第634回 「台湾萬歳」

勇壮な「カジキ突きん棒漁」の漁法を今も守るアミ族のオヤウさん (C)「台湾萬歳」マクザム/太秦
「台湾人生」「台湾アイデンティティー」で、台湾の激動の歴史に翻弄された日本語世代を描き続けている酒井充子監督の3部作完結編だ。古来より人の往来はあっても、台湾には変わらないものがある。それは豊かな自然の恵みと祈り、そして感謝の心。映画作りを通じてそのことに気づいた監督は、この地に「宝島」を見出したのかもしれない。
もともと台湾には先史時代から原住民族が暮らしていた。17世紀に入ると大陸からの漢民族移住が盛んとなり、またオランダが小さなこの島を占拠して以来、統治者はオランダ、鄭成功親子三代、清朝、日本と移り変わり、1945年の日本の敗戦により、中華民国の統治下に置かれた。その後、国共内戦に敗れた国民党は、台湾を拠点とし、49年から世界最長の38年間に及ぶ戒厳令を敷いた。

元カジキ突きん棒漁の船長だった張旺仔さん (C)「台湾萬歳」マクザム/太秦
台湾に行くと、いつも心が和むのはフレンドリーな笑顔に出会うことが多いからだ。日本人と分かると、知っているスターの名前をあげ、好意を示そうとする小学生。道を尋ねると、スマホを駆使して、何とか道順を調べようとする若者。もちろん日本語世代のお年寄りは懐かしそうに話しかけてくる。東日本大震災の時に200億円もの義援金を寄せてくれたことはよく知られている。過酷な歴史の記憶を乗り越えて、なお人を思いやる心遣いに感心する。この優しさはどこから来るのか。
三部作最終章の舞台として監督が選んだのは、太平洋に面した人口約1万5000人の人びとが暮らす台東県成功鎮の周辺。肥沃な耕作地が広がり、台湾高鉄(新幹線)が走る西海岸とは対照的に、太平洋と急峻な山脈にはさまれたこの地域は長らく交通も不便で、原住民族のアミ族が暮らしていた。1932年に徴用で駆り出された彼らの手で漁港が完成して以降、日本人や漢民族が移住し、漁業と農業の街が作られていく。日本人が持ち込んだ「カジキ突きん棒漁」と呼ぶ伝統漁法は、いまも続けられている。

娘から新年のあいさつを受けご満悦の張さん (C)「台湾萬歳」マクザム/太秦
81歳の元漁師、張旺仔さんは台湾最南端の恒春で生まれ、小学2年生の時に成功鎮に引っ越した。14歳で戦争が終わり、19歳の時に兄と一緒にカジキ漁船に乗り始めた。念願のカジキ漁船長は30歳時に。「8人乗りの船なら8家族を養う責任がある」。その覚悟で病気で引退する49歳まで頑張った。
今は畑仕事が日課で、イモやバナナ、パパイヤを栽培し、午後は自然に足が海辺に向き、魚の水揚げや、市場の様子を眺めている。現役時代、獲ってきた魚を料理するのは妻の典子さんだった。映画の中でも魚を見事にさばき、肉厚の刺身をたっぷり並べるシーンが印象的。ふたを引き上げて上から開ける横長の業務用大型冷凍庫が、活気に満ちたかつての暮らしぶりをうかがわせる。
いまもカジキ突きん棒漁を行うアミ族のオヤウさん(69)は名船長と呼ばれた張さんの若いころの姿をほうふつさせるという。彼が船の上で履いているのは日本の足袋。踏ん張りがきくので手放せない。一方、同じアミ族で妻のアコさん(62)が母親から受け継いだ土地にある家で、夫婦は祈る際に中国式に紙銭を焼く。この地区で言語を始め固有文化と伝来文化が暮らしの中で多層に折り重なっている。

ブヌン族の母から教わったことを歌にして娘たちに聞かせるカトゥさん (C)「台湾萬歳」マクザム/太秦
台東県延平郷に住む中学教員でシンガー・ソングライターのシンシン・イスタンダさん(41)の通称はカトゥ。パイワン族の父とブヌン族の母の間に生まれたが、祖父の日本名が加藤四郎だったので、そう呼ばれる。
カトゥさんと幼馴染のダフさん(41)の2人はブヌン族の伝統的な狩を今も続ける。森に入る前に「途中の道をお守りください」と必ず先祖に祈りを捧げ、獲物をていねいにさばく。内臓の一部を先祖にも捧げ、またどこも無駄にしない。祈りは先祖と生き物への感謝の気持ちを表し、結果的にエコにもつながる。かつては日本の暮らしの中にもあった祈りと感謝の気持ちが台東県では今も生きているのだ。
カジキ突きん棒漁の元名船長だった張さんは、戦後も台湾に残った沖縄出身の船長の下で働いたことがある。尖閣諸島周辺で漁をし、船長の出身地である伊良部島で一泊したこともあったという。これが事実とすれば、海上の往来は今よりも自由だったのかもしれない。

市場には今日も威勢のいい声が飛び交う (C)「台湾萬歳」マクザム/太秦
台湾は地形的な理由から様々な人々が往来した。統治者も幾度となく入れ替わり、時に不幸な事件も起きたが、民主的な手続きを経て現代に至っている。一方文化の受け入れ方は柔軟だ。刺身には必ずわさびをたっぷりと添える。ブヌン族は狩りの際にもわさびを携帯する。伝統漁法や足袋の活用、カラオケで歌われる日本の歌。あげればキリがないほど。日本以上に異文化を取り込むのが上手だ。その柔軟さと対をなす様に人を思いやる心は篤い。想像するに柔軟さと思いやりは、支配を受けるたびに培われた生き方の智恵なのかもしれない。
再び張さんの畑。心地よい風が吹き、光があふれる。ゆっくり立ち上がり、思わず日本語の歌詞を口ずさむ。
米は二度なる 甘蔗(かんしょ)は伸びる
名さえ蓬莱 宝島
台湾楽しや 良い所
(「台湾楽しや」:作詞 辰巳利郎 作曲 山川康三)
まさに宝島だ。
「台湾萬歳」は7月22日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開【紀平重成】
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