第734回「ガリーボーイ」
超格差社会のインドでスラム街生まれの青年がラップと出会い人生を切り開いていく。生まれつきの才能を生かし名をあげていくサクセスストーリーは珍しくはないが、自身の思いをのせたラップの曲が水先案内のように物語をぐいぐいとけん引していく展開は新鮮で力強い。
ムンバイにあるスラム出身のムラド。両親は彼がまっとうな仕事に就けるよう大学に通わせるため一生懸命働いていた。しかし、そんな親の想いを知る由も無くムラドは悪友と車上荒らしを繰り返し、医者の父を持つ身分違いのサフィナという恋人までいた。自分の人生は何も変わらない。そう信じていた彼はある日大学構内でフリースタイルラップのパフォーマンスをしていた学生MC シェールと出会い、ラップの世界にのめり込んでいく。目指すのはフリースタイルラップ大会での優勝だ。
自分の状況を語るのにラップは確かに都合がいい。たとえば生まれながらに貧困、格差と向き合わざるを得ないムラドが社会への怒りをラップの曲に乗せて歌うとすれば「路地裏のボイス」「どん詰まりのカオス」とどうにもならない現実を言い表せばいい。同様に現実をなんとか変えようという強いメッセージを込めたい時は「お前も俺も裸で生まれた」「俺の時代は来ている」と言い放つ。
最初は「ガリーボーイ」(路地裏生まれ)と嘲笑していた人々も「俺たちの生きざまを言ってくれた」と熱烈支持。その強烈なラッパー役を「パドマーワト 女神の誕生」のランビール・シンが本物のミュージシャンさながらにシャウトしていく。これがノリノリで惚れ惚れするのだ。
この作品でも父子の確執は繰り返される。息子がラップに没頭していることに気づいた父親が問いただす。YouTubeで自分の曲の爆発的な拡散に酔う息子が「音楽が人を変えた。俺たちの生きざまを言ってくれる曲だって 」と誇らしげに言っても「音楽ごときで何が変わる? 現実的な夢だけを見ろ」と父の反応は冷たい。いらだつ息子は「現実的な夢だけなんて、見る気ねえよ。俺が現実を変える。夢に合わせていく。神からもらった才能を手放すつもりはない」
インド映画のすごいところは俳優や監督、脚本家らをはじめとする作り手の社会的階層が高いにもかかわらず、差別等の社会問題に敏感でそれに対する批判も作品の中に巧みに取り込んでいること。またそれがエンターテインメント作品としても成り立っている。アーミル・カーンが出演・制作等に関わった「きっと、うまくいく」や「PK」がそれにあたる。
本作でも、たとえば次のような場面が印象的だ。ミュージシャンのスカイ(カルキ・ケクラン)がムラドの才能を評価し一緒に曲作りをしようと提案してくる。彼女の家に行ってみるとスラムとは雲泥の差の豪華マンション。平静ではいられない思いを抑え込みどうにか曲作りを始めるムラドに「夢中」という言葉はヒンディー語では何と言うのかとスカイが英語で聞く。「インド人なのに知らない?」と聞き返すムラドにスカイは「ヒンディー語なら話せる、夢中は何かなって」。「ジュヌーンだ」「ジュヌーン? 気に入った」と会話は穏やかに続いていくのだが、主に英語しか話さないインド人がいることを皮肉も込めてリアルに描いていく。
ちょっと過激なのは真夜中、スカイが車を出して市内に並ぶ美肌クリームの電飾広告に「褐色の肌は美しい」とスプレーでメッセージを書きなぐる場面だ。演じているカルキ・ケクランは両親がフランス人。肌の白い彼女にやらせるところにゾーヤー・アクタル監督の確信的なこだわりを感じる。今なお残る階層社会へのささやかな反抗だろうか。
思わずうなったのは、スカイのマンションでムラドが新曲の録音中、キッチンの蛇口からポタッ、ポタッと水が垂れる音に刺激されたように曲作りに本腰を入れるシーン。気分が盛り上がって思わず唇を重ねる二人。「なぜ俺なんかに?」と聞くムラドに「どうして?」とスカイ。「住む世界が違う」には「だから? アーティストよ、生まれとか財産とか関係ある?」とスカイは答える。このわずかな描写だけで格差社会に息苦しさを感じるムラドの思いや曲作りの醍醐味を感じさせるうっとりするような映像、さらに恋人サフィナ(アーリアー・バット)を失いたくないという思いが募っているムラドの心のうちまで表現してしまう見せ方に感心する。
本作はインドでも大ヒットしたようだが、有名な俳優が勢ぞろいしているので日本でもヒットは期待できそうだ。実在のラップミュージシャンの成功物語をモデルにしたという話題性に加え、それぞれの人気俳優にいずれも過去最高の演技をさせた監督の手腕に負うところが大きい。
主演のランビール・シンは「パドマーワト 女神の誕生」ではメーワール王国妃に横恋慕しイスラム教国の妃に迎えようとしたアラーウッディーンをいかにも強欲の悪人という風に熱演していたが、今作では迷いながらもラップに目覚めていく等身大の青年をリアリティたっぷりに演じている。
彼をラップの世界に引き込み心に火を焚きつけた形の友人、MC シェール(シッダーント・チャトゥルヴェーディー)は主役に負けないほど魅力的な言動でムラドにけしかける。彼を見つけ出した監督の目の確かさをを感じる。
一方の女性陣。ムラドの恋人サフィナを演じたアーリアー・バットは「スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え! No.1!! 」の演技が印象深かったが、今作ではエキセントリックで強気ながらも、時折見せる笑顔の可愛らしさも捨てがたい。魅力度は確実にアップしている。
サフィナを嫉妬させたスカイ役のカルキ・ケクラン。「デーヴD」も「若さは向こう見ず」も良かったが、今作では殴られても振られても動じないどころか相手に理解を示す本当の意味での優しく強い女を味わい深く演じている。
そのほかムラドの父親や母親役なども見覚えのある俳優で、彼らの存在が映画の厚みをもたらしているのだろう。
いきのいいラップミュージシャンの成功物語であることは間違いないが、インドという国の魅力をたっぷりと見せてくれる作品でもある。
「ガリーボーイ」は新宿ピカデリーほかにて全国公開中
【紀平重成】