第569回 「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」
写真集で知られるドイツのシュタイデル社が再発見した伝説の写真家ソール・ライターの素顔に迫ったドキュメンタリー。1940年代からのニューヨークを大胆な構図で切り撮ったカラー写真の先駆者で、一流ファッション誌の表紙を飾ったこともあるが、80年代以降は姿を消す。その有為転変を経て老いた写真家が語る人生訓には人を惹きつけてやまない魅力がある。
日本公開を前にした11月中旬、東京都内の青山ブックセンターで日本語字幕担当の柴田元幸さんをゲストに迎えたトークショーが行われ、200人近い聴衆が詰めかけた。
ソール・ライターは華やかなファッション誌の表紙を飾る写真も多く撮ったが、個人的にはニューヨークやヨーロッパのありふれた街角をコツコツと撮り集めていた。柴田さんはその一つ一つを紹介しながら、平凡な街角から美しさと抒情感を見出す写真家のセンスと技術に言及する。
「このドキュメンタリーが素晴らしいのは、トーマス・リーチ監督が途中で挟まれるニューヨークのシーンなどで背景のぼかし方とか反射の使い方を真似ているんです。ライター的に撮って彼へのオマージュになっている」
監督は老写真家を尊敬し、それが相手にも伝わって次第に親密になり、撮影自体が共同作業になっていく様子が映画からもうかがえる。しかしソール・ライターは若い才能に簡単には心を開かない。
映画の中でも「撮影の許可はしたけど、映画を作ってもいいとは約束していないよ」とやんわり念押しし、監督が「もしかしたらダメっていう可能性があるわけですか?」と慌てるような場面が出てくる。よく言えば茶目っ気たっぷりの物言い、悪く言えば老獪、あるいはへそ曲がりということになるのだろうか。
言葉をもてあそぶというと語弊があるが、気持ちを振幅させる場面が意外と多い。柴田さんも「『少しの知性を使ってカメラを構えた』と、そういう自負を示すような言葉も言って、その次には『でも大した知性じゃないけど』と言う。肯定すると否定して、否定するとまた肯定して。シャープに言うのではなく、割とモソーッと言ったり来たりする感じで、『こういう風に歳を取りたいな』って思いました」と感想を述べる。
アメリカ文学研究者で翻訳家の柴田さんだが、文字数に制限のある字幕作りには苦労したという。ソール・ライターが亡くなった妻を話題にした際に「でも彼女は先に死んだ」と残念そうに言う場面で彼は「kick the bucket」と話す。それを柴田さんは「死んだ」とは訳さず、そのまま「バケツを蹴った」と訳した。直後に「意味がわかるかい?」と監督に聞くので、こう訳せば、ソール・ライター独特の言い回しを使っていることがわかるだけでなく、臨場感も増す。アメリカ文学に精通している柴田さんならではの訳し方だったのだろう。
柴田さんによると自虐と自負の間を交互に行き来するのが彼の特徴で、どちらも正直な気持ちを表しているという。
老写真家はこんな発言もしている。「自由にやらせてほしい。そうしたらいい作品を撮る。ダメなら悪い作品を撮るまで」
もしかしたら反骨精神に裏打ちされた自負の念の方が強かったのかもしれない。
晩年は膨大な写真データの整理に頭を痛めていたようだ。それでも「私は物事を先送りしてしまう人間だ。急ぐ理由が私には見えない」とつぶやく。すかさず監督が「そういう考え方があなたの仕事を遅らせた?」と反応する。「遅れた? 遅れやしないさ。私にどうしろと? あの小さな(写真集の)一冊があれば十分じゃないか。無関心な人々を満足させるのにどこまでやれと」
単なる反骨心だけではない時代を洞察する確かな目がそこにはある。
2013年、ニューヨークで死去、享年89歳。
「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」は12月5日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。【紀平重成】
【関連リンク】
「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」の公式サイト
http://saulleiter-movie.com/
同作品を紹介する「キネマ随想」のサイト
https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/kinemazuiso81/