第666回 「昨日からの少女」

インタビューに応えるファン・ザー・ニャット・リン監督(2018年3月17日、筆者写す)
どこの国でも人気のある映画といえば、ラブストーリーはまず欠かせない。ベトナムも同様で、観客を大量動員する作品が続々と作られているが、「ベトナムの恋愛映画は男の子が女の子に好きだとなかなか言いだせないのが特徴」とファン・ザー・ニャット・リン監督は笑う。大阪アジアン映画祭で上映された本作の見どころを監督に聞いた。
物語の舞台はベトナム戦争から22年を経た1997年のベトナム南部の田舎。トゥは高校3年生でクラス一の落ちこぼれだった。その原因は幼いころ、初恋の相手だった少女ティウ・レイに自分の思いを上手く伝えられなかったことにあるらしい。それから10年後、彼のクラスに容姿端麗なベト・アンが転入してくる。彼女に一目ぼれしたトゥは、今度こそ好きになった彼女に自分の思いを伝えようと、あの手この手を尽くして試みるのだが、ことごとく裏目に出てしまう。起死回生の妙手を彼は見つけることができるだろうか。
−−恋愛映画は世界各国で作られています。監督の考えるベトナムの恋愛映画の特徴を聞かせてください。
「確かにラブストーリー映画というのは世界中に似たようなものがあって、男の子が女の子を好きになって追いかけるというパターンが多いと思います。でもベトナムの恋愛映画というのは、なかなか男の子の方が好きだと言い出せないところだと思います。それ以外でも、自分の気持ちを人前で言うことに慣れていないというのも特徴だと思います」
−−それは監督自身の経験ですか。
「確かに自分の高校時代も、あんなふうな感じだったらいいな、というような願望も入っています。自分は非常に真面目な学生だったんですね。映画に出てくるようなラブストーリーとかロマンチックなものにあこがれていたということもあります」
−−原作は「草原に黄色い花を見つける」(ビクター・ブー監督=大阪アジアン映画祭2016年)と同じく、人気作家グエン・ニャット・アインによる同名小説です。この作品を題材に選んだ理由は?
「この物語は私が好きな本のひとつで、この作家の本の中からどれかを題材にして映画を作りたいと思っていました。自分が描きたいと思っていた10代の頃の話と、子どもの頃の話が混ざっていて、もう一つ、インターネットがない時代の物語を描きたかったということもあります。もう私たちが戻れない時代でもあるし、美しい時代という風に考えています。今はソーシャルネットワークがあり、若者たちは簡単につながることができます」

昨日からの少女」の一場面。中央が主人公のベト・アン(ミウ・レ=大阪アジアン映画祭提供)
−−「草原に黄色い花を見つける」は私のコラムでも紹介しましたが、読者からの反応が一番良かったんです。そうすると、日本の人は田舎とか郷愁、恋愛というキーワードに反応しているのかな、と思いますが、ベトナムでも同様なのでしょうか。
「ベトナムでヒットする作品は、一般的にはコメディ、おもしろい、きれいなかわいい女の子、力強い女の子といったものがキーワードになっていると思います」
−−きれいな女の子という言葉が出ましたが、今の女の子もあんな風にきれいなアオザイを着ているんでしょうか?
「一部の高校では、アオザイを導入しているところもあるんですが、そんな学校でもほとんどは毎週月曜日にセレモニーがあって、そのときにアオザイを着るということになっていて、今ではごく一部の学校に限られています」
−−映画のエンドロールでCJという韓国の映画制作・配給会社の名前が入っていたのですが、この作品にはどのように関わっているのでしょうか。製作費とか脚本などで……。
「CJエンターテイメントというのは4年前にベトナムに進出してきて、私の第一作目の『ベトナムの怪しい彼女』を一緒に作った会社でもあるんです。あともう1本一緒に作ろうという約束がありましたので、そういうふうになっています」
−−大変反応が良かったんですね。
「昨年で2番めの興行成績でした」
−−そうするとCJは目利きのできる会社ということですね。
(笑)

ポスターの前でポーズをとるファン・ザー・ニャット・リン監督(大阪アジアン映画祭提供)
−−この映画の時代背景を知りたいのですが、ベトナム戦争が終わってからすぐなんでしょうか、それとも少し経っているのでしょうか?
「原作が出版されたのは88年です。この原作は78年から88年ぐらいを扱っていました。映画には私個人の経験を反映させたいという思いがあったので、10年ずらし、だいたい87〜88年から97〜98年を描いています。主人公が経験していることは、ほぼ私自身の経験を反映したものになります。この時代を選んだ理由は、先ほど申し上げたインターネットがベトナムに入ってくる前の物語を描きたかったということです。ベトナムにインターネットが入ってきたのが大体97年。またベトナムでは86年から『ドイモイ』という市場経済導入路線が敷かれ、ベトナム社会が大きく変革しました。映画では明確には主張していないんですが、最後に隣りの家族が引っ越しするシーンがありました。実際に田舎から都市部に移動したり、ベトナムから海外に出ていく家族もあるといった時代でした」
−−幼い友だちが田舎から引っ越していったのは、まさにそういうことなんですね。喧嘩したからかな、と思っていたんですけど(笑)。ミウ・レは女優のスー・チーさんに似ているなと思ったんですけれども、彼女を「ベトナムの怪しい彼女」に続いて使ったのは何か理由があるのでしょうか。
「このプロジェクトが始まったときは新しい人を探そうと思ってたんですけれども、キャスティングを始めてひと月経ってもなかなかいい人が見つからなかったので、ミウ・レさんに戻ってきてくれないかと声をかけました。もうひとりの主人公、トゥの役を演じたゴー・キエン・フイも「ベトナムの怪しい彼女」で孫役を演じていたんですけれども、いい化学反応を起こしていたということで、今回もふたりに登場してもらいました」
−−ヒロインの名前のベト・アンですね、日本語に直すとどういう意味でしょうか。
「原作にそういった名前があったので、そのままそれを引っ張ってきました」
−−実際はどういう意味ですか?
「意味はわからないんですけれども、響きとしてはキュートでミステリアスで、力強い印象です。ベトナム語で『アン』というのは平和なという意味もあります」
−−もしかすると漢字とつながっているのかもしれませんね。世界的な監督でアン・リー監督とかいらっしゃいますもんね。
「そうですね」

サインに応じるファン・ザー・ニャット・リン監督(大阪アジアン映画祭提供)
−−どういう観客層にこの映画は受け入れられたんでしょうか。
「中心としては(79年生まれの)私と同世代の人たちで、私もそうですけど、映画を見て昔の自分を思い出す人たちです。特に曲は97年に流行ったものをたくさん使ったということもあって、音楽に惹かれた人も多かったようです。一番楽しんでくれたのは同世代なんですが、若い人にも楽しんでもらいました」
−−次はどんな作品を?
「いろいろ撮りたいものはあるんですけれども、子どもに関するお話になります。その次はフィクションの歴史ものですね」
−−いつごろの歴史ですか?
「4000年ほど前の神話的なものになります」
−−ほお〜興味深いですね。あと英語が大変お上手ですけれども、どこで習われたんでしょうか。
「映画製作を学びにアメリカに行きまして。サウスカルフォルニア大学です」
1975年にベトナム戦争でアメリカに勝利したベトナムでは戦争と革命の社会主義リアリズム映画が次々に作られた。しかし、2000年代に入ると、そんな作品は時代遅れとなり、皮肉にもかつての「敵国」でスキルを磨いた若手監督のコメディやホラー、そして本作のような恋愛映画がたちまち若者から支持を集めたという。【紀平重成】
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