第600回「チリの闘い」
近年では「光のノスタルジア」「真珠のボタン」の連作で知られるチリのパトリシオ・グスマン監督が、東西冷戦下の70年代前半、世界で初めて自由選挙で誕生した社会主義政権がアメリカの支援する軍事クーデターによって崩壊する一部始終をカメラに収めた記念碑的ドキュメンタリー作品だ。
アジェンデ政権がキューバとの国交を回復したり、銅鉱山などの有力企業を次々と国有化し、大地主を追い出す農地改革を推し進めると、保守層や富裕階級は多数を占める議会やスト、テロで激しく抵抗し国論は二分された。監督は「二度と撮ることのできない映画」と述懐しているが、観客にとっても「おそらく二度と見ることのできない作品」と言えるだろう。
映画はクーデターをきっかけにフランスへ亡命したグスマン監督が、奇跡的に持ち出されたフィルムを元に、1975年製作の第1部「ブルジョワジーの叛乱」、76年製作の第2部「クーデター」、78年製作の第3部「民衆の力」の3部作にまとめた。計263分、4時間半に近い超大作だ。
見どころは無数にある。たとえば冒頭とラストで2度出て来る大統領府(モネダ宮)が爆撃によって崩落していく様子や、アウグスト・ピノチェトを議長とする軍事評議会4人のメンバーがテレビに出演しクーデターには理があると軍事政権発足を高らかに宣言する場面だ。
どちらも歴史的な瞬間であり貴重な映像と言えるかもしれないが、このように偶然撮ることができた映像もさることながら、最初からきちんと計画を立てて、しかも粘り強くカメラを向け続けた末に勝ち取った核心を突く映像の数々はずしりと手ごたえがある。
保守派がトラック輸送業者に指示し長期ストでチリ全土の物流を止めようとした時、労働者は自分の工場の車を提供して日常生活に必要な食料や生活用品を運んだ。それを別の労働者や住民が地域に分配していく。あるいは工場や農場を自主管理し、闘争の方針を話し合う。まるで大小さまざまな自治政府が次々に生まれて行くかのように。
そうかと思うと、富裕層の豪華な家具や棚からこぼれ落ちそうなほどワインボトルが溢れかえるアパートメントで住人が口汚く大統領派をなじる光景も対照的で印象深い。
カメラは残酷なほどこの国の現実をあぶり出す。アジェンデ大統領を支持する労働者階級を含む貧困層は“新大陸発見”前から住んでいた先住民系やその混血による子孫も多く、一方野党とはいえ議会の多数派を占める保守派は現に豊かな生活を享受し続けるスペインをはじめとするヨーロッパ系の子孫なのだ。70年に自由選挙による奇跡の政権奪取はあったものの、基本的に保守派と貧困層による権力闘争が繰り返され、差別構造がなお張り巡らされていることが映像を通じて理解できる。
鉱山で、デモ行進が続く街角で、あるいは集会の喧騒の中で、カメラは人々の熱い声を拾っていく。73年3月の議会選挙では「だれに投票する?」との問いに「共産党の候補だ」「今までで一番いい政府だ」と将来に期待する声が多く寄せられていたが、わずか半年後の9月のクーデターが近づくころには、「何をすべきだと思いますか」という問いに、鉱山労働者は「すべてを掌握する以外に道は残っていない。政府はもう反体制派を一掃すべきだ」と武力行使による解決を示唆する声も記録されている。
勇ましい声というよりも追い詰められての発言といってもいいだろう。そしてその後の結果を知っているだけに、見る者は切ない気持ちに捕らわれるのだ。
クーデターは2001年の米同時多発テロと同じ9月11日に行われたのは何かの因縁だろうか。ちなみに私の誕生日も同じ日。テロやクーデターといった忌まわしい暴力による力の行使の記憶を払しょくできるほどの希望に満ちた記念日にしたいといつも願っている。
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「チリの闘い」の公式サイト
http://www.ivc-tokyo.co.jp/chile-tatakai/