第559回「草原の実験」
見渡す限りの大草原に父と2人で暮らす少女の物語。単調だが生きているという実感を感じられる日々は永遠に続くように見えたが……。衝撃のラストをはじめ全編セリフ無しというロシアの新鋭アレクサンドル・コット監督による野心作だ。
舞台は特に触れられていないが、旧ソ連時代のカザフ共和国(現カザフスタン)であろう。広大な草原に立つ豆粒のような小屋で、どこかユーモラスな父と美しく心優しい娘が暮らしている。その娘に2人の青年が恋をして、そのさや当ても始まるが、命を奪い合うような激しいものにはならない。
美しい風景に合わせたように平穏な日々が続いていくが、ある日おびただしい軍用トラックが通り過ぎたり、豪雨の晩に奇妙な道具を持った男たちが父の体や部屋の中まで調べまわるなど、理由の分からない不気味な黒い影が忍び寄る。
アレクサンドル・コット監督は、映画の結末を暗示させるようなさりげない描写を場面の随所に織り込んでいる。それはラストを見ればわかることなのだが、それまでは心に引っ掛かる程度の違和感と言ったらいいかも知れない。その一方で豊かな自然と文明とを対比させるような描写も散りばめられている。
たとえば、父親がまさに沈もうとする夕陽を大きな口を開けて食べようとしたり、少女が長く美しい髪をすくい上げ髪の間に浮かび上がる太陽のシルエットを楽しむなど、自然とともに暮らす父子のおおらかな生活が生き生きと描写される。
そんな単調だが揺るぎのない暮らしに織り込まれるのは一機のプロペラ機であったり、発電機を使ってのラジオ放送受信だ。父親は飛行機から降り立った男たちと親しげに挨拶し、操縦席に乗り込むと満足したかのように豪快な笑みを浮かべる。少女は父親が用意してくれた電気を使ってラジオから流れる音楽を楽しんだり見知らぬ世界の様子に思いをはせる。
大草原に忍び寄る科学文明は優しく楽しく、彼らの平凡な暮らしとは共存可能だ。少女に恋をするロシア人らしい金髪の青年が持ち込んだ幻燈も二人の恋を成就させる文明の利器と言っていいだろう。科学はほどほどに付き合えば、人々の暮らしを豊かにする玉手箱のような存在かもしれない。人間がコントロールできるある一線を越えた時、豊かな生活を保障してくれるはずの文明は思いもかけない結果をもたらしてしまう。監督はこう語る。「この映画で起きることは昨日、今日、そして明日、いつでも起こりうることなのです」と。
一切のセリフを排した本作品では表情が豊かなだけでなく、何を思っているのかがわかるような表情ができる特殊な才能を持つ俳優が求められたという。中でもヒロインの少女を務めるエレーナ・アンは韓国人の父とロシア人の母を持つ韓国籍の女性で、撮影当時は14歳。撮影の準備中に少女から大人の女性に替わってしまった当初の女性の代役として白羽の矢が当たったものの、プロの女優ではないため演技をしようとするとわざとらしくなり、できるだけ演じていない表情を切り取って編集したという。
結果的に彼女をキャスティングしたことが作品の魅力を増し映画の成功につながったと言えるだろう。
映画のラスト近く。枯れ木の脇で少女と金髪の青年が交わす綾取り遊びの美しさとはかなさが脳裏に焼きつくされるだろう。
「草原の実験」は9月26日より渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開【紀平重成】
【関連リンク】
「草原の実験」の公式サイト
http://sogennojikken.com/