第576回「最愛の子」
うーむ、重たい作品だ。中国で3歳の男の子が誘拐され3年後に見つかるが、実の親のことを覚えていなかったという悲惨な実話を元にしている。しかも生みの親、育ての親の葛藤を双方から描いているので何しろ上映時間が長い。実力派の熱演も加わり、見終わった時には心底疲れ果ててしまうのだ。
経済発展の恩恵を受けているかどうかや一人っ子政策の弊害などから男児の誘拐と人身売買が横行する中国。その社会事情を背景に名匠ピーター・チャン監督が描いた作品だ。
2009年7月、香港に近い経済特区の町で3歳のポンポンが誘拐される。離婚した母親のジュアン(ハオ・レイ)が週に一度息子と過ごした後、父親のティエン(ホアン・ボー)に引き渡し、彼がちょっと目を離したすきにさらわれたのだ。
息子が帰ってこないことに気付いた父親は警察に届け出るが、警察は「失踪してから24時間たたないと事件として扱えない」と規則を盾に動こうとしない。自力で駅周辺も捜したが息子は見つからなかった。しかし、その後、警察署で見せられた防犯カメラの映像には、見知らぬ男が駅付近でポンポンを抱き抱えて行く姿が映っていた。
困っている人に手を差し伸べる人もいるのだろうが、インターネットで情報提供を呼びかけた父親の携帯電話にかけてくるのは、報奨金を目当てにした悪党からの詐欺やいたずら電話ばかりで、二人は心身ともに追い込まれていく。
そして3年後の2012年の夏、ポンポンらしい男の子が安徽省の村にいるという情報が寄せられる。村を訪れた両親はついに息子を見つけ出すが、抱きかかえて行こうとする姿を育ての母親ホンチン(ヴィッキー・チャオ)や村人に見つかって逃げ惑い、警察ざたに発展する。警察の手でポンポンはホンチンの子ではないと裁定されるが、6歳になったポンポンは本当の両親をまったく覚えていなかった。
ここまで来るだけでも山あり谷ありの展開で中身が濃いのだが、映画はわが子の愛を取り戻そうとうする両親の苦悩と、育ての親との別れを嘆き悲しむポンポン、さらに“わが子を奪われた母親”の嘆きという様々な葛藤を追っていく。とくにノーメイクで臨んだヴィッキー・チャオの入魂の演技は、彼女こそ実際にわが子を失った貧しく可哀そうな田舎の母親と思わせ、涙を誘わずにはおかない。ピーター・チャン監督のち密な演出には感心するばかりである。
ただ、小さなしこりの様に違和感を覚えたのも事実である。それは登場人物たちの、必死なあまり、法律や倫理観の一線を越えたのではと思われかねない行動が描かれている点だ。「わが子を取り返そう」「奪われるまい」。どちらの気持ちも十分すぎるほどよくわかる。演技もうまい。私も泣いた。これが実話を元にしたお話と知っているからこそ感動もした。
しかし、育ての親の目を盗んでわが子を無断で取り戻そうとすることは許されるのだろうか。いくら自分の方に理があるとしても、それは新たな“誘拐”とはならないのか。一方誘拐された子だと薄々知っていながら自分の子にしてしまうのは倫理的に許されるのだろうか。人さらいの被害者だと知らなかったとしても、ポンポンは3年前に本当の両親を恋しがっていたはずで、不審に思わなかったことの方が不自然ではないのか。いや、理屈はそうでも、思いもよらない行動に走るのが追い込まれた人間の常なのだと言う人がいるかもしれない。たとえそうだとしても、そこが引っ掛かるのである。
ちなみに、ピーター・チャン監督は昨年11月23日、東京フィルメックスでの上映後のQ&Aで、こう発言している。「登場人物に感情移入できるよう、子どもを失った親の気持ちをしっかり表現できればと思いました。一方で、育ての親も決して悪い人ではありません。映画にすることで、両方の立場を理解してもらえるものだと思います」
皆さんはどうお考えだろうか。
中国では毎年20万人の子どもが誘拐され、その一方、新たに救出されるのは1万人に満たないという。
「最愛の子」は1月16日よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開。
【関連リンク】
「最愛の子」の公式サイト
http://www.bitters.co.jp/saiainoko/