第553回「セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター」

まだまだ地球には美しい自然が残されている。セバスチャン・サルガド(右)の写真はそれを確信させる (C) Sebastiao Salgado (C) Donata Wenders (C) Sara Rangel (C) Juliano Ribeiro Salgado
その写真家は神の眼を持つ男と言われていた。一枚の写真に心を揺り動かされたヴィム・ヴェンダース監督は、彼にフォーカスした映像を通じて写真家の波乱万丈の人生をたどる旅に出る。稀有の才能が出会い手を携えるコラボレーション。本作はその奇跡のドキュメンタリーである。
ブラジル出身のセバスチャン・サルガドは、戦争や貧困の現場に足を運び、他のカメラマンが慌ただしく対象を切り取っていくのとは対象的にじっくり腰を据え、人間心理の本質に迫る衝撃的な写真を世に問うてきた報道写真家だ。

撮った写真をヴィム・ヴェンダース監督(左)に見せるサルガド (C) Sebastiao Salgado (C) Donata Wenders (C) Sara Rangel (C) Juliano Ribeiro Salgado
若い頃は内戦の現場に行くことが多かった。エチオピアでは政府が保有する食料を国民に行きわたらせることをしないため、難民キャンプで人々が次々と餓死して行く様子を目の当たりにした。「暴力的なまでに不誠実な政治だった」と振り返る。
ルワンダでは敵対する部族への集団虐殺が行われ、美しいサバンナはわずか数日で100万人を超える避難民で埋まった。被害を大きくしたのは意図的に流されるデマだった。
内戦はアフリカに限らない。豊かなはずのヨーロッパでも多民族国家の旧ユーゴスラビアは各民族が互いに恐れ憎しみ合い、民族浄化を図ろうとした。「憎しみが広がる瞬間を見てしまった」。こう語るサルガドの表情は、まるで今見て来たかのように重く暗い。

カメラを構えるサルガド (C) Sebastiao Salgado (C) Donata Wenders (C) Sara Rangel (C) Juliano Ribeiro Salgado
コンゴ、そして再びルワンダ。何事もなかったかのように息子の死体を捨てに来て、友人と話す父親や、死体の山を重機で運び土をかぶせる作業員。「地球が難民テントでおおわれている」「何度カメラを置いて泣いたことか」。当時、魂を病んでいたことを彼は告白する。対象に迫るあまり、冷徹な心を強固にしているように見えた彼が豊かな人間性を垣間見せた一瞬だった。
自分の役割を自問し、地球上に残る未開の美しい場所を探し求め、ガラパゴスやアラスカ、サハラ砂漠、ブラジル熱帯雨林など地球のありのままの姿をカメラに収めていく大プロジェクト「Genesis(ジェネシス)」への路線転換は実に鮮やかだ。この計画への参加を求められたベンダースは、サルガドの息子ジュリアーノ・リベイロ・サルガドと共同監督に就く。そして、写真家サルガドの人生をたどりつつ、ため息をつくほど美しい地球の絶景を収める場面に立ち会い、彼の真摯な撮影スタイルを追っていく。その映像は文字通り地球へのラブレターと言っていいだろう。

若いころのサルガドとレリア(右) (C) Sebastiao Salgado (C) Donata Wenders (C) Sara Rangel (C) Juliano Ribeiro Salgado
そのきっかけを作ったのは、長年連れ添い、彼の仕事を支えてきた妻のレリアだ。祖国に戻った夫妻は緑に囲まれていた故郷が荒れ果てているのに驚く。落ち込むサルガドを励ますように「もう一度森を作り直そう」とレリアは提案する。最初は家族だけで植林する計画は徐々に膨らみ、事業化して、すでに250万本植えた。まるで森の復活が自身の人生の再生のように打ち込んだのである。その私有地はいま国立公園に指定されている。

カメラを意識しないまでになじんでもらってから撮り始めるサルガド (C) Sebastiao Salgado (C) Donata Wenders (C) Sara Rangel (C) Juliano Ribeiro Salgado
サルガドはこう振り返る。「レリアは私の人生の偉大な道連れ、相棒だ。どんな面でも」と。
そのサルガドの魅力を伝える次のような映像がはさまれている。北極海でセイウチを撮りに息子と行く。ほふく前進で近づこうとするが中止。その理由を「後ろに(魅力的な)動きがないから」と息子のジュリアーノに教える。待つことしばし。再度接近。今度ははいつくばり、さらにあおむけになってカメラを潜望鏡代わりに様子をうかがいながら前進。いいアングルが得られたようだ。うつ伏せの息子の背中を台にして次々とシャッターを押す。「(余計なものは一切なしで)セイウチのキバしか写らない。いい写真だ」
アマゾン奥地の未開地区に行っても、北極海でも、人であろうと、あるいは動物が相手でも、サルガドのやることは同じだ。相手に敬意を払い、自分を“仲間”と認識してもらうまで根気強く待ち続ける。それがサルガド流だ。この手法は中国のドキュメンタリー作家、ワン・ビン監督と実によく似ている。そしてヴェンダース監督とも。
「セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター」は8月1日よりBunkamura ル・シネマ
ほか全国順次公開【紀平重成】
【関連リンク】
「セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター」の公式サイト
http://salgado-movie.com