第718回「『サタンジャワ』サイレント映画+立体音響コンサートの紹介と要人2氏のおまけ話
インドネシア映画の巨匠ガリン・ヌグロホ監督のサイレント映画「サタンジャワ」をベースに、サウンドデザイナー・森永泰弘さんの立体音響、さらに「水曜日のカンパネラ」のコムアイら日本・インドネシア特別編成音楽アンサンブルによる一日限りのライブコンサート上映が7月2日(火)に行われる。
この生演奏付き上映という形の公演は2017年以来世界各都市で開催されており、今回は日本公演のために全編新しく制作された音楽・音響を融合させる特別コラボ公演となる。この詳細についてはプレイベントや関連企画「東南アジア映画の巨匠たち」と合わせ主催する国際交流基金アジアセンターのサイトをご覧いただくとして、本コラムでは、かつて筆者がインタビューしたことのあるガリン・ヌグロホ監督と森永泰弘さんについて紹介する以下のコラムを一部を修正のうえ再掲載する。
銀幕閑話 第119回「インドネシア映画の魅力」(2006年12月26日)
このところ日本国内でインドネシア映画を見る機会が増えた。といっても、実際に見ることができるのは、東京国際映画祭や東京フィルメックスなどの映画祭で上映された作品が中心だが、「ビューティフル・デイズ」のように2005年に商業公開された作品も出始めている。
おもしろいのは、それらの作品が日本の文化との共通性を感じさせる一方で、様々な文化を継承、融合させた文化のルツボとでもいうべき様相も見せてくれることである。
「ビューティフル・デイズ」(ルディ・スジャルウォ監督)は高校を舞台に、初恋と友情との間で揺れる青春の悩みを描いたラブ・ストーリー。インドネシアン・ポップスに興じる女子高生の姿は日本の若者と何ら変わりはないし、恋や友情の悩みも同じだ。恋人がアメリカに行くというパターンも、日本、韓国、香港、中国など東アジアに共通する現象である。逆にいうと映画からスポーツまで、アメリカの文化が東アジアにいかに深く浸透しているかをうかがわせる。
その「ビューティフル・デイズ」を手がけたプロデューサーが新人のアガン・セントーサ監督を起用して制作したのが今年(2006年)の東京国際で上映された「ガレージ」。ロックバンドを結成した男2人、女1人のグループが大成功を収めるが、やがて恋愛騒ぎや家族の問題が起こり、友情と音楽のはざ間で試練の時を迎える。
メンバーのうち2人はもともとのミュージシャンだが、演技はまったくの素人。残る1人は音楽が初めて。ハンデをはね返す猛練習の結果、ドラマの中の3人の心情と音楽が見事なハーモニーを奏で、ミュージックビデオとしても堪能できる出色の作品に仕上がっている。
上映後のティーチ・インで監督から3人は映画撮影後もそのままバンドの活動を続けていることが報告された。なるほどうまいはずである。映画をきっかけに本物のバンドとしてデビューというのも面白い。会場に詰め掛けた日本在留のインドネシア人からは「今までのインドネシア映画とは違う作品で誇りに思う。きちんとインドネシアの文化を描いているところもいい」と熱いメッセージが寄せられた。
監督は「若い人が好きなことをやる時、周りの抑圧があっても、それを切り開いていくという姿を描きたかった」とスピーチ。インドネシアでは日本のバンドも人気があり、ファッションも日本に加え欧米から影響を受けているという。
一方、フィルメックスで上映された「オペラジャワ」はインドネシア映画界の重鎮、ガリン・ヌグロホ監督がインド発の叙事詩「ラーマーヤナ」を現代風に味付けし、ガムラン音楽や古典劇、現代美術などさまざまな芸術を融合させた意欲作だ。
「ラーマーヤナ」は誘拐された妻が途中、誘惑に心を揺るがせながらも夫に連れ戻されるという物語。インドからインドネシアに伝わった後も、少しずつ内容を変えてきた。
「落花生の外側の皮は同じでも中の形がみな違うように、文化というものは必然的に変わっていく」と同監督。
インドネシアでは来年(07年)1月に公開が予定されているが、「どんな反応があるか楽しみ」という。
テレビ局の発展やハリウッド映画の攻勢などさまざまな理由で衰退した同国の映画界において、同監督は復活の兆しが出てくるまでの低迷期に一人奮闘してきた。若手指導にも熱心で、2000年以降、「シェリナの冒険」のリリ・リザ監督ら彼の薫陶を受けた監督が続々と海外で受賞するほどの話題作を発表している。
ヌグロホ監督自身は現在、20世紀初めのオランダ領東インド時代にインドネシアの人々が目覚め、自己を確立していく長い闘いを描いた、プラムディヤ・アナンタ・トゥールの「人間の大地」の映画化に取り組んでいる。また「オペラジャワ」の北スマトラ版を俳優、言語を変えて作る計画もある。多民族国家インドネシアらしい試みである。【紀平重成】
※「『サタンジャワ』サイレント映画+立体音響コンサート」のプレイベントとして6月21日に映画上映&トークショーが予定されており、ガリン・ヌグロホ監督の『天使への手紙』も上映される。この作品の舞台となったスンバ島はヌグロホ監督が原案を作った『マルリナの明日』(モーリー・スリヤ監督)と同じ島だ。古い習慣が残る村に住む少年は悩み事があると天使に手紙を書き、返事を受け取る。やがて他の村との争いが起きる。ドキュメンタリー風の力強い映像が評価され、世界的名声を確立したガリン・ヌグロホ監督の長編第2作。この作品と「マルリナの明日」を見比べるのも面白いかもしれない。
銀幕閑話 第245回「マレーシア映画『KARAOKE』にサウンドデザインで参加した森永泰弘さん」(2009年5月29日)
今年(2009年)のカンヌ国際映画祭は日本人が海外のキャスト、スタッフに混ざっての映画作りに本腰を入れ始めたことをはっきり記憶する場だったかもしれない。日本映画はコンペの20作品に入らず、「ある視点」部門に参加した是枝裕和監督の「空気人形」も賞を逃した。しかし見た目は不振でも新しい芽は着実に伸びようとしている。監督週間に公式上映のマレーシア映画「KARAOKE」にサウンドデザインで参加した森永泰弘さんもその一人だ。
東京芸大大学院映像研究科博士課程の3年(当時)に在籍する森永さんがサウンドデザインを手がけた同作品には観客800人が集まり、上映後は大きな拍手がしばらく鳴り止まなかったという。
「初めてのカンヌで緊張もし、いろいろ大変でしたが、勉強になりました。お陰さまでトロント国際映画祭の正式出品も決まり、こちらも楽しみです」と夢を膨らませる。
同作品は、カラオケビデオを制作するためマレーシアの故郷に戻った青年が、自然に囲まれた村の魅力を再発見するという家族の物語。椰子の油を精製する工場の機械的な音がまるで音楽のように聞こえたり、あるいは観客がカラオケルームの中にいるかのような音作りを工夫したという。
中国系マレーシア人のクリス・チョン・チャンフィ監督とは2006年に韓国の釜山国際映画祭で出会い、意気投合して短編の「Block B」の制作に参加。その後、同監督の長編「KARAOKE」の制作が決まり、「もし撮ることになったらこういう風に音の効果が狙えるんじゃないか」などと熱く語ったところ、「じゃあ一緒にやってみようよ」と誘われた。
「海外で活動していくには、その映画を自分がどう解釈し、自分がかかわることでどういう作品になるのかを説明する言語化能力が求められます。たとえば監督やカメラマンがどういうアプローチをしているのかをまず聞き出し、カメラがそういう動きならこうできるので、もう少しカメラをこちらから始めてくれないかといった風に撮影現場で言える能力です。人それぞれ解釈もアプローチも違うので、よく戦場になるんですよ」と笑う。
雨降って地固まるのことわざではないが、そうやって培った人脈は強固で次につながるという。
サウンドデザインという職種は国によって考え方が違い、また映画によっては「録音」とクレジットされることがある。森永さん自身はその作品の音のすべてを担当し、かつ演出的要素も併せ持つと解釈している。
この世界にのめりこんだのは、大学院での雑談中、指導教官の一人からサウンドデザインという考え方を提唱しているアメリカのウォルター・マーチの名前を紹介されたことから。「地獄の黙示録」のフランシス・フォード・コッポラ監督から信頼されている映像編集のエキスパートだ。
森永さんはもともと音響には関心が強かった。「でもウォルター・マーチを知ってしまいましたからね。絶対そういう人が世界にいるはずだと信じていましたから、もうサウンドデザインをやるしかないじゃないですか」。博士課程に進んでからは彼を研究テーマにしている。
東京芸大は韓国映画アカデミーと提携して映画の共同制作や合同ワークショップを行うなどアジアやヨーロッパの大学、アカデミーと交流を深めている。森永さん以外にもどんどん海外に出て活躍の場を求める人が増えているが、その一方で飽和状態と言われる邦画の制作現場にアシスタントとして入る人も多い。歴史の浅い同映像研究科卒ではどうしてもお手並み拝見と見られがちだ。
「よそ者が来たと思われるくらいなら、僕は絶対他のフィールドで勝負したい。それなら迷惑をかけないわけですからね。自分を信じて」
オダギリジョーや木村拓哉、菊地凛子、小雪ら日本人キャストによる海外作品出演が先行した感のある国際交流は、スタッフの側にも徐々に広がろうとしている。
【紀平重成】