第608回 「弁護人」
韓国のノ・ムヒョン元大統領が青年弁護士時代に手掛けた冤罪事件を通じて、人権派弁護士へと転身していく実話を基に描いた社会派ヒューマンドラマだ。
この作品、実によくできている。論争の多い政治的なテーマを内包している上、作品のモデルである元大統領本人が親族の不正事件で聴取された後自殺しているので、普通は慎重にならざるを得ない。それを長編初挑戦のヤン・ウソク監督が、自ら手がけた脚本によるシリアスな法廷ドラマとして撮り上げた。
高卒で判事になったソン・ウソク(ソン・ガンホ)は学歴優先の法曹界を生き抜くため、あっさり弁護士に転身。不動産登記の税務弁護士として多忙な毎日を送っていた。時は1980年代初頭の軍事政権下の韓国。苦学生時代に世話になったクッパ店の息子ジヌ(イム・シワン)が公安当局に逮捕されたことを知る。容疑は国家保安法違反。ジヌの母親(キム・ヨンエ)と拘置所へ面会に行ったウソクは、やせ細り、体中アザだらけの変わり果てたジヌに衝撃を受け、畑違いの公安事件の弁護を引き受ける。
政治的な事件を描き、見る人の立場によって評価も変わる作品にもかかわらず、観客動員1100万人の大ヒットにつながったのはなぜか。韓国を代表する演技派のソン・ガンホが元大統領の青年弁護士時代を陰影深く演じ、彼をサポートする事務長として名脇役のオ・ダルスもキャスティングされるなど、今や韓国のメガヒット作品に欠かせない最強コンビが出演したことや、アイドルグループ「ZE:A」のイム・シワンが、映画初出演ながら不当逮捕されたジヌ役を好演していること、さらにスリリングな法廷劇、母の愛といったエンターテインメント作品に欠かせない要素が盛り込まれていることも理由として挙げられるだろう。
しかし、それだけでは、まだ不十分だ。ちょうど映画の公開時期は2014年。その直後に起きた旅客船セウォル号沈没事故の処理を巡り政治不信の大きなうねりが起きたことを思い起こしてほしい。それは独裁だろうと、あるいは民主主義の下であろうと、体制に関係なく、「国民のための国家」「公平な国家」「主義主張は合わなくても、最低限、人権は尊重する国家」という基本を忘れた権力が必ず陥る混迷の政治だ。それに対する不満が、勧善懲悪のドラマに喝采を送るように、軍事政権下の横暴を批判する作品に共感を寄せたのではないだろうか。
今、韓国はパク・クネ大統領に関わる機密漏えい事件に揺れている。今世紀最大の26万人を超えるデモがソウルの中心部でおきたことの意味を政治家や官僚は忘れてはいけない。
80年の軍事クーデターや83年の「ラングーン事件」、87年の「大韓航空機爆破事件」を知らなくても、本作は国家というものが間違った愛国主義のもと、人命をいとも簡単に、大量に抹殺したり、あるいは事件をでっちあげて無実の民を監獄に送り込んでしまう暴力装置になりうることを、赤裸々に、そして世界のどこでも起こりうるものとして説得力十分に描いて見せた。
もう一つ目を見張ったのは、撮影方法の工夫だ。どうしても平板な映像に陥りやすい法廷劇だが、カメラを弁護人に向け、その周りをカメラの方が360度回って結果的に法廷内を全て描いてしまい、さらにもう一度、今度は不動の判事の周りを回るという変化をつけてのダイナミックな撮影法で静止状態の法廷劇を生き生きと描き切ることに成功している。
「弁護人」は11月12日より新宿シネマカリテほか全国順次公開【紀平重成】
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「弁護人」の公式ページ
http://www.bengonin.ayapro.ne.jp/