第713回 「作兵衛さんと日本を掘る」

一本の映画にどんなタイトルを付けようかと監督や配給・宣伝の担当者たちが頭を悩ますことはよく知られているが、本作は「掘る」に二重の意味を持たせた点で成功といえるだろう。
福岡県の筑豊炭田で幼い頃から炭鉱労働者として働いた山本作兵衛(1892~1984年)は60歳代半ばになってから2000枚に及ぶ水彩記録画と日記を書き始めた。石炭産業の栄枯盛衰を労働者の視点からつづった作品群はその一部約700点が2011年に日本初のユネスコ世界記憶遺産に登録された。

本作は作兵衛の残した水彩画や日記をもとに熊谷博子監督が生前の彼を知る人々らの証言を丹念に集めたドキュメンタリー。国のエネルギー政策が石炭から石油へ、さらに原子力発電へと転換され、そのたびに労働者を使い捨てていく姿を見事に浮き彫りにしている。その意味では炭鉱は過去の遺物ではなく、労働問題や産業構造の今とこれからを考えるうえで大事なモデルなのである。
作兵衛は還暦を迎えて時間の余裕ができると、自分が体験した仕事や暮らしぶりを子や孫に伝えたいとの思いから絵筆を握り始めた。その腕は専門家の教えを受けたものではなく、いわば自己流。とはいえ力強い筆致が特色で、見ているとぐいぐいと引き込まれていく。
熊谷監督も映画のプログラムで「暗く熱い地の底、そこでふんどし一丁でツルハシをふるう男と、上半身裸で重い石炭かごを曳く女。最も過酷な労働のはずなのに、男たちは身震いするほどたくましく、女たちは艶っぽい」と原画を見た時の感想を話している。

炭鉱内で働く人々の描写も魅力的だが、描く対象は明治時代の水運にまで広がる。明治20年代に九州に鉄道が敷かれると、石炭輸送のために最盛期には8000艘も行き来していた川船の船頭は次々と失職。花形の船頭だった作兵衛の父親は天職ともいえる仕事に見切りをつけ家族と共に炭鉱に移った。
「ウヌー おかジョウキ奴めー いよいよおいらの飯茶碗を叩き落しやがった」という船頭の怒声を絵入りで紹介している。次々と新しい産業が生まれ、それによって衰退していく産業の担い手は路頭に迷うか、運が良ければ新しい産業に吸収されていくしかなかった。

自身も何度も仕事場を変えた作兵衛は後年、自伝でこう語っている。
「けっきょく、変わったのはほんの表面だけであって、底のほうは少しも変わらなかったのではないでしょうか。日本の炭鉱はそのまま日本という国の縮図のように思われて、胸がいっぱいになります」
経済が発展し新しものが次々と生まれていく一方で、労働者を使い捨てていくという日本社会の体質はちっとも変っていないということだろう。作兵衛に寄り添いながら明治以来の日本を掘って(見直して)みると日本の変わらない姿が見えてくる。

作兵衛が作った詩にはこんな作品がある。
ボタ山よ 汝人生の如し
盛んなるときは肥え太り
ヤマやんで日々痩せ細り
或いは姿を消すもあり
あ~あ哀れ悲しきかぎりなり
世の常を見事にすくい取った詩からは彼の洞察力を感じないわけにはいかない。作兵衛の描く労働者の遠くを見据えるような目とどこか重なって見える。
「作兵衛さんと日本を掘る」は5月25日よりポレポレ東中野ほかにて順次公開
【紀平重成】