第599回「将軍様、あなたのために映画を撮ります」
観客を感動させる高い水準の映画を作りたいからと、あろうことか権力者が敵対国の人気女優と一流監督を拉致するという前代未聞にして最悪の脚本。だが妖しい魅力を放つその“ドラマ”は実行に移され成功したかに見えたが、夫妻の死を賭けた亡命劇でとん挫する。当初は駒の一つにすぎなかった監督が自ら主演の一人を演じつつドラマを改変するという逆転劇だ。このサスペンス映画さながらの物語はすべて実話。映画の虜になった二人の男と一人の女優による葛藤の日々が関係者の証言と映像により稀有のドキュメンタリーに生まれ変わった。
作品の主な登場人物は北朝鮮の権力者キム・ジョンイル、韓国の著名監督シン・サンオク、同じく国民的女優チェ・ウニの3人。1978年の事件発生当時、いずれも韓国では知らぬ者など皆無の有名人だった。
最初に消息を絶ったのは当時韓国ではトップ女優だったチェ・ウニだ。姿を消したのは旅行先の香港。後に北朝鮮の工作員による拉致と判明するのだが、その8日後に北朝鮮の南浦港の埠頭に上陸した。「お疲れ様でした」というねぎらいの声に振り向くと、そこにはキム・ジョンイルがにこやかに立っていた。
チェ・ウニの失踪に驚いた元夫のシン・サンオク監督は彼女を探しに香港へ向かうが、彼もまた拉致される。監督は元妻が同じ北朝鮮にいることも知らずに逃亡を繰り返した。特別収容所から出された彼がようやくキム・ジョンイル主催のパーティーでチェ・ウニと再会したのは、実に5年後のことだった。
映画は3人の中で唯一存命しているチェ・ウニ自身や当時事件を調査した元CIA職員などの関係者へのインタビューをもとに綴られていく。どれも貴重な証言だが、中でも圧巻はシン監督が秘密裏に記録したキム・ジョンイルとのやりとりの入った録音テープだ。
拉致の動機としてキム・ジョンイルが語る肉声が興味深い。「北朝鮮の映画は泣くシーンばかり」「韓国の映画が大学生なら、我々は幼稚園レベルだ」。映画マニアとして「ゴジラ」や「男はつらいよ」シリーズを始め世界中の映画を知り尽くしているキム・ジョンイルにとって、チェ・ウニやシン・サンオクの二人は映画論を戦わせる格好の相手だったろう。
録音テープには、こんなものもある。映画制作を依頼され精力的に動き出したシン・サンオクがつぶやく。「ここ(北朝鮮)は嫌いだが、お金の心配はいらない」。
こんな声も入っている。「代表作品を仕上げるまでは、帰れと言われても帰れません」という監督にキム・ジョンイルが「そうですか」と答える。
帰国を約束されていたのか、それとも本心を隠してのご機嫌取り発言だったか。
興行成績を心配することなく、自由に作れる環境にのめり込んでいったシン・サンオク監督の姿が浮かび上がる。同じ拉致被害者の身ながら、国に残した家族のことを心配するチェ・ウニとは対照的だ。それでも彼女は韓国時代の監督経験を生かし「帰らざる密使」を北朝鮮で撮って、チェコ国際映画祭で審査員特別監督賞に輝いている。
シン・サンオクの方は約3年の間に17本の作品を送り出した。戦争大作や、日本の特撮スタッフを呼んでの怪獣映画「プルガサリ 伝説の怪獣」。海外の映画祭で受賞する作品も含まれれていた。
2人は86年、ウィーンのアメリカ大使館に駆け込み、アメリカに亡命。その後99年、約20年ぶりに韓国に帰国している。シン・サンオクはアメリカへ渡った際に、北朝鮮に行ったのは自発的亡命ではないと語ったが、今なおそれを疑う人もいるという。様々な解釈が可能なだけでなく、映画の魔力が詰まった作品と言えるだろう。
「将軍様、あなたのために映画を撮ります」は9月24日よりユーロスペースほか全国順次公開【紀平重成】
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