第609回 「よみがえりの樹」のチャン・ハンイ監督に聞く
今年の東京フィルメックスで来日したゲストの中で筆者がインタビューしたのは、最優秀作品賞に輝いた「よみがえりの樹」のチャン・ハンイ監督一人だけ。「実は受賞を予想していました」と胸を張りたいところだが、まったくの偶然。それどころか、発表直後の率直な感想は「意外」だった。だが、上映後のQ&Aや自分のインタビューを聞き直すと、監督のユニークな体験と強い信念に裏打ちされた「輝き」を感じることができた。
まずは物語の御紹介を。舞台は監督の故郷である中国陝西省の黄土高原地帯にある村。数年前に亡くなった女性シュウインが、反抗期を迎えた息子レイレイに憑依し、結婚記念で植樹したもののヤオトン(横穴式住居)の旧居に残されたままになっていた樹を移植してほしいと夫に頼む。
開発の一方で廃れていく村というリアルで普遍的なテーマが背景にある一方、憑依した妻(体は息子)と夫がごく普通に会話し、さらに夫の亡くなった両親は鳥や犬に転生していて、外見は息子姿の妻を彼女本人と認識しているという、現実にはありそうもない構成の幽霊譚である。
上映後のQ&Aで市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターに制作の経緯を聞かれ、チャン監督は「子どもの頃は冬になると大人が話してくれる怪談を聞いて過ごしました。その中には憑依や輪廻転生といった話もよく出てきました。それが本作の核になっています」と話した。また、その後の人生で出会った怪異文学の古典「聊斎志異」と重なる部分の多い物語世界に自分の想像力を盛り込んで撮ったという。
筆者のインタビューでも幽霊譚にこだわる理由について「映画を撮るチャンスがある時に自分の世界観をキチンと表現したかった。我々が目にしている現実というものは、真実だとは限りません。映画を撮るのであれば、多くの名監督が撮ってきた世界の秘密というもの、我々の普段目に出来ないような人間の奥深さというものを映画表現として撮ってみたいと思いました。それで自分の幼年時代のことと、学校に上がってから読んだ古典を結びつけて表現しようと思い立ったのです」と説明した。
監督を志すきっかけについては「僕は10歳まで農村で暮らし、それから近くの咸陽という都市で学校に上がりました。内向的な性格で、自分の思いを十分に表現できない孤独な少年でした。そういう時にやったのは小説を読むか、映画を見ることでした。ある時、映画は自分の表現が出来るいい芸術だと思いました。また映画というのは不思議なもので、映画館という空間にさまざまな人が集まり、一つのことに集中しているというのがとても面白いと思いました」と振り返る。
そうなると、どんな作品を見て来たのか聞きたくなる。答えはフェリーニの「カビリアの夜」、エミール・クストリッツァの「ジプシーのとき」、溝口健二の「雨月物語」など。人生を翻弄される市井の人々、あるいは霊魂もので本作との共通性を感じる。
そこで、「あなたは庶民の思いに寄り添う作家と思いました」とぶつけると、返ってきたのは「いろんな人から無視されたり、全く取り上げてもらえないような名も無い人たちのために撮りたいという思いがあります。映画の中でも樹がいろんな人たちのことを見ていて、知っている、というセリフがありましたが、これから撮る作品でも、同じように名もない人の事績を残していくような映画を撮りたいと思います。そうすることで、僕の人生も有意義なものになる」と生真面目に答えた。
その考え方には敬意を表したいが、興行的には苦労しそうな予感が。その疑問を投げかけると、「そうですね。普通の人がファンタジーやハリウッド作品を見たがるというのは理解できます。でも少数かもしれないけど、真実の世界を描こうとする監督はいます。また名も無い人の物語を撮ろうとする監督もいる。僕が処女作としてこのような作品を撮り、また見てくれる人がいる限り、僕も撮り続けたいと思います」と固い信念をのぞかせた。
では、この作品は中国で公開されたのだろうか。「系列館とか、大きな映画館では上映は無理でした。でも北京では芸術センターとか、ごく私的な上映会で上映されています。反応ですか? すごく良かったです。とくに芸術センターでは立ち見ができ、この映画は好きだ、と言ってくれる方もいました」
本作はジャ・ジャンクー監督の制作で、彼が手がける「添翼計画」プロジェクトからは、今までフィルメックスに4作品が選ばれ、受賞作としてはソン・ファン監督の「記憶が私を見る」(第13回東京フィルメックス審査員特別賞)に続く2本目の受賞。
ジャ監督に感銘を受け大事にしているものがあったら紹介してほしいと尋ねた。「彼はポストプロダクションのあたりから具体的にチームに入ってくれました。ミキシングとか、色調の調整や編集の上手い人を紹介してくれて、技術的な面でのサポートしてくれたし、経験したことを語ってくれて、非常に勉強になりました。大学の監督科で勉強していた時に彼は僕がそうなりたい偶像でした。その本人に貴重なアドバイスをもらったことは得難い経験だったし、僕の人生に大きな意義をもたらしたと思います」
庶民を描くという所はジャ・ジャンクー監督と共通している。そう尋ねると、「大きな目標というのは似通ったものがあるし、私の模範でもあると思いますが、でも表現方法は個人個人でまったく違うものなので、まったく異なる作品を撮っていきたいと思います」と表情を変えずに答えた。
中国にまた新しいタイプの才能豊かな監督が誕生した。【紀平重成】
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