第568回 「タルロ」
どうしてもこの作品を紹介しておきたいということが映画祭ではよくあるが、東京フィルメックスで最優秀作品賞と学生審査員賞の2冠に輝いたペマツェテン監督の「タルロ」(原題「塔洛」)もそんな作品の一つだ。
なにしろ現代文明と伝統文化の相克という普遍性のあるテーマを描いており、それでいて声高にメッセージを叫ぶわけでもなく、ユーモアにあふれ、時に深刻な場面も織り交ぜる。そしてモノクロの乾いた画面が雄大なチベットの美しくも厳しい自然を効果的にとらえる。2012年の「オールド・ドッグ」に続く同映画祭2度目のグランプリ受賞は監督の非凡な才能を改めて見せつけたと言えるだろう。
遊牧民のタルロは一人で暮らし、羊の世話で生計を立てている。記憶力抜群で小学校時代に中国語で覚えた毛沢東語録を暗唱できるのが自慢だ。彼の能力に感心した警察の署長が身分証を持っていないタルロに作るよう指示したことから、地に足のついた彼の生活が狂いだす。
身分証に貼る写真を撮りにタルロは遠くの町に出かける。先客がいて待たされている間に北京の天安門や高層ビルの林立するニューヨークの映る背景写真が次々に入れ替わっていくのに目を奪われるが、ようやく順番が回ってくると、今度は大事な写真にふさわしくないから向かいの理容室でボサボサの髪を洗って来いと言われる。
仕方なく入った理容室の女主人は美人で、山奥から出てきたようなタルロに興味を持つ。羊の売り値や行きたい場所など話が弾むうちにカラオケまで一緒に行くことになり、タルロは徐々に自分を失って行く。
前作の「オールド・ドッグ」ではラストで老いた主人公が大事なチベット犬を扼殺してしまう。そうでもしないと自分も犬も文化的、経済的に辱めを受けることになると言わんばかりに。
伝統文化は守ろうとしても守り通すことは難しいし、失うものが大きいというのが前作の結論とすれば、守るのではなく新たな生活を夢見て変化を選択しようとしたのに、結果的に大きく傷つくことになるのが今作と言えるかもしれない。
どちらも傷つくという点では同じ。現代文明と伝統文化の狭間で苦しむ人々の心に寄り添って行こうとする監督の目線はどこまでも優しい。その優しさは「登録証の写真をもう1回撮り直して来い」と平然という公権力や数の多さで圧迫する人たちのマイノリティ側への“悪意”ある無神経さとは対照的である。
ペマツェテン監督の受賞コメントが良かった。グランプリの最優秀作品賞では「とてもうれしい。フィルメックスは2回目の受賞。ご縁がある。私にとっては故郷のような家のような場所です。こういう映画祭をやっていることに感激します。作品が公開され多くの人に見てもらうことを願います」と挨拶し、その前に行われた学生審査員賞の授賞式では「学生の賞ということは若い人が評価してくれたということですね。とても細かいところまで見てもらってうれしい」と喜びを語った。
今回はチャオ・リャン監督の「ベヒモス」が審査員特別賞を、またピーター・チャン監督の「最愛の子」が観客賞を受賞。「タルロ」と併せ中国映画が気を吐いた形だ。しかも環境破壊を冷徹な目でとらえ、そこに文明批判の思いを込めた「ベヒモス」も「タルロ」と重なる部分がある。
「タルロ」は衝撃のラストと併せ、映画の持つ力を改めて噛みしめる作品。そういえば映画祭の開会式で林加奈子ディレクターが強調されたように、まさに映画の力を信じる映画祭にふさわしい審査結果となった。【紀平重成】
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