第692回「詩人」

詩人のリー(チュウ・ヤーウェン=手前)は妻のチェン(ソン・ジア)に支えられて詩を書き続ける (C)2018 Edko Films Ltd. All Rights Reserved.
戦争の時代を描く映画が繰り返し作られているように、政治、経済の大きな動乱に巻き込まれた庶民の哀歓を丹念に拾っていく秀作は多い。10年に及ぶ文化大革命の混乱が終って間もない1978年に市場経済を導入した中国が改革開放路線にまい進し始めて今年はちょうど40周年。先の東京国際映画祭で上映された本作は同様に未曾有の経済発展に翻弄されたある夫婦の物語だ。
舞台は改革開放の波が地方の小都市に及び出した80年代半ば。詩の創作に才能のある鉱山労働者のリーは紙とペンで自身の運命を変えようとしていた。その才能を理解する妻のチェンは夫の夢をかなえるため自分の昇進やささやかな思いまでも押し殺して彼を支えた。その甲斐あって夫の詩集が出版され、職場でも有名になり、上司の計らいで鉱山の重労働からも解放される。しかし急速な経済成長は人々を拝金主義へと駆り立て、労働をたたえた彼の詩は見向きもされなくなる。やがて彼自身、詩の創作意欲を失い、睦まじかった夫婦に隙間風が吹き出す。

鉱山の仕事は重労働で厳しい (C)2018 Edko Films Ltd. All Rights Reserved.
文革後の経済発展とその波に取り残された人々の悲哀というテーマですぐ思い出すのはリー・チーシアン監督の「1978年、冬。」だ。文革が終わりを告げ、人々が自由の光に戸惑いながらも、おずおずと歩み始めた78年冬。地方都市・西幹道で暮らす年の離れた兄弟の前に、親類を頼って北京からやって来た孤独な少女が現われる。都会の匂いのする彼女に憧れを抱いた兄弟は、初めての感情を持てあましながらも彼女と交流を深めていく。
「1978年、冬。」は時代が「詩人」より数年早い猛烈な経済発展の前夜という位置づけなのに対し、本作では機会があれば条件のいい仕事にありつきたい、あるいはもっとお金を稼ぎたいという熱気が国中に行き渡り始め、経済発展が本格化している時期という若干の違いはある。しかし経済成長には豊かになる光の部分とともに流れに取り残されたり道を踏み外す陰の部分を必ず伴う点で2作品は共通している。

チェンは夫の成功を夢見るが、今の生活が壊れることを恐れる (C)2018 Edko Films Ltd. All Rights Reserved.
もうひとつ共通するものを感じるのは「詩人」のリウ・ハオ監督とリー・チーシアン監督が共に第六世代に属する監督という点である。この世代の監督に共通するのは現代中国が抱える様々な歪みを身近な題材で描くスタイル。社会批判を含む作品は、しばしば当局からマークされ公開には至らない場合もあるが、インディペンデント活動を充実させるという皮肉な副産物をもたらせている。巨匠として認められながら毒のある作品とは無縁になった感のある第五世代の監督たちとは対照的だ。
たとえば本作で詩に理解のある幹部が鉱山に赴任した際のあいさつで労働者の心構えを訓示したのを受けて、後に主人公のリーが自身で考えだしたかのように一字一句同じスピーチを女子工員たちに話す場面は、共産党の支配体制が建前だけの薄っぺらいものであることをさりげなく示しているように見える。言葉さえ整っていれば何を言っても問題なしという日本の空虚な国会答弁と相通じるもを感じさせる。

夫婦相愛の2人は町でも評判だ (C)2018 Edko Films Ltd. All Rights Reserved.
詩を書くことができなくなった詩人はどうなるのか。御覧になっていない方もいると思うので、その行方については触れないが、妻のチェンは形は違うものの、なおリーの傍らにいてリーを慕い続けているだろう。まるで彼女自身が詩の一部となったかのように。これもまた深い愛情の一表現といえるかもしれない。
濃密な愛を眼差しとゆったりした動作でエモーショナルに演じるのは「レッドクリフ」のソン・ジア。曹操の側室を妖しく演じたのが記憶に新しい。その夫にはテレビドラマで売れっ子のチュウ・ヤーウェンが味わい深く演じている。

妻の愛は深化する? (C)2018 Edko Films Ltd. All Rights Reserved.
日本でも現代と近い1960年代の建物は老朽化してロケ地を探すのが困難だが、日本を上回る経済発展を遂げる中国では年代を問わず建て壊され、80年代の建物ですらセットでないと撮れないという。筆者は88年に貴陽や延安、成都など中国の内陸部を3週間にわたって回ったが、多くのものは失われてしまったであろう。本作は記憶をかき立てる作品だった。
【紀平 重成】
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