第788回「革命する大地」
「農民よ、もはや地主たちが諸君らの貧しさを食い物にすることはない」
この言葉は1968年10月3日に起きた南米ペルーの軍事クーデターの際に、革命政府側から農民に呼びかけられた声明です。主導したのは貧しい家庭の生まれで、その後革命政府の大統領にまで上り詰めたベラスコ将軍。この決起を“革命”と自ら名乗ったのはなぜなのか、この作品は映画を含む数多くの映像資料や新たなインタビューを通じ、ペルーの現代史に迫るドキュメンタリーです。
ペルーの先住民で構成される農民への搾取や暴力がいかに過酷なものだったかは前述の宣言からも伺えますが、では1821年の独立から200年を経ても大土地所有層の解体が進まなかったのはなぜか。それは既得権益を握る少数の白人たちには自ら資産を手放す意思も人権感覚すらもなかったからです。歴代の政権も土地問題は常に後回し。怒りのマグマが沸点に達しようかという状態、クーデターが起きたのはそんな時でした。
この映画は2019年にペルー国内で公開され約9万人の観客を動員。同国のドキュメ
ンタリー史上最大のヒット作となりました。一見すると観客数は少ないように思われますが、日本との人口比に照らすと実に数十万人が映画館に足を運んだことになります。その後、総選挙前にテレビでも放映することになりましたが、テレビ放送が大衆に与える大きな影響を恐れたのでしょう。スペイン植民地以来の大地主である特権階級が放送の延期を要望したとも言われています。
60年代の南米大陸は革命前夜と言われるほど各国の政治が不安定になっていました。そんな中、「分断」より「融和」あるいは「寛容」を目指すリーダーはいなかったのか。残念ながら話し合いを尽くし「つながる」という発想はまったくなかったようです。話し合いよりは軍事独裁化という逆流が強まる中、革命政府のベラスコ元大統領は改革の流れに逆らう反動的軍政とは異なる方向に舵を大きく切りました。
米国資本の石油会社接収を始め、ケチュア語(先住民族の言語の一つ)の公用語化、外交では当時の社会主義諸国と交流し非同盟運動に活発に取り組むなど社会を一変させるソフト路線の施策を次々と打ち出したのです。そのような国づくりを志すのだという思いをアピールするため、あえて勢いのある“革命”を意識的に使ったのではないでしょうか。
そのクーデターから間もない1975年。ベラスコ元大統領は同じ軍内部のクーデターで失脚し、高らかに謳った革命は道半ばで途絶えました。野党やマスメディアは弾圧するなど矛盾も多数残っており、ペルー革命から半世紀たったいま改めてその功罪を検討する議論が続けられています。【紀平重成】
(ゴンサロ・ベナべンテ・セコ監督)
4月27日(土)K’s cinemaほか全国順次公開