第617回 「百日告別」

「百日告別」の一場面。シンミン(カリーナ・ラム=左)は婚約者のレンヨウ(マー・ジーシアン)との結婚を楽しみにしている (C)2015 Atom Cinema Taipei Postproduction Corp. B’in Music International Ltd. All Rights Reserved
「九月に降る風」や「星空」で高校生の友情や自立していく少女の感情をみずみずしく描いた台湾のトム・リン監督。その彼が、実体験をベースに愛と死を見つめる人間ドラマとして紡ぎ出したのが一昨年の東京国際映画祭で上映された「百日草」だ。タイトルを変え日本公開されるのを機に来日した監督に撮影の舞台裏を聞いた。
交通事故に巻き込まれ、ユーウェイ(シー・チンハン)は妊娠中の妻シャオウェン(アリス・クー)とまだ見ぬわが子を失う。シンミン(カリーナ・ラム)は結婚間近の婚約者レンヨウ(マー・ジーシアン)を亡くす。二人は悲しみから抜け出そうと、それぞれの旅に出る。
--映画にも出てきますが、愛する人を失った辛さに耐えられず、ユーウェイは妻が使っていたピアノを目の前から隠そうとしたり、逆に他に関心を向けようとします。監督はあえて大事な人の死(妻は2012年に病死)と向き合い、映画にしました。その映画を作ろうと決めた決定的な瞬間はどのようなときだったのでしょうか。
トム・リン監督「この映画を撮ろうと思ったのは、ちょうど妻が亡くなって100日目でした。映画のラストシーンと同じように、自分も法要を終えてバスに乗り、山から下りてくるとき、周りの人を見てふと思ったんです。もしかしたらこの人たちも私と同じように、100日目の法要を終えて家に帰ろうとしているのかと。車の中に男1人、女1人が座っていて、夕日がバスの中に差し掛かかり、2人は会話するかどうかと考えたんです。たぶん話はしないけど、きっとお互いの気持ちを一番理解しているんじゃないかなと思って、私の目の前にこういう画面が現れてきたんです。これを映画にしようと思いました」
--そのとき2組の話にしたのは、その画面が浮かんだからですか? それとも別の事情があったからでしょうか。
「先ほどのバスの中で感じたことの延長だったと思います。その時、こういうことを考えていました。この100日間、違う過ごし方をしたら、自分はどういう気持ちになっているのかと思いました。これを映画にするときは、男1人、女1人の2人がそれぞれ違う100日間をどういう風に過ごすか描いたほうがいいかなと思いました。例えば、ある大きな迷路の中にねずみ2匹がいて、1匹はすごく衝動的で何も決めないで出口を見つけようと走り回っている。もう1匹はすごく慎重で、壁に沿って一歩一歩前に進んで行く。どちらが早く出口を見つけるか。それは私も分からないけれど、見てみたい。それで、この映画を2人の主人公の話にしました」

ユーウェイ(シー・チンハン)は法要の後、偶然シンミンと言葉を交わす (C)2015 Atom Cinema Taipei Postproduction Corp. B’in Music International Ltd. All Rights Reserved
--この映画は監督自身が経験されたこととフィクションの部分と、割合はどれぐらいだったんでしょうか。
「割合で言うと、なかなか……(笑)。強いて言えばですね、自分自身の経験の部分はおそらく3割ぐらいでしょうか。この部分は実際に演じてもらっているわけですから、シンミンの役柄の部分に反映されています。もちろん妻を亡くしてハネムーンに行くわけではないんですが、映画の中の彼女と同じように私も一人で旅に出ました。北海道の富良野のある坂道のところで、坂道を上ろうとしているおばあちゃんに出会いました。その時挨拶したのですが、おばあちゃんが日本語でいっぱい語ってくれたのに何もわかりませんでした。けれども、妙に慰められた気がしたんです」
--台湾には「父の初七日」という映画がありました。ヒロインが父を亡くし、しばらくして海外出張するときに、空港のアナウンスを聞きながら父を思い出し泣き崩れるのがすごく印象的でした。監督の作品ではヒロインが婚約者の弟の家に行き、二人で悲しみを共有する場面があって、それもすごく印象に残りました。2つの作品が重なって感動したのですが、この作品からインスピレーションを受けることはあったのでしょうか。
「ないと思います。その映画は僕も見たんですが、どこかユーモラス。そういうタイプの映画でした。実はシンミンと婚約者の弟が100日目までに会う場面をなぜ描いたかと言うと、私も29歳のときに兄を亡くしました。いつか兄を失った弟の役を映画で描きたかったんです。それで自分の悲しみをいやすことができる相手としてシンミンを登場させました」
--プレス資料にダイ・リーレン監督とニウ・チェンザー監督の双方にラフ編集の段階で相談したところ、それぞれが「ちょっと自分に編集させて」と言って、2つのバージョンができて、それを参考に監督がまた編集したと書かれています。
「本当にそうでした」

シンミンは夫と行くはずだった新婚旅行先の沖縄を訪れる (C)2015 Atom Cinema Taipei Postproduction Corp. B’in Music International Ltd. All Rights Reserved
--3つの編集に付き添った編集担当者は大変だったけれども、監督にとっては結果的に一番いい作品ができたと言っていいんでしょうか。
「この物語は私自身と密接な関連があるので、最初は自分で編集しました。ところが101分の長さまで編集して困りました。というのは、新たに映画の中に入れる材料が見つからない。しかも101分というのが長いと思い、どうカットしたらいいか迷っていた時に2人がやってきて、いろんなアドバイスをしてくれました。彼らは口を出すだけじゃなく、実際に編集をやろうと。ここはカットした方がいい、ここはいらないよね、という風に。例えばダイ・リーレン監督は結構バサバサ(笑)やってですね。なかなかいいじゃないかと。完成したバージョンの一部分は二人の監督が手を入れたところもあります」
--この作品を台湾以外で深く理解してもらえるのは日本だとインタビューで答えられていますけれども、それはなぜですか。
「私が思うに生命観、そして価値観。こういったことは台湾の人と日本の人はすごく近いと思います。また、儒教の伝統的な考え方、生と死に直面する時にどう対応するか。儀式にしてもそうですが、日本も四十九日の法要をしています。しかし、なんと言っても似ているのは生命観と価値観ではないでしょうか」
--他にも日本のマンガや映画を見て育った人が台湾には多いですね。逆に自分はこうあってほしいと思うことを、先に台湾がやってしまうことがありますよ。例えば原発を早々に止めることを宣言してしまうとか、もっと日本の方が真似していいのかなと思うんですけどね。
「台湾は今現在3つの原子力発電所があって、4つ目は一時建てようかという話がありましたが、それはやめましょうと。将来は全部やめましょうと。ものすごく議論が盛んですね。代替エネルギーはどうしようかということで。でもまだ結論は出てなくて、もう少し時間はかかるかもしれませんね。台湾本土はこの3つの原子力発電所から電力供給を受けてやっているわけです。日本も原子力発電所がいっぱいあるんですが、撮影で訪れた石垣島は全く原発の電力は使っていないと聞きました。台湾にはそういう島すらもない。まだ日本の方が、こういうところがあるからいいのかなと思いますね」

沖縄の坂道でお年寄りから話しかけられるシンミン (C)2015 Atom Cinema Taipei Postproduction Corp. B’in Music International Ltd. All Rights Reserved
--奥さまから「映画を作り続けて」と言われたということですが、いつのことだったのでしょうか。
「妻も生前私と一緒に映画を作っていた人です。私は非常に悲観的な人間で、すぐに挫折したり暗くなったりするんです。そのとき妻がよく言います。映画は続けましょうと励ましてくれるんです。例えば企画を立てて、助成金の申請をする。ところが結果は何ももらえなかった。がっかりしていると、妻が言うんですよ」
--この映画を台湾で公開したり、これから日本で公開するわけですけれども、奥さまにどう報告するのですか?
「彼女は私がやっていることを知っていると思います。例えばよくベランダでタバコを吸いながら彼女とおしゃべりするわけですよね。だからどこかに行って彼女にわざわざ報告しなくてもいいと思います。たぶんいろいろな場面で彼女と話をしていて、知ってると思います。おそらく亡くなった妻も兄もそうですが、どこかで見ているんですよね」
--シー・チンハンさんが撮影中に役柄になりきって、声をかけられなかったというエピソードが紹介されていますけれども、これは期待以上の反応だったのでしょうか。
「実は彼にこういう風に演じてほしいという期待は一切してなかったんです。というのは役を彼に全部任せたからです。きっと彼はうまく演じてくれると信じていました。彼は結局こういうかたちで役に完全に入り込んでやるということで、正直ものすごく感謝しています。同時に非常に辛いなと思います。本当にそういう状況ってすごく大変なんです」
--いま映画監督をやっていてよかったなと思うときはありますか。
「いつも自分は映画に携わることができて、こういう機会があって、すごく感謝しています。もちろん自分自身の能力の限界を知っていますから、たまに落ち込んだりします。もうちょっと良くできないのかと考えることもある。でもそれは自分に対するある種の要求ですからね。もっと良くしようということで。でも今監督をやっているということをすごく実感していて、今でも監督をやれるということに感謝しています」
--そうするとぜひ次回作をお伺いしたいんですけれども。
「まだ脚本を書いている段階です。リサーチをやっている段階で。もし映画化できれば、ふるさとの新竹で撮りたいと思っています」

ユーウェイは、自分の知らない亡き妻の様子をピアノ教室の生徒から聞くことになる (C)2015 Atom Cinema Taipei Postproduction Corp. B’in Music International Ltd. All Rights Reserved
--私も以前行ってきて、すごくいい町だなと思いました。昔懐かしい映画館もあったりして。台湾で一番最初に冷房が入った映画館だと聞いています。
「おっしゃるとおり、今は新竹映像博物館になっているところは、日本統治時代の映画館で、いち早く冷房を導入したところです」
--早く脚本が出来上がることを祈っています。
「(笑)ありがとうございます」
「百日告別」は2月25日から渋谷ユーロスペースほか全国順次公開【紀平重成】
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