第636回 「海の彼方」
また台湾に優れたドキュメンタリー作家が現れた。1930年代、日本統治時代の台湾から沖縄の石垣島に移り住んだ移民家族の物語を通じ、複雑な日台の歴史を描き出した作品だ。とはいえ堅苦しい記録映像は必要なものだけに押しとどめ、88歳の米寿を祝うおばあの100人を超える大家族や、故郷台湾への里帰りの旅も盛り込み、人間ドラマとしても楽しめる作品に仕上がった。
ホアン・インイク監督は台湾政治大学テレビ放送学科を卒業、東京造形大学大学院映画専攻修士を取得し、現在は沖縄を拠点に活動中。八重山諸島への台湾移民等をテーマにしたドキュメンタリー三部作「狂山之海」を企画し、今回はその第1弾となる。
今から90年ほど前、台湾から初めて石垣島に移住したのは60世帯の農民だった。開墾に苦労しながらパイナップルの栽培法を沖縄へもたらしたが、第2次世界大戦中に台湾へ集団疎開したことや日本の敗戦により、異国となった島には戻れなくなった。その一人である夫と結婚した玉木玉代さんは、政治的な事情を抱える夫に従い石垣島への密入国を果たし一緒に暮らし始める。海を渡るときは一人だった子供は7人に増え、今では孫やひ孫ら100人を超える大家族に囲まれる。
家族は増えたものの、一家は密入国だったことから、アメリカが72年に沖縄を日本に返還するまでは、台湾人でも日本人でもない無国籍状態に置かれた。
作品では玉代さんの孫でミュージシャンとして活躍する玉木慎吾さんがナレーションを担当しているほか、玉代さんの里帰りにも同行し、歩き疲れた祖母をおんぶしたり、彼自身初めての訪台なのに「台湾はなぜか懐かしい匂いでいっぱい。おばあちゃん家の匂いと同じ」とつぶやくなど家族らしい目線が随所に生かされている。慎吾さんの父茂治さんが撮影したホームビデオの映像も効果的に使われている。
石垣島と台湾との距離はわずか270キロ。沖縄本島までの410キロと比べても近いことはよく分かるが、それでも二つの島の間には東シナ海の荒波が横たわり、死も覚悟しつつ密入国したことが推察される。
沖縄に住む台湾出身の人たちは戦後の中国語教育を受けていないので、玉代さんら第一世代の日常会話は日本語か台湾語で交わされる。2、3世以降になると、先祖への礼拝などの行事には台湾風の作法が伝承されているが、会話はほとんど日本語だけとなる。祝賀行事用に子供たちが手分けしてちまきを大量に作るシーンが映るが、娘の一人が「同じように作ってもお母さんのような味にはならない」と話すのが印象的だ。
娘たちはこうも話す。「両親が台湾出身であることは学校などでは隠していました。いまはもうそんな必要はないでしょうけど」
自分は台湾人なのか、それとも日本人か。そんな問いかけをしたであろう世代に続く若い世代は、もう少しドライだ。孫の慎吾さんはライブ会場で「俺は台湾人と日本人のハーフだ」とマイクで絶叫し、聴衆から受けている。映画の撮影を通じて、祖母の苦しかった歩みを知り、移民の歴史を学んだ。歌を続けるのか、いつか故郷に戻るのか。それはまだ決めていないが、玉代おばあを大事にしたいという思いは膨らんでいる。
里帰りの旅で玉代さんが口ずさんだのは「台湾楽しや」だ。
米は二度なる 甘蔗(かんしょ)は伸びる
名さえ蓬莱 宝島
台湾楽しや 良い所
(「台湾楽しや」:作詞 辰巳利郎 作曲 山川康三)
台湾の日本語世代を描き続けている酒井充子監督の最新作「台湾萬歳」でもお年寄りが同じ歌を口ずさんでいた。
苦労はあっても八重山諸島の一角に根を下ろし、一族の長としてとして慕われている玉代おばあの「宝島」は石垣島だろうか。
「海の彼方」は8月12日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開【紀平重成】
【関連リンク】