国に帰国した中国・北京大のチェ・ヒョン教授(パク・ヘイル)は友人と思い出話をしているうちに慶州に足を伸ばすことを思い立つ。目的は7年前に先輩たちと茶屋で見た春画をもう一度見ること。しかし壁に描かれていたはずの春画は見当たらず、その行方を尋ねたことで逆に店のオーナー(シン・ミナ)に変態と疑われる。
美しく神秘的なオーナーの存在が気になるチェ教授は市内をフラフラしながらまた店に舞い戻る。やがて二人の間には思いもかけない事態が待ち受けることになる。しかし謎めいた女主人は「こうなると思いました」とチェ教授に告げるのだった。
どこかとぼけていながら才気あふれる二人の交わす言動は大胆で笑わせる。女の家に泊まるはめになった男は、手を見せて欲しいと頼む。逆に女は耳を触らせてもらえないかと男に告げる。二人の距離が狭まる。あともう一歩。二人の胸のドキドキが聞こえて来るようだ。
欲望をソフトに包み込みつつ繰り出すあの手この手はどう見てもファンタジー。同時にコメディでもある。昼間、舞い戻った茶屋には日本人の女性客二人連れがいた。チェ教授を見て「あの人イケメンだわ。ひょっとしたら俳優さんじゃない。映画俳優だったかしら。ドラマ?」と噂話。聞かれた女オーナーが面白がって「俳優です」と言ってしまったのは、すでに女も何か不思議なムードに乗せられていたのかもしれない。
そんな人々の動向を常に温かく見つめているのは慶州の古墳だ。ライトに浮かび上がる柔らかな曲線は女体のようでもあり、母のような安心感をもたらす。酔った女が古墳の頂上で下の土に向かって言う。「中に入っていいですか」。それは死を意味するが、女はそれでもいいと言わんばかりに言葉をかけ続ける。
胸がときめくラブロマンスでありながらコメディ、そして死の匂いも漂うといういくつものイメージが渾然一体となった物語で、作品に埋没することなく自然ないい味を出して演じる二人が素晴らしい。教授役のパク・ヘイルはこれまでの甘いマスクが際立つくっきりした人物像とは異なり、どこにでもいそうな普通のおじさんになりきっている。それでいてユーモラスな言動がにじみ出てくるところがいい。
一方のシン・ミナは抜群の顔立ちとプロポーションを生かした役柄が続いたが、5年ぶりの復活作に選んだのが神秘的でありながら可愛らしさものぞかせるという抑えた演技が求められる役。その結果について個人的な感想を言えば、二人とも過去の作品の中で一番いい味を出していると思う。アート系作家としてマイノリティの視点にこだわってきた監督が新境地を開いた傑作ではないか。
しかも日韓の敏感な部分でも笑いにまぶして見せてしまう手腕には感心せざるを得ない。シン・ミナの歌まで堪能できるサービスもあり、早くも次回作を待ち焦がれる心境である。【紀平重成】