第643回 「ソウル・ステーション/パンデミック」

逃げ場を失ったへスンは電線を伝って逃げようとするが…… (c)2015 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & Studio DADASHOW All Rights Reserved.
このサイトでもご紹介したばかりの「新感染 ファイナル・エクスプレス」(第640回)には恐るべき前日譚があった。時速300キロを超える高速鉄道がちょうどソウル駅を出発するころ、駅周辺では謎のウイルスに感染したゾンビ集団と人間との生死をかけた争いが勃発していたのだ。「新感染」は様子のおかしい1人の女性客が発車寸前の列車に駆け込んだことがきっかけで、疾走する列車内でエゴをむき出しのバトルが繰り広げられる娯楽大作だったのに対し、本作はなすすべもなく逃げまどう弱者の姿を追った社会派格差ホラーだ。実写とアニメーションの違いはあるものの、映画の中のお話とは言わせないリアル感に満ちている。
それもそのはずで、ヨン・サンホ監督は、「韓国を象徴する場所の一つであるソウル駅の周辺で、ここ数年、繰り広げられてきた数々の出来事を基にストーリーを作り始めた。浮かんだのはゾンビ映画」と製作の経緯をプレス資料で語っている。見た目はゾンビ映画でも、現実社会をモデルにしているからこそ、絵空事とは思えない手ごたえがあるのだろう。

キウンは勝手に出会い系サイトにへスンの写真をアップする (c)2015 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & Studio DADASHOW All Rights Reserved.
ソウル駅の一角で老いたホームレスの男が首から血を流し動けないでいた。気づいた弟が助けを求めに行くが、耳を傾ける人は誰もいない。ようやく元の場所に戻った時、兄はすでに死んでいた。駅員を連れてその場に戻ると、兄の姿は見えず、血痕だけが残っていた。やがて、なぜか生き返って若い男にかみついている凶暴な形相の兄を発見する。かまれた人が次々にウイルスに感染し、新たに別の人間を襲っていくというパンデミックの始まりだ。
同じ日、元風俗嬢のヘスンは借金苦にあえいでいた。そのヒモ男であるキウンは勤労意欲など元からなく、一緒に暮らすヘスンの体を売ってカネを稼ごうと、勝手に出会い系サイトに彼女の写真をアップする。それが元でケンカしたヘスンは家を飛び出し、深夜の街をさまよう。一方、キウンはサイトを見て連絡してきた中年男性と落ち合うが、彼はヘスンを捜している父親だと名乗る。二人でヘスンの帰りを待つうちに、宿が襲われ、目を血走らせたウイルス感染者から逃げるはめになってしまう。

サイトを見てへスンの父親と名乗る男が現れる (c)2015 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & Studio DADASHOW All Rights Reserved.
ハリウッドをはじめ既存のパニック映画は、特殊能力を備えたヒーローたちが人類を救うために大活躍するという展開が定番だ。だが、本作では英雄は一人として登場せず、主人公のヘスンが逃げ惑うだけ。同行する中年男もホームレスで帰る家さえない。そんな社会的弱者たちがようやくたどり着いた安全の地で、守ってくれるはずの軍隊は市民に向かって発砲するのだ。
確かにウイルス感染者と長時間逃げまどい身なりもボロボロの人間とは見分けがつきにくいかもしれない。だが、それを確認もせず問答無用とばかりに発砲するのは乱暴すぎる。ヨン・サンホ監督は非常事態が起きたとされる時、国は国民に向かって発砲することもいとわないという危険性を我々に警告しているのだろうか。残念ながら近年、東アジアでも同様のことが繰り返されているの見ると、その懸念が「正解」であることを証明していると言わざるを得ない。

暴徒と化したウイルス感染者が追ってくる (c)2015 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & Studio DADASHOW All Rights Reserved.
状況は全く違うが、関東大震災の時にデマが広がり朝鮮人多数が殺されたという史実を思い起こす。筆者自身、教科書でも習った記憶があるし、これを否定する声が出るたびにすかさず反論されていることはご存知の通りである。否定する人も地震等で社会が混乱した時、デマが起きやすく、それが元で思いもかけない事件に発展しやすいことは認めるだろう。そして社会的弱者やマイノリティーがそこにからめば彼らの不利に働くことは想像に難くない。
この作品はゾンビ映画を装いながら、実は社会の病理を巧みに描き、様々なことを我々に考えさせる深い作品という事が分かる。

軍隊が発砲する先は暴徒だけではなかった (c)2015 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & Studio DADASHOW All Rights Reserved.
さて、ヨン・サンホ監督が影響を受けた監督や、集中的に見た作品として自ら名前を挙げたものがプレス資料に掲載されている。ジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』や日本の漫画と映画の『AKIRA』(大友克洋監督)、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(押井守監督)、さらに宮崎駿、スタンリー・キューブリック、デビット・リンチ、そして韓国のイ・チャンドン、ポン・ジュノ、パク・チャヌクといった映画史に残るそうそうたる作品と監督の名前が並ぶ。
作品の中に、それらの影響があるかどうか自分の目で確かめることも楽しみの一つである。
同監督の作品では同じアニメーションで新興宗教を告発する「我は神なり」の公開も10月に予定されており、本サイトで近くご紹介する。
「ソウル・ステーション/パンデミック」は9月30日より新宿ピカデリーほか全国順次公
開【紀平重成】
【関連リンク】
「ソウル・ステーション/パンデミック」の公式ぺージ