第614回「16年私のアジア映画ベストワン」(2)
注目のベスト5をご紹介する前に、ベストテンに入らなかった作品について、推奨者のこだわりの弁を続けます。
「『映画ファンのための』韓国映画読本」(ソニーマガジンズ)の編集経験がある千葉一郎さんの一押しは「シン・ゴジラ」。
「ありがちな感情ドラマをスッパリと切り捨てて、ゴジラという巨大生物が現実世界に登場したら、というシミュレーションでひたすら推し進めていくソリッドな語り口にとにかくシビレた。ゴジラは何も考えておらず、ただ移動していくだけ(決して破壊が目的というわけではない)の存在だが、完全に制御不能、かつ恐るべきエネルギーと暴走の危険性を抱え込んでいる。メタファーの出発点は明白だが、説教臭さは皆無。徹底的な取材で世界観を緻密に(誠実に)構築していく態度には、『この世界の片隅に』に通じるものを感じる」
暴走の危険性をはらんでいる「シン・ゴジラ」の登場が、制御不能の政治や社会の幕開けとならないよう見守らなければいけないですね。
続いて大阪アジアン映画祭プログラミングディレクターの暉峻創三さんは、毎年、この欄で発表するベストワンが映画祭出品作に入るかどうかが注目されます。今年はフィリピンの「パティンテロ」でした。
「フィリピンの子供にとってのドッジボールや鬼ごっこ的な遊び”パティンテロ”を通じて、負け組少女が威厳を持って立ち上がる姿を描いたもの。『シェルブールの雨傘』のジャック・ドゥミも真っ青な色彩設計、周星馳監督もビックリのケレン味など、見たことのない斬新なセンスに溢れたフィリピン映画」
大阪はもちろん、現地にも行って見たい作品ですね。
その大阪アジアン映画祭でイラン映画の「アトミック・ハート」に心を射抜かれたのは、海外を含む映画祭を回り歩き、監督、スターの写真やサイン、作品ごとの感想文も閉じこんだファイル作りを愛好する杉山照夫さんです。
「大阪アジアンで久しぶりに上映されたイラン映画であり、一番の衝撃作だった。中上流社会に位置する2人の女性(アリネとノバ)はパーティを抜け出し車で家路を急ぐのだが、小さな交通事故をおこしてしまう。そこへ突然現れた紳士風の男がなぜか賠償金を用立て、執拗につきまとう。2人はこの男から逃げようとするが、なかなか逃れられない。男は別次元からきたのか、それとも悪魔の化身“魔王”なのか。ラストは、男がノバを連れて異次元の世界に連れて行こうとして、ビルの屋上の縁に立つ。アリネが必死に抵抗し、じゃんけんに勝てば、男はノバをあきらめること、負ければ自分もビルから飛び降りることを約束する。アリネと魔王は5回戦のじゃんけんを行う。そして衝撃の結果は……。
ラストのじゃんけんが凄かった、まるで『第七の封印』の騎士と悪魔のチェス・シーンを想起させるほど壮絶である。アリネを演じるタラネ・アリシュスティが素晴らしい。彼女は『私は15歳』(02年)でロカルノ国際映画祭主演女優賞を受賞し、その後のアスガー・ファルファーディ監督初期作品のミューズを務めている。彼女の演技は、親族、友人の危機を救うために立ち向かい、その困難な背景に陥ったときの奮闘ぶりが感動的。次回、また彼女の奮闘ぶりを描いた映画に出会えることを楽しみにしている」
3月の大阪でもサインを求める彼の姿が見られることでしょう。
昨年の話題作「オマールの壁」を推すのは柴沼さんです。「多くの映画で迫害の対象となるユダヤ人が、パレスチナ問題では迫害する方に回る。歴史的な経緯は複雑で、門外漢が口を挟むことではないのだけど、結局、いつ、どんなのときでも人間の悪意というのがむきだしになっていることを明らかにしています。一人の平凡な青年の恋愛を通じて、権力に翻弄される庶民の哀しさというものを描いた傑作でした」
抗争を単純化して描きがちなのも映画なら、複眼で見つめようとするのも映画です。同作品は間違いなく後者でしょう。
さあ、いよいよベスト5の発表です。mikikoclaraさんは「侠女」を恋人へのラブレターのように語ります。
「昨年より『楽日』や『黒衣の刺客』から遡り、胡金銓監督の作品を見始めたのですが、イギリスから『侠女』と『龍門客桟』のDVDを取り寄せて、すっかりのめり込みました。東京フィルメックスのスクリーンで見ることが出来たのは幸運でした。驚いたのは3時間という長丁場のドラマツルギーの維持の仕方です。宮廷の陰謀や伝奇物語を使ったストーリーの紡ぎ方と、カメラの位置や撮り方に無駄がなく、説明的な台詞なしにドラマツルギーを維持している。しかも、それが観客にとって素っ気ない作品になるのではなく、次は何が起こるんだろうとワクワクする気持ちを持たせてくれる。音楽や効果音も最小限で好感をもちました。その代わり、役者の目をアップにするなどフィジカルな言語を多用し、アクションもそういった身体表現の流れのひとつとして自然に馴染んでいます。ワイヤーもCGもある今のアクションに比べても、敵を倒すと息が上がる、など等身大の表現があることで、逆にアクションがリアルに感じられるのです。夜の場面や最後の光と音を通じての自然の描写と、POVの映像を組み合わせためまいがしそうな映像はスクリーンで見ることが出来て良かったです。胡金銓監督は、映画とは映像である、という一見自明なことを強く信じていたのだと思います。人間の生身の身体を使い、その生身感を損なわず、いかにフィルムランゲージを紡ぎだすか。そのことに全力を注ぎ、集大成がこの『侠女』ではないかと思います」
そして4位は昨年もベストワンに挙げる人がいた「pk」。インド映画がベスト5に入りましたね。
「実は前評判の高さに『ちょっと盛ってるんじゃない?』と危惧も抱いておりました」という勝又さん。「前作の『きっと、うまくいく』が素晴らしかったので、そうそう傑作が次から次へと 生まれるかしらと。しかしそれは杞憂でした。ラブストーリーあり、SFあり、人情あり、笑いあり。テンポがよく、音楽も素敵で見心地が良い。楽しく見ていく中で『神様は人間を守ってくれるもので、人間が守るものじゃない』という言葉にハッとさせられます。神の名のもとに様々な戒律を作り、それに従わない者を排除しようとするのは、他ならぬ人間がやっている
ことなのだ、と。この視点があるので、見終わった後も時々心のポケットから取り出して、宗教って何?と考えるときのヒントをもらった気がします。このチケット代に値するかな?と思う映画も多いけれど、これは間違いなくお値段以上の作品です」
さあ、3位です。香港映画「小さな園の大きな奇跡」です。本コラムの第606回でエイドリアン・クワン監督にインタビューしました。香港で記録的なヒットになった理由を尋ねると「観客がわざわざ私のところにやってきて、劇場を出たときに心は愛でいっぱいになったと言ってくれました。その言葉が私を幸福にしてくれました」と涙を浮かべながら監督が答えてくれたことに驚かされました。信仰心に篤く、また涙もろい人柄は有名なようです。優しい心を持つだけでなく、5人の子役と丁寧に接し、涙を流すあの名演技を引き出した監督の粘りにも感心します。「この映画の成功のおかげで非常に勇気を得ました。こういう映画は決して香港映画界の中ではメインストリームではないことは承知していますが、人と違うことをするのは大事です。1週間後に撮影に入る予定の新作もこのような流れのものになります」と言っていた監督の次回作も楽しみです。
そして2位は「山河ノスタルジア」です。昨年、日本映画ペンクラブ賞奨励賞を受賞した劉文兵さんは「ジャ・ジャンクー映画の品格を保ちながら、多くの観客の琴線に触れるメロドラマの傑作」と高い評価を与えます。東京フィルメックスの岡崎匡さんも「中国映画を観たことがないけど、いまの中国のことを知りたいという方に最初におすすめしたい1本です」とコメントします。
とうとう1位を残すだけとなりました。2016年私のアジア映画ベストワンの中から選ばれたのは……「ゴッドスピード」でした。サイト「東亜電影速報」を主宰する坂口英明さんの力強い推奨の言葉を聞いてください。「もう一度観てみたい作品ということで、東京国際映画祭で観たこの作品を選びました。犯罪映画らしい描写とユーモラスなシーンの塩梅が絶妙でした。久しぶりのマイケル・ホイ、ラストに流れる『昴』もよかったです。劇場公開されたるといいなと思います」
筆者も、登場人物を突き放したようにクールな筋書の中に放り込みながら、途方に暮れる彼らを愛情深く見つめる濃密な空間にしびれました。
さあ、皆さん。今年もどこかでお会いし映画を熱く語り合いましょう【紀平重成】