第672回 「クレアのカメラ」

マニ(キム・ミニ=左)はパリから来たクレア(イザベル・ユペール)に声をかけられ親しくなる (C)2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.
映画の中に映画を取り込んだり、同じシーンを繰り返したりと自由自在に映画を撮るのがホン・サンス監督のスタイルである。本作の場合もその精神は貫かれており、なんと主役はカメラ。監督のミューズとして注目を集めるキム・ミニと「3人のアンヌ」で監督と意気投合したイザベル・ユペールを押しのけて存在感を発揮しているのだ。
そもそもホン・サンス監督の着想が素晴らしい。2016年のカンヌ国際映画祭でイザベル・ユペール(「エル ELLE」)とキム・ミニ(「お嬢さん」)がそれぞれの出演作の上映で現地入りした機会をとらえ、わずか数日で撮ってしまった。ホン・サンス監督ならそれもありかと思いつつ、よく考えてみればすごいことである。
さらにユニークなのはカンヌでロケハン中に海岸沿いの道路下でトンネルを見つけ、みるみるイメージを膨らませ物語ができ上がったという。場所と俳優、さらにストーリーまで決まれば、半ばでき上がったも同然だ。軽やかで、ユーモアにあふれ、しかも誰も見たことのない作品の誕生である。

クレアはソ監督に声をかけ親しくなる (C)2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.
映画会社で働くマニ(キム・ミニ)は、カンヌ国際映画祭に出張中、女性のナム社長(チャン・ミヒ)から理由も告げずに解雇されてしまう。格安航空券のため帰国日を変更することもできず、そのままカンヌに残ることにしたマニは、ポラロイドカメラを手に観光して回るクレア(イザベル・ユペール)に呼び止められ親しくなる。クレアは、自分が一度シャッターを切った相手は別人になってしまうという自説を重んじる不思議な人物だった。にわかには信じがたいマニは自説を確信している様子のクレアとともに自分が解雇を言い渡されたカフェに行く。クレアが同じ構図でマニの写真を撮ると……。
その日、クレアは別のカフェでくつろいでいた時、見知らぬ男に声をかけていた。酒を飲むと女ぐせが悪いと評判のソ監督(チョン・ジニョン)だ。成り行きでナム社長を加えた3人で食事を共にする。ここでもポラロイドカメラを持ち出しソ監督の写真を撮ったクレアはナム社長から写真にこだわる理由を問われ、写真を撮られた人は別人になるという自説を再び持ち出す。この考えに興味を覚えたナム社長はクレアに写真を撮ってもらう。

マニもかわいがった犬を見つけ撫でるクレア (C)2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.
映画祭の舞台裏で交わされる人間模様を描きながら、監督はまるでカメラに人の心を操る魔力があるかのように進行を委ねていく。カメラのシャッターが押されるたびに、被写体となった人に奇妙な変化が始まるのだ。見た目は同じでもメイクが濃くなったり、急に酒に酔いだしたり、あるいは仕事上の決断を考えなおしたりと。
カメラと同様の力を持っていそうなのが海岸沿いにある道路下のトンネルだ。手すりのついた階段が一部見えるものや、天井が低い場所もある。映画ではトンネルの中までは映らないものの、マニやクレアが通りかかると足を止め中をうかがう場面が少々不気味である。
人生は自分の思い通りにはならないものの、あきらめずに信じる道を進めば道は開かれるかもしれない。あるいは無理を通せばどこかにしわ寄せが行き自分に跳ね返ってくることもある。映画を見て、そんな人生訓を思い起こすのも楽しい。

解雇された場面をクレアに伝えるマニ (C)2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.
主役はカメラと紹介したが、短期間の撮影という難しい課題によく応えた俳優陣の力は多いに評価したい。カメラ小僧のようにどこでも写真を撮り、人と人をつなげ、あるいは逆に疑心暗鬼にさせた上、不思議な自説を相手に信じ込ませる役どころは、なるほどイザベル・ユペールにしかできないだろうと納得する。
ホン・サンス監督との男女関係を認めたキム・ミニの表情豊かな演技も印象的だ。とりわけ冒頭に解雇を宣告される場面での繊細な表情の変化はなかなかの見せ場といえるだろう。
このほかホン・サンス監督自身をほうふつとさせるチョン・ジニョンの悪酔いぶりと、ソ監督とナム社長との男女関係をめぐる本音トークは見逃せない。芸達者をそろえたからともいえるが、彼らの能力を存分に引き出した監督の演出力にも改めて敬意を表したい。
「クレアのカメラ」は7月14日よりヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
【紀平重成】
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