第411回 「ラ・ワン」参上!
インド映画ファンだけでなく、世界各国で観客の度肝を抜いた「ロボット」に続き、インド映画の今の勢いを感じさせる超大作が日本公開される。バーチャルゲームの主人公たちが現実世界に飛び出して戦うというSF作品。そんなの昔もあったよと言うなかれ。歌にダンスにとお馴染みの味つけはもちろん、教訓めいた言葉まで散りばめて、すこぶるインド映画的なのだ。
どんな題材でも熱く、ドラマチックに仕上げてしまうというのがインド映画の醍醐味だが、最近はインド風味を残しつつ、どこの国の人が見ても楽しめるという普遍性まで身につけて来たようだ。「ロボット」がそうだったし、この「ラ・ワン」(アヌバウ・シンハー監督)もしかりなのである。
前半の舞台はロンドン。五輪に沸く今の活況を見ると、もしかしたら公開時のタイミングまで考えて作ったのかと思うが、そう感じさせても不思議ではないパワーが今のインド映画にはある。
ビデオゲーム制作会社バロンはデジタル世界で作られたデータを現実の世界に物質化する技術を開発する。同じ頃、社員のシェカル(シャー・ルク・カーン)は疎遠になっている息子のプラティク(アルマーン・ヴァルマー)の気持ちを取り戻そうと究極の悪人がヒーローのゲームを開発する。ゲームおたくの息子が「善人のヒーローものなど飽き飽きした。絶対に死なない悪人を作ってよ」と言ったのに触発されたからだ。
お披露目のパーティーが開かれた日、早速プラティクがルシファーの名前でログインし、悪の権化であるラ・ワンと対戦、勝利を収める。
レベルの上がった続く試合の途中、親に呼ばれ試合を放り投げたプラティクに怒ったラ・ワンはルシファーを殺すことを誓い現実世界に現れる。
ラ・ワンは最初に出会った父親のシェカルに「ルシファーはどこだ」とたずねる。ゲームの中のラ・ワンが息子の命を狙っていると気付いた父親は「自分だ」と答えあっけなく殺されてしまう。それを知らない息子のプラティクにラ・ワンが近づく。そこに現れるもう一人の戦士は……。
それにしても映像にみなぎる迫力はただならぬものがある。コンピューターグラフィックスを多用した戦闘シーンはハリウッドで活躍するジェフ・クライザーが監修したものだし、劇中曲はレディー・ガガのプロデューサー、エイコン(AKON)が手がけ、さらにサウンドデザインには「スラムドック$ミリオネア」のラスル・プークッティーが参加した。ハリウッドの俊英たちを動員した製作費は30億円にのぼる。
好調な経済を背景に資金をつぎ込み、世界中から才能をかき集めるという手法は、いかにも今の「ボリウッド映画」の特徴だし、バーチャルゲームの世界を題材に取り込む柔軟性もインドらしい。
途中「ロボット」のラジニカーントが同作品のチッティ役で顔を出し、ダンスを披露するのもインド映画らしいサービスぶりである。楽しければ何でも取り入れるというスタイルこそインド方式なのかもしれない。
ただ同じエンターテインメント作品でも、ほかの国の作品にはあまり見られないのが、ほんの少し哲学的で教訓めいた会話をはさむところではないか。「ロボット」ではチッティが「人間は身勝手や裏切り、偽りというチップを持つ。誰でも心の中にね。人間じゃなくてよかったよ」と人間の弱さ、醜さを指摘する。
「ラ・ワン」では、やはりバーチャルゲームからやって来た戦士が「(父親の)体はなくなっても、その人の良さはなくならない」とプラティクに優しく諭すのだ。
聞きようによってはちょっと〝クサイ〟セリフでも、インド映画だと説得力が増すと思うのは、すでにインド映画にはまっているのかもしれない。
最後にこれだけは強調しておきたいのは、「キング・オブ・ボリウッド」の称号まであるシャー・ルク・カーンの魅力である。実年齢は40歳代半ばだが、作品ごとに若返って見えるのは、さすがである。しかも今作ではジャンプして100mを上下するようなアクションまで披露し、キング健在ぶりを披露している。
そうなると妻役のカリーナー・カプールにも触れないわけにはいかない。シャー・ルク・カーンとは「オーム・シャンティ・オーム 」など多くの作品で共演している仲。父親に反抗する息子を案じたり、定番の踊りで魅力をいかんなく発揮したりと、ファンの期待を裏切らない。
映画は脚本や演出も大事だが、やはり俳優の魅力に負う部分が大きい。改めてそう思った。
「ラ・ワン」は8月4日より東京都写真美術館ホールほか全国順次公開【紀平重成】
【関連リンク】
「ラ・ワン」の公式サイト
http://www.uplink.co.jp/raone/