第587回「花、香る歌」

チェソン(スジ)は女性として初めてパンソリの歌い手になることを決意する (C)2015 CJ E&M CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED
朝鮮の民俗芸能であるパンソリは、太鼓の伴奏に合わせ1人の歌い手が歌と語り、仕草の三つで物語を口演していく姿から「独りオペラ」とも言われる。日本の浄瑠璃ともどこか重なるような、その哀調を帯びた節回しが創作意欲をくすぐるのか、これまでも好んで映画の中に取り込まれてきた。「桃李花歌」(トリファガ)という美しい原題を持つ本作も、まさに映画の展開と歌詞が絶妙に溶け合うパンソリを描いた作品と言えるだろう。
パンソリを主題にした映画と言えば、すぐに思い浮かぶのがイム・グォンテク監督の「風の丘を越えて/西便制(ソピョンジェ)」や「春香伝」(チュニャンジョン)だろう。前者はヒロインが歌うパンソリの哀切な声音が聴く者の心を激しく揺さぶる力強さを持ち、後者は若い男女の身分を越えた恋愛物語と並行して、観客が舞台上のパンソリ「春香歌」に聴き入るという二重構造の大胆な演出が効果を挙げている作品。

堂々とした演技で観客の心をとらえるチェソン (C)2015 CJ E&M CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED
それに対し本作は女性がパンソリを歌うことを禁じられていた朝鮮王朝末期の19世紀後半、初めて歌い手となった女性チン・チェソンの波乱に満ちた人生を描く実話だ。
母を亡くした少女チン・チェソン(スジ)は、母が亡くなる前、預けられた遊郭で育つ。ある日、パンソリを耳にしたチェソンはその物語の主人公に自らの人生を重ねて大泣き
する。そんな彼女を偶然見かけた男が「涙のあとは笑顔になれる。それがパンソリだ」と優しく教えてくれる。この男こそ、後年、チェソンの人生を大きく変えることになるパン
ソリの大家シン・ジェヒョ(リュ・スンリョン)だった。

先輩からは厳しい注文が寄せられる (C)2015 CJ E&M CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED
彼の一言にチェソンはパンソリの歌い手になることを決意するが、当時は女性が歌うことを固く禁じられていた時代。チェソンは、ジェヒョに弟子入りして修業を始め、彼とは旧知の間柄の時の権力者、興宣大院君(キム・ナムギル)が1867年に主催した景福宮の再建を祝う落成宴に、危険を顧みず乗り込むのだが……。
映画を面白くするのは、次々と押し寄せる困難を潜り抜けて主人公が夢を果たすという展開の中で、どれだけハードルを高く厚く積み上げることができるかだろう。若手のイ・ジョンピル監督は、最後の最後に夢をかなえるというのに、ヒロインのチェソンと師匠のジェヒョに、さらにこれ以上はないという新たな難題を突き付けるのだ。これは厳しい。観客は思わず2人に感情移入してしまうに違いない。
もともとチェソンは不遇な環境で育ち、ジェヒョも家柄が悪いため立身出世はかなわぬという虐げられた者同士の組み合わせ。そこから生まれる反骨のエネルギーが互いを高め絆を強めてきたといえるだろう。逆境の2人が惹かれ合い共感するという関係は、そこに悲劇の予兆があればあるほど美しさを増すのも当然である。

師弟の前に立ちはだかる時の権力者、興宣大院君(キム・ナムギル) (C)2015 CJ E&M CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED
その2人が修行中のある夜、こんな会話をする。先輩たちから、「人を愛したことがなければパンソリで愛する心など歌えない」と言われていたチェソンが師匠に向かって「愛
を抱くとは花を抱くようなもの。桃李花のような美しい花を。お師匠様の桃李花になりたい」と秘めた思いを告白する。だが、師匠は「歌とはいわば香りだ。香らぬ花など欲しいとは思わぬ」と突き放す。
まだ修行が足らず人を共感させる芸域には達してないという師匠としての厳しい回答だが、弟子を愛する本心を隠したとも言えるかもしれない。この2人の愛が、ラストの展開に微妙な綾を与えることになる。

落成宴で見事なパンソリを歌い上げるチェソンと師匠のジェヒョ(リュ・スンリョン=右) (C)2015 CJ E&M CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED
主演のスジはK-POP のmiss Aのメインボーカルで、「建築学概論」で注目された若手女優。同じパンソリを描いた「風の丘を越えて/西便制」で主演のオ・ジョンヘが小学校時代からパンソリを学びプロとしての発声をものにしていたのと比べるのは可哀そうだが、ジャンルの違いを越え歌手としての意地は見せていたと思う。
「花、香る歌」は4月23日よりシネマート新宿、シネマート心斎橋ほか全国順次公開。
【紀平重成】
【関連リンク】
「花、香る歌」の公式サイト
http://hanauta-movie.jp/