第642回 「わたしたち」のユン・ガウン監督に聞く
昨年の第17回東京フィルメックスで観客賞など3賞を同時受賞したユン・ガウン監督が日本公開に合わせ再来日した。映画祭でのQ&Aや授賞式で印象的だったさわやかな笑みは健在だ。彼女の才能を認めたイ・チャンドン監督とのかかわりや、観客をうならせた子役たちの思いがけないエピソードについても監督に聞いた。
作品を簡単に紹介すると、人との付き合い方が少し慎重な小学生のソンは、夏休み前に知り合った転校生のジアと急速に親しくなる。しかし新学期を迎えて二人の関係は徐々に疎遠に。もう一度仲良くなろうとソンはジアに近づくが……。
--監督は自身の体験を映画の中で描いたと伺っています。それはつらい作業でしたか、それとも乗り越えるための貴重な機会でしたか?
「そのどちらも該当します。自ら過去を修復したいと願い、長い時間そのことを考えました。もう外に出してもいいかなと思って実際に誰かに話をしてみると内面に辛いものも感じてしまいます。でも今回はスタッフや出演した俳優さん、子役たちから力をもらいました。映画化する作業は思ったより難しい作業でしたが、結果としていろんなアングルから過去のことを考えられるようになったので、自分を振り返るいい経験にもなりました」
--映画でホウセンカで染めた爪とマニキュアを塗った爪の対比が印象的でした。ホウセンカは時間がかかるけど、マニキュアはすぐ取れる。対比させる意図はありましたか。
「私はシナリオを書くとき、何かに意味を持たせるというのが苦手です。たまたまホウセンカで爪を染めるのが子ども時代によくしていた遊びで、ソンには合っていると思いました。ソンの家は裕福ではないけど、ソンは手先が器用です。ソンには自分なりのやり方で、手先の器用さも見せつつ、友達を慰めてあげたいという思いもあるかなと考え、取り入れました。ボラたちと遊ぶときにも何か入れたいと思い、マニキュアにすればホウセンカと対比ができるかなと、その程度のことしか考えませんでした。ところが映画が完成するにつれて、それが強い印象を与えるディテールになったようです。よく言われたのは、ホウセンカで爪を染めるのは真の友情の象徴であり、マニキュアは落とせるので一時的な友情ではないか、でした。私の意図以上にみなさん、いい解釈をしてくださいました」
--子どもたちの生き生きとした演技が目を引きますが、主人公のソン役、チェ・スインさん、ジア役のソル・ヘインさんを選んだ決め手は何でしょうか。監督に今日お会いしてソン役のチェ・スインさんと雰囲気が似ているなという印象も受けたのですが。
「スインさんに申し訳ないです(笑)。ソン役のチェ・スインさんはオーディション当時も内向的で口数も少なく物静かでした。こんな子がどうして演技をと思いました。ただ彼女は何かを表現したい、演技をしたいという欲求はあり、演技学校に登録していました。印象的だったのが5、6人を集めてのグループオーディションです。他の子どもたちは私が監督と知っているので、好印象を持ってもらおうと私の前で色んなものを見せたりするんですよ。でもスインさんは、ちょっとダンスしてみる?と聞いても、いや……アイドル知らないからとか、せっかく自分の実力を見せられる場になっても、そんな感じでした。でも彼女は演技に入ると没入度が高く、状況に応じて反応し、それを演技で見せることができたのでソン役をお願いしました。次にジアですが、最初考えていたジア像は、おしゃべりで誰とでもすぐに仲良くなる社交性のある子です。でもソル・ヘインさんに会ったときとてもシックでボーイッシュな感じがしました。声もちょっとハスキーで、ソンの友達としていいかなと思いました。ボラ役のイ・ソヨンさんはマドンナ的なところがあり、もし私が同じクラスなら憧れるでしょう。そんな気にさせてくれる子と思い決めました」
--イ・チャンドン監督から「これは真実なのか」と質問されたと聞いています。質問を受けて「真実ではない」と自分で判断して撮り直した部分もありますか?
「実はイ・チャンドン監督と作業をしたのはシナリオ段階に限られています。そのときは特定のシーンを取り上げ、これは本物じゃないと言ったのではなく、全体的な流れについてでした。私は同じようなモチーフで学校の暴力という問題を考えていたんですが、初期のシナリオは今のとはまったく違いました。登場人物もキャラクター化されていて、大人の視点で書いていると思うようなものでした。それをイ・チャンドン監督は見抜き、これは本物ではないと指摘してくれたんです。それから私は6カ月以上、2週間に1回イ・チャンドン監督に会って新しいものを書かなくてはいけなくて。書いても突き返され、また書いて持っていくけれども、また戻されてというのを繰り返して。これでは到底先に進めないと思い、じゃあ監督の言う『本物』ってなんだと自分なりに考えました。それで私の話を書こうと思いました。自分の話だから当然本物です。つまらないかもしれないけど、自分の話を基にしてもう1回書き直したのを持って行きました。驚いたことにイ・チャンドン監督が、これは本物っぽいねと言ってくれました。同期の監督たちもそう言ってくれて、そのときに新しい気づきがありました。それからずっと何が本物かということをモットーにして撮影現場に入りました。撮影している間もずっと耳元でイ・チャンドン監督がそのことを囁(ささや)いているような感じがしましたね。私にとっては大きな問いかけでした」
--実際に出来上がった作品を見て、イ・チャンドン監督からどのようなコメントがありましたか。
「編集をしている段階で1、2度見て下さって、そのときにもコメントを寄せてくださったんですけれども、実際に出来上がって初めての試写会のときにわざわざ来てくださったんです。そのときは一番緊張しました。監督の目を見ることができず、視線を別のところに移しながら挨拶したんです。監督は弟子たちのことを褒めない方なんですよ。この程度ならいいよ、やってみれば、というぐらいの言葉が褒め言葉にあたるんですね。でもこの映画を見終わった後に、おつかれさま、君の映画は自分の映画だね、と言ってくれたんです。私としては本当に聞きたかった言葉だし、イ・チャンドン監督にとっては褒め言葉ではないかもしれないですが、私にとってはそう言っていただけたのが褒め言葉に思えました。そのとき送ってくれたメールを今改めて見ましたが、うまく仕上がったね、この先みんなから熱く愛される映画になりそうだ、と言ってくれたんですね。私にとってはホットな褒め言葉だと思いました。みんなが好きになるような映画、自分の映画を作ったね、と言われたのは本当に嬉しかったです」
--今回撮影をしながら子役俳優のリアクションを大事にされたということですけれども、監督の想像を超えるようなリアクションや演技があれば教えていただけますか。
「二つあります。私が書いたシーンが子どもたちにとってはあまりにも暴力的と感じられるところがありました。ソンがジアにあげたブレスレットを見て、まだそれ持ってたんだと言うところ。あそこはボラがやってきて、あ、いじめられっ子同士が遊んでると言って、ジアがそれを取り外して投げるという場面に今はなっています。私が最初に書いたシナリオは、まだ持ってるね、それがなんなのよって言ったときにボラたちが介入して来ます。ソンが私のブレスレットをジアが持ってるんだみたいなことを言う。それでジアもブレスレットを取り外して投げ、ソンが一人そこに残ってしまうというようなことを最初書いたんです。それを10回も20回も練習したのですが、ブレスレットを取り上げたり、切って投げるとか、そういった暴力的なシーンなので、子どもたちは役にのめり込んで泣き出してしまいました。演技なのに演技を通り越え悔しくなったんでしょう。それで脚本を変えました。もう一つ、驚くような反応を見せてくれたのは、ソンのお父さんがアルコール依存症だと黒板に書かれるシーンです。ソンが驚いて黒板を消しますが、あそこはワンテイクで撮っています。まさかそんなことが書かれていると思っていないところから始まり、時間が経ち黒板を見て、感情が爆発するところなので、一気に撮ったんです。大人の俳優がやっても難しいシーンですが、ソンは演技が始まったとたん、夢中になってしまったので、黒板を消した後も呼吸が荒いままで、目は揺れていました。私がカットと声をかけても、まだその状態が続いていました。エネルギーを使い果たし気絶寸前だったんです」
--撮影が全部終わった後、子どもたちにどんな風に声を掛けましたか?
「夏休みの間ずっと撮っていたので、疲れてしまったんじゃないかなと思ったのですが、撮影が終わるとなったら、終わるのが怖いと言い出すんですね。現場に行くのが大好きになっていたので、わざと撮影を延ばそうとしてNGを出したこともありました。子どもたちはみんな仲良くなっていて、スタッフとも家族のように過ごしていたので学校に行きたくない、ずっと撮影をしていたいとまで言ってくれたんです。撮影が終わった後一番心配したのは、撮影というのが非常に強烈な体験ですから、それが尾を引いて毒のように残ってしまうこともあると思ったんですね。いきなり注目を浴びる立場になってしまうわけで、映画を撮った経験が心の傷になったらどうしようと思ったので、彼女たちにかけた言葉は、演技がんばって大変な辛い思いをしたかもしれないけど、もう撮影は終わったからそれぞれ元の居場所に戻ってねと言ったんですね。みんながちゃんと小学生に戻っている間に私は監督として作品を作るからねと言いました。もう一つ、ちゃんとお父さんお母さんの言うことを聞いて、友だちと仲良く遊んでねとも言いました。子どもたちにとってはなんだか小言を言われているような気になったんじゃないかなと思います」
--今回が初長編ということですけれども、これまで影響を受けた映画があれば教えてください。
「子どもが主人公になっている映画はあらゆる作品を見たんですが、手本にしようというものはなかったです。でも演出とか表現方法で参考にし、個人的に好きなのは是枝裕和監督とダルデンヌ兄弟です。自分がどういう表現をしたらいいか、シナリオをどんな風に書き進めたらいいかという壁にぶち当たったときは、好きな監督のインタビューを読むようにしています。他にはケン・ローチ監督のインタビューを読んでいます。そういう監督たちが俳優とどんな風に意思の疎通を図っているのかということを研究したりします」
--今回の撮影は子役俳優には台本を渡さずに監督が口伝えで状況や心情を説明して撮影をしていたということですが、是枝監督もそういう方式をされる監督です。是枝監督にはどういう印象を持っているか、また刺激を受けた部分などがあれば教えて下さい。
「本当にたくさんの刺激を受けていますし、フィルモグラフィーを見るだけでも私には力になります。人物を描く方法も素晴らしいです。是枝監督の作品を見ると自分もこう撮りたいと思わせてくれます。ケン・ローチ監督からもそういう印象を受けます。人物を描くときに絶対的な価値を付与していないです。これは絶対的に正しいとか、この選択は間違っているとか決めつけた価値判断をしていないです。悪い行動もいい行動も、見ている側が納得できるような描き方をしています。現実の平凡な生活の中で起こる非常に重要な問題を扱っていると感じます。そしてテーマの選択も良いですし、映画を撮るときの人物造形だったり、人物を見つめる姿勢もいいと思います。いつも新作が出る度に、期待以上と思わせてくれます。監督の作品を見ると生きる力や勇気、慰めを頂けるような気がします。本当に感情の部分で刺激を受けています。子どもの演出に対しても有名ですし、素晴らしい方なので、海外のインタビュー記事まで全部読み漁っています。シナリオを子どもたちに渡さないという経験は今回初めてですが、是枝監督のインタビューを見て、ああ、私もこの方法を選択しようと思ってやってみて本当に良かったと思います」
--子供たちは監督のことを何と呼んでいたのでしょうか?
「プリプロダクションのリハーサルの段階までは先生と呼んでいて、撮影が始まってからは監督と呼ばれました。いまでも監督と呼ばれています。でも時々混乱するのか先生と呼ばれることもあります(笑)」
--次回作も進んでいるのでしょうか?
「今シナリオを修正中で、来年撮影し、再来年に公開できたらいいなと、それを目標にしています」
--どういうジャンルのお話ですか?
「『わたしたち』のような感じの作品になるのですが、子どもたちの日常の中での別の悩みを取り上げたような作品です」
--子供たちの中で次の出演が決まった子はいますか?
「メインの3人とも演技を続けています。ボラ役のイ・ソヨンさんは韓国МBCの時代劇に出演しています。有名な俳優さんの子ども時代を演じて好評です。ジア役のソル・ヘインさんは別のインディーズ映画や短編映画に出演しています。ソン役のチェ・スインさんは大きな芸能事務所に入り、映画を撮っているのですが、今週か来週韓国で公開される『I Can Speak』という作品で子役として出演しています。商業映画ですね」
「わたしたち」は9月23日よりYEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開【紀平重成】
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