第650回 「ジョニーは行方不明」のホァン・シー監督に聞く
台北で暮らす人々の日常を情感豊かに描いた本作。「黒衣の刺客」でホウ・シャオシェン監督の制作班に入り、同監督からの影響を自認するホァン監督に制作の舞台裏を聞いた。
7月の台北映画祭に脚本賞など4部門で受賞した本作は、11月の金馬奨でも主演のリマ・ジダンが最優秀新人賞を受賞。その直前に東京フィルメックスのゲストで来日した監督は、終始穏やかな笑みを絶やさず、映画作りへのこだわりを披露した。
−−大変美しい映像がたくさんありました。自転車の好きなリー青年が水たまりをキャンバスのようにして波紋を描いていくシーンとか、電飾イルミネーションの室内とか。何気ないものをまるで手品で別物に生まれ変わらせたかのように生き生きとした映像でした。こういう手法を取り込んだ意図やヒントにしたものがありましたら、お聞きかせください。
「この映画は物語を順に語ろうという意図はなく、あるムードを撮ろうとしたんです。日常生活をリアルでありながら美しく撮るということが狙いでした。美術の人も一生懸命考えてくれましたが、主にカメラマンのヤオ・ホンイーさんと相談し、生活の質感を持たせながら、部屋の乱雑さの中にも美しさがあるという点を狙ったわけです」
−−インコがカップ麺のヌードルを食べる、あるいは別の鳥がカットされたりんごを足で口元まで持ってきて食べると。そういう珍しいシーンもありましたが、これは偶然ですか、それとも最初から意図していたのでしょうか。
「インコはとても役者ですよね。非常に演技がうまかったです。でもそこに行くまで、リマ・ジダンはセットのあの部屋でインコに慣れるため2カ月一緒に暮らしました。その頃ちょうど彼女は恋愛していたんですけど、恋愛を控えめにして、外に出ないでなるべくこの部屋にいてね、って言ってインコとうまく演技ができるようにしたんです(笑)」
−−やはり工夫と努力が必要だったわけですね。私の受け止め方ですが、何が起きようと人は何事もなかったように淡々と暮らしていく。そういうことを描こうとしたのかなと思いました。
「その通りです。人間というのは日常の循環というのがとても大事で、どういう目にあったとしてもそこに戻ってくる。例えばこの映画のラストでリー青年がエンドクレジットの後にまたワンシーン出てきますよね。あのシーンで彼がまた日常の生活に戻ってソファにもたれているというところ。あれも彼の日常に戻ったということを表現しています」
−−ホウ・シャオシェン監督の「悲情城市」も、兄弟が殺されたり戦地から帰ってこないとか、そういうことがあっても暮らしは続くという。そこに共通点を感じたんですね。
「それを言われるとは驚きました。みなさんは比較する作品に『ミレニアム・マンボ』を挙げるんですよ。なぜかと言うと、表面的に似ているから。映像的にですね」
−−たとえば走ったりとかですね。
「それは表面的なところを見たからだと思いますが、私が伝えたいメッセージはもっと中身の部分。そこに共通点があると言っていただいたのはサプライズでした」
−−たとえば「悲情城市」で円卓を囲んで食事をして。それは人間は食べないと生きていけないわけですよね。そのへんの描写に「でも人生は続くんだよ」というメッセージを感じました。そこでお伺いしたいのですが、似ていると感じるところ、表面的なところや深いところも含めてですが、やはりホウ監督の影響というのはあったのでしょうか。
「私はニューヨークで映画を勉強していたのですが、その頃はまだ20代だったのでホウ・シャオシェン監督のような雰囲気の映画は好きではなかった。もっとヘビーな、ウォン・カーウァイとかマーティン・スコセッシやクエンティン・タランティーノといった監督の作品が好きだったんです。台湾に帰ってホウ監督の会社で少し働いた後、別の所に行って、長い間ホウ・シャオシェン監督のチームから外れていたんです。そして「黒衣の刺客」の時に初めて戻ったので、そんなに影響は受けていません。でもみなさん、この映画を観て「台湾のヌーベルバーグ」「台湾ニューシネマ」の雰囲気がある、その系列を継ぐものだと言われますが、自分ではちょっと驚きですね。それでも、撮り終わって自分の映画を改めて観たときに、ああ、ホウ・シャオシェン監督の映画の影響をかなり受けていたんだと(笑)。さすがホウ監督、こんなに自分に影響を与えていてすごいって思いました」
−−アメリカでの映画の勉強についてお聞かせください。
「ニューヨーク大学の本科で4年間勉強しました。今は知りませんが、当時のカリキュラムは映画専攻でも映画もテレビも全部やらなくてはならなかった。映画も監督業だけでなく、撮影、脚本、演技も全部勉強しなくてはいけなかったんです」
−−ニューヨーク大学は制作まで勉強させられると聞いたことがあります。
「そうです。プロデュースもありますね」
−−スコセッシさんの授業なんかも受けられたんですか。
「直接その授業を受けたことはないんですが、彼も卒業された大学ですよね。でも作品は観ました」
−−学校は違うんですけれども、エドワード・ヤンもアメリカで勉強した。監督もアメリカで勉強した。ですから感覚的にエドワード・ヤン派に近いのかなとも思うんですけれども、そのへんはいかがでしょうか。
「影響を受けているかということですか?」
−−はい。
「いや、とくにないです(笑)。実はあんまり観ていないんです。すごく失礼かもしれないんですけれど。よく聞かれるんです。『台北ストーリー』が公開されたとき、私はまだ小学生だったから、分からないですよね、エドワード・ヤン作品の魅力というのは」
−−自転車の好きなリー青年(ホァン・ユエン)が出てきます。彼は映画の中に溶け込んでいましたけれども、彼を登場させた狙いというのはどこにあったんでしょうか。
「リーリンの存在感というのはこの作品の中ではちょっと独特なものでした。2人の主役、要するにフォン役のクー・ユールンとリマ演じるシューの2人は役の中にグッと入り込んでいけばいいんですけれども、ホァン・ユエンの演技というのはそうじゃなくて、もうちょっと抽象的な演技を要求されるわけです。彼の存在は<失意の中にある若者>というような設定にしているわけです。彼はすごく演技を強く出すのではなくて、例えば自転車に乗っているシーン、歩いているシーンでもって、緩やかに自分の演技を表現していくという、かなり難しい演技でした」
−−でも非常に存在感がありました。主役の一人のリマ・ジダンさんをキャスティングしたきっかけと、エピソードがあればご紹介ください。
「この役というのはキャスティングが難航しました。とてもリアルな生活の雰囲気を出さなくてはいけないのですが、ヒロインは映画の中で間違いばかりおかしている。そういう失敗の多い女の子の役なんです。でも彼女の特徴というのは、それでも前に進んでいこうという前向きな力をずっと持ち続けているところです。そういう女優を探さなければならなかった。それでなかなか見つからなかったのです。もともと台湾の女優は選択の範囲がそんなにないのでいろいろと悩んでいたわけですが、あるとき友人が、司会・MCをやっている人を紹介してくれた。ネットで観てみたらなかなか良くて、2回彼女とコーヒーを飲んで、いろいろと話をして、彼女しかないなと思いました」
−−監督はジダンさんも含めて、役者の魅力を引き出す力をすごくお持ちだと思いますが、それは努力されたんでしょうか。もともとのものなんですか。
「その面ではホウ・シャオシェン監督の影響をかなり受けています。撮影をどういう風に進めるか、役者をどういう風に動かすかっていうことについてです。ホウ・シャオシェン監督の特徴は、あるシーンを撮るときにその場に役者を入れるわけですが、具体的な指示をしない。大体こういうことなんだということは言いますが、立ち位置を指示しないというのが特徴です。撮る空間の中で自由にやってもらうということ、リアルにその人物になりきるっていうことをホウ・シャオシェン監督は要求する。私も影響を受けて、この作品を撮るときには、必要最小限のことしか伝えなかった。例えばあることを彼女にやってもらうためには、この人物が前にどんなことをして、これからどんなことをするのかだけを伝えて、真ん中で今やるべきことっていうのは言わない。そうやって撮ります。それでワンテイクがすごく長くなる。まるでドキュメンタリーみたいになります。20分ぐらいかかったテイクもあります。もう大変です。録音の人たちも、うわーーってなっている。もちろんリマ自身も泣くシーンをずっと考えて、次どうなるというのも考えてやっているわけですから、それは長くかかります」
−−それは「黒衣の刺客」も参考にされたわけですか?
「『黒衣の刺客』はチームに戻ってきてからですね、ホウ・シャオシェン監督のすぐそばで、監督班に属してじっくり見たんですけれども。それよりもっと前に最初ホウ・シャオシェン監督の会社に入ったときに、『憂鬱な楽園』でそのあたりは観察していました。やっぱりホウ・シャオシェン監督の現場っていうのはアクションって声をかけないんです。静かな雰囲気の中で俳優が自然にその役を始めていくんです。そういう特徴があります。アクションって声をかけられると役者っていうのは自然と身構えますよね。身構えて演技をやりすぎる。やりすぎることを避けるためにそういう言葉はかけません」
−−ありがとうございました。
チャン・チェンの父親のチャン・グオチューやホウ・シャオシェン監督作品の常連ジャック・カオらお馴染みの俳優が顔をそろえていることや、地下鉄の同じプラットホームに逆方向に相次いで到着する2台の電車に主役の3人を連続して登場させるシーンなどは、作り手の映画愛を感じて微笑んでしまう。そしてラストの高速道路上の大エンスト“事故”。ホウ・シャオシェン監督の作風に表面的には似ていても、新感覚の映像として鮮やかに、深く記憶に残ることだろう。
これは日本公開するしかない! ですよね。【紀平重成】
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