第534回「わたしの、終わらない旅」
その旅は、東日本を襲った2011年3月の大地震から始まる。
福島第一原発の事故による深刻な放射能汚染に震えながら坂田雅子監督は、1989年に享年74歳で亡くなった母・静子さんの遺稿集「聞いてください」を久しぶりに取り出した。本は母が77年から続けていた原発を問うミニコミ紙をまとめたものだった。
母が反原発運動にのめり込むきっかけになったのは、フランスのラ・アーグにある核再処理施設に近いガンジー島で暮らす監督の姉・悠子さんから一通の手紙を受け取ったことにある。手紙には日本の原発が出す使用済み核燃料が、目と鼻の先の再処理工場に運び込まれることになり大騒ぎになっている様子を知らせ、日本の事情を尋ねる内容がつづられていた。公害など社会問題に強い関心を持つ静子さんは娘の手紙を座視することができなかった。
母は公害問題に詳しい故・宇井純沖縄大学名誉教授を訪ねて勉強し、手作りの新聞「聞いてください」をガリ版刷りで100部刷り、住んでいた長野県の須坂駅前で一人配り始めた。思い立ったら居ても立っても居られない母の性格を知ってはいたが、当時は「うるさいなあ」と思ったという坂田監督は、最期まで原発のことを気にかけていた母、そして実際に起きてしまった福島の事故を前に、「生前に聞く耳を持たなかった」と自己反省する。
「聞いてください」の第1号で母、静子さんは「これは外国の問題だけではなくて、日本でも、今すぐ、皆で考えなくてはならない」と呼びかけ、最後にこう訴える。「より快適な生活のために、もっとエネルギーを、原子力発電を、と言ってこれ以上毒物を作り続け、その後始末を子孫に押しつける事は、とんでもない犯罪ではないでしょうか」。
当時、姉の住む島にはイギリス人の夫と日本で生まれ一緒に海を渡った孫もいた。幼い者たちの健康を気遣う肉親としての思いは、やがて後に続くすべての世代の健康を心配する思いへと広がっていく。
この母の活動をもとにして福島の原発事故に至る数十年の原子力問題を描くことができないか。こう考えた監督は、核兵器と原発という表裏一体の関係にある核エネルギーの歴史をたどる旅に出る。家族から世界へ。母、静子さんと同じ道を歩き出す。
出発点はフランスのラ・アーグにある核再処理施設。その対岸の島で暮らす姉を訪ね、アメリカが核実験を繰り返したビキニ環礁のあるマーシャル諸島では美しく豊かな故郷を追われた人々の話を聞く。さらに旧ソ連の核開発拠点カザフスタンでは汚染された大地で今なお生きる人々に会う。
場所は異なっても、共通するものの多さに驚かされる。フランスのラ・アーグにある核再処理施設と英仏海峡に浮かぶガンジー島は、青森県に建設予定の大間原発とそれに反対する対岸の函館市との関係にそっくりだ。また開発に伴って地元に大量のお金が投じられるが、その影響も深刻だ。フランスの市民団体は「最大の汚染はお金。人間の心を汚染する」と放射能だけではない汚染の広がりを警告する。
白血病の増加やがん死亡率の高さも共通する課題だ。カザフスタンのセミパラチンスクでは49年からの40年間に470回の核実験が行われた。住民被曝は当時のソ連政府によって秘密にされてきたが、医師の1人は次の世代への影響を心配する。
マーシャル諸島のロンゲラップでも水爆実験で被曝し、がんや甲状腺疾患で亡くなったり病気になる人が多い。ビキニの人々の場合は健康被害だけでなく、残留放射能が高いため放浪生活が長期間にわたり伝統的な漁での暮らしが不可能になった。文化の破壊は缶詰食による肥満、互助の精神の変化など様々な方面に広がっている。
映画は広島、長崎、第五福竜丸と世界にもまれな3度もの被ばくを体験してきた日本の特異な歴史を映像で追いながら、「核の平和利用」というスローガンのもと国策として原発を推進してきた戦後の政治体制とそれを支えた人々の責任を考えさせる。「他に選択肢はなかったのか」「もっと早く気付くべきだったのでは」と。
旅を通じて見えて来るものは、当面の生活こそ大事と現世利益の獲得に邁進する人と、その一方、まだ生まれていない未来の子供たちの安全を気遣う人たちとの対比である。中には無関心な人もいるだろう。それぞれに理由があり、それを良い、悪いで一方的に断罪することは慎まねばならない。ただ一つ言えることは、現世利益だけを考える人たちがいる限り、この旅は終わらないということだ。
「わたしの、終わらない旅」は3月7日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開。また2月28日午後2時から東京・夢の島公園内の「Bumb 東京スポーツ文化館」で映画の特別先行上映と坂田雅子監督・豊崎博光さんの対談、さらに同作品公開中に加藤登紀子さん、鎌仲ひとみさんら5氏をゲストに迎えて核をめぐるトークイベントも開催される。問い合わせはシグロ(電話03-5343-3101)へ。【紀平重成】
【関連リンク】
「わたしの、終わらない旅」の公式サイト
http://www.cine.co.jp/owaranai_tabi/