第743回「淪落の人」
昨年の大阪アジアン映画祭で観客賞を受賞した作品。その時のタイトル『みじめな人』にはちょっと驚いたが、見終わってみれば別の意味で感心させられた。
というのは、本作のようにフィリピンから外国人家政婦として出稼ぎに来ている人々にちゃんと目を向けた香港映画は珍しいからである。もともと彼女たちは香港社会をサポートする大事な“人的戦力”であり、香港はもちろん、フィリピンの映画にも当然のように映ってきた。ただしそれはあくまでも背景としてであったり、出稼ぎ労働者の辛さをアピールする内容に偏りがちだった。
たとえばビルマ・サントス主演のフィリピン映画『母と娘』(原題ANAK、2000年)が好例だ。娘が幼いころ母親が出稼ぎで海外へ行き、母の愛を知らない期間の長かった娘はやっと母親が帰国しても母親を受け入れることができないという家族の崩壊と再生を描いていた。上記の事例で言えば後者に当たるだろう。
ところが本作の場合は互いに視界には入っていても注意を払って見る対象にはならなかった香港人と雇用される出稼ぎ労働者が心の交流を深めていく極めて珍しいドラマだったのである。そういえば、農村出身のメイドがムンバイの裕福な御曹司宅で身の回りの世話をするうちに階級差を越え愛をはぐくむというインド映画『あなたの名前を呼べたなら』(2018年、ロヘナ・ゲラ監督、)と一部似ていると言えるかもしれない。
工事現場での事故で下半身麻痺となってしまったチョンウィン(アンソニー・ウォン)。妻とは離婚し、孤独な一人暮らしを慰めるのは元同僚のファイ(サム・リー)や海外の大学に通う一人息子とスカイプを通じて会話するときだけ。
そんな彼のところに若いフィリピン人女性エヴリン(クリセル・コンサンジ)が住み込みの家政婦としてやってくる。最初は広東語をまったく話せない彼女にイラつくチョンウィンだったが、片言の英語でどうにか会話を重ねていくうちにお互いに情が移っていく。やがてエヴリンが一度は写真家への道を諦めたものの、いまなお夢を持ち続けていることを知ったチョンウィンは、その夢を叶えさせてあげようと思い始める。
人生に絶望した中年男性と夢を諦め海外で家政婦として働く若い女性の心の傷を抱えた二人が出会い、相手のために手を差し伸べ合うという展開が違和感なく受け入れられる。そう思うのは脚本の良さき加え、ベテランのアンソニー・ウォンと香港生活が長く舞台経験も豊富なクリセル・コンサンジの演技力が優れているからだろう。相手の悲しみに心を寄せる表情がごく自然で互いに敬愛と信頼を深めていくのだと思わせる力がある。
新人のオリヴァー・チャン監督が作品で訴えたかったのは、人が生きがいを感じながら人生を歩むためには、ほんの少しでいいから人の役に立つことではないか、という思いだったろう。また、世話する人される人という一方通行の関係では続かないので、苦しい時は甘えて助けを受け入れていいが、時には手を差し伸べる側に回るなど「共に生きる」という共助・共生の姿勢が大事ということではないだろうか。そんな当たり前のことを改めて感じる作品である。
人によっては「悪人がいない映画なんて非現実的」と思う人もいるかもしれないが、夢を持つことの大切さがテーマの一つになっている本作なのだからだから、ここは夢を追い続ける二人を素直に応援したい。
本作は香港の第3回“劇映画初作品プロジェクト”の資金援助を得て作られた。もちろんそれだけでは予算が足りないので様々な人のサポートが差し出された。そもそもこの作品の制作自体が「助け」を必要とし、また支援の先の夢が紡がれた作品だったのである。
その一つが主演のアンソニー・ウォンによる無償出演の申し出だった。ほかにも『メイド・イン・ホンコン』のサム・リーの出演やフルーツ・チャン監督の制作面での全面サポートも大きかった。その一方で若手の制作スタッフにはきちんと報酬が支払われたという。
映画環境の激変に揺らぐ香港に生まれた「このままではいけない。新しい香港映画を作ろう」と考える若手映画人による「新潮流」が『29歳問題』や『トレイシー』『小さな園の大きな奇跡』等の作品で確かな歩みを生み始めている。その動きを見守っていきたい。
「淪落の人」は 2月1日より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
【紀平重成】