第705回 「家族のレシピ」
日本とシンガポールの外交関係樹立50周年(2016年)を記念する作品と聞けば、そこにセレモニー的な匂いを感じ「あまり期待しない方がいいかな」と思うのはひねくれているだろうか。だがそんな心配を吹き飛ばしてくれたのはやっぱりエリック・クー監督。漫画の世界に「劇画」というジャンルを生み出した辰巳ヨシヒロの半生を描く長編アニメ「TATSUMI マンガに革命を起こした男」の監督だ。ものを多面的にとらえようとする柔軟さが際立つ目線。彼だからこそラーメンとバクテーという日本とシンガポールのソウルフードを素材に2カ国3世代の家族を結び付ける物語も可能だったのだろう。
日本人の父(伊原剛志)とシンガポール人の母(ジネット・アウ)の間に生まれた真人(斎藤工)は急死した父の遺品の中に1冊の古いノートを見つける。そこには真人が10歳の時に亡くなった母が書いた料理のレシピや写真などと一緒に彼女の家族を思う気持ちと悲しみがつづられていた。真人は忘れかけていた過去を取り戻そうとシンガポールへ旅立つ。
真人はシンガポール在住のフードブロガー、美樹(松田聖子)の助けを借りバクテー(肉骨茶)の店を営む叔父(マーク・リー)と再会を果たすが、ようやく探し当てた祖母(ビートリス・チャン)はなぜか冷たい応対で玄関のドアをピシャリと閉めてしまう。やがて真人はこれまで知ることのなかった家族の悲しみや両国の悲痛な歴史と向き合うこととなる。
エリック・クー監督は映画の依頼を受けたときに「食」が文化的アイデンティティにとどまらず人生を形作り人々をつなぐ大きな力があると考え題材に選んだという。調べてみると両国には素晴らしい食べ物があった。シンガポールにはバクテーという比較的新しい国民食があり、豚の骨付きあばら肉などをニンニクやスパイス、ハーブと共に煮込んだ料理。中国から移り住んだ貧しい肉体労働者が力仕事に必要なたんぱく質を手早く安価に取ることのできる食事として定着した。
一方のラーメンも同様で経済発展とともに大衆化し、さらに一部は高級化して海外からも味を求めて行列する姿を見かけることが日常化している。その変貌ぶりは著しく、いまやどちらも下層階級の食事というイメージは払拭されている。
監督の非凡なところは、絶えずダイナミックに変化していく食の文化の柔軟さと、その一方で占領下の恐ろしい記憶がもたらす強固な嫌悪感を対立させながら、祖母と孫の和解が果たして可能かどうかを探ろうとしているところだ。歴史に根差した人間の感情は簡単には修復できない。しかし時代とともに社会に適応し進化する料理のように柔軟な発想を忘れなければ、時には相手の思いを受け入れ、許すことで和解することができるのではないかというメッセージだろう。
真人はバラバラになった家族を再びひとつにするため、自らのルーツに向き合い、家族の想いを融合させたある料理を完成させていく。
この映画には国際的な俳優陣だけでなく、写真家のレスリー・キーらアジアを代表するアート、料理のクリエイターたちが集まった。エリック・クー監督は調理人として彼らをまるでラーメンの具や隠し味のように一つ一つの素材を生かし、「絶品ラーメン」に仕上げたのかもしれない。
湯気や香りの漂ってきそうなラーメンをはじめシンガポールのバクテー、チキンライス、チリクラブ、フィッシュヘッドカレーが食べたくなる映画だ。
「家族のレシピ」は3月9日よりシネマート新宿ほか全国公開
【紀平重成】