第665回 「血観音」

「血観音」の一場面。(大阪アジアン映画祭提供)
あの「GF*BF」のヤン・ヤーチェ監督の最新作が大阪アジアン映画祭で日本初上映された。
「GF*BF」から約5年。デビュー作の「Orzボーイズ」以来、数年に1作という調子なので、もともと寡作と言っていい監督だ。今回も間が長くなってしまった理由を、大阪アジアン映画祭の本作上映後のQ&Aで次のようにおもしろおかしく紹介している。「怖いプロデューサーに何度も書き直しを求められたんです。もっと女性を描きなさいと」。

上映後のQ&Aでジョークを交え答えるヤン・ヤーチェ監督(=左、大阪アジアン映画祭提供)
怖いプロデューサーとはヤン・ヤーチェ監督の「GF*BF」やトム・リン監督の「星空」などのヒット作を次々送り出してきたリウ・ウェイランのことであろう。監督はもちろん冗談っぽく紹介したのだろうが、彼女は力のあるプロデューサーだからこそ、しかも同性であるがゆえに「酸いも甘いも知っている女」をキチンと描いて欲しいと思ったに違いない。
その辣腕プロデューサーに注文をつけられた形の本作は、タイトルにも作品作りの上での「格闘」のあとが十分にうかがえる。本来なれば慈悲の心を持つとされる観音様と血という最もそぐわない文字をくっつけた「血観音」。それを聞いただけでイメージが混乱し、逆にどのような作品なのかと興味が湧く。見終わってみれば、どろどろした人間関係の中で、たとえそれが家族同士であっても、人は仏と閻魔大王の間を行き来し、時には恐るべき決断をしてしまう生き物だということか。

ポスターの前でポーズをとるヤン・ヤーチェ監督(大阪アジアン映画祭提供)
相手の心をスッと掴む会話術で一目置かれる社交家の当主・棠(タン)夫人(カラ・ワイ)、その母親に反発して自由奔放に生きる娘(ウー・クーシー)、そして従順な少女を装うかのように何事も控え目な孫娘(ウェン・チー)。日本統治時代を思わせる豪邸で繰り広げられる、母、娘、孫娘3代の女性による水面化の確執はすさまじい。
しかも表向き古物商を営んでいる「棠家」には、もうひとつ「台湾政財界の黒幕」という別の顔があった。棠夫人の支配下で、盤石な体制が保たれていたかに見えた棠家のバランスは、友人の林県長一家惨殺事件発生をきっかけに、ガラガラと崩れ始め、政財界を揺るがす大醜聞へと発展していく。
江戸川乱歩の怪奇、性愛、推理小説を思わせる展開は、場面が変わるたびに狂言回しのように登場する台湾の人間国宝=楊秀卿の歌声もあって、緩急自在の大歴史絵巻を堪能しているかのような気持ちにされる。2017年の台湾金馬奬で最優秀作品賞と観客賞を受賞したほか、カラ・ワイが最優秀主演女優賞、ウェン・チーが最優秀助演女優賞にそれぞれ輝くなど4賞を獲得したのもうなづける。

サインに応じるヤン・ヤーチェ監督(2018年3月17日、筆者写す)
カラ・ワイが一家だけでなく台湾政財界をも操っていく老獪なフィクサーとしての演技にも痺れるが、対照的に孫娘役のウェン・チーは無表情ながらが心の奥の思いが伝わってくるような演技が印象的だ。祖母と同じ匂いを自身に感じ、それを隠そうとするから、つまりは無表情にならざるを得ないということだろうか。母を無視し、磁力の強い祖母にはガードが効き過ぎて疲れ、飛び込むことができない。だからこそ、10代の孫娘は「さびしい」と呟くしかないのだ。
親子3代にわたる女性同士のさや当ては生々しいが、にわかに起きた不動産投機ブームは政財界を巻き込む一大汚職事件に発展し、殺人事件まで勃発する。支配しようと動き、それに反発する。一家と政財界で同時に起きた権力闘争は、やがてひとつの結末にたどりつく。
血を流したままで物語は終わってしまうのか、それとも観音様の前でひれ伏す人が現れるのか。見ごたえある結末に、ネット上では「もう一度見直したい」「見逃した。日本公開待ってます」という声があふれている。
家庭であれ、政治の世界であれ、人を支配するということは醜悪であり、それを隠そうとすれば必ず発覚する。我が国しかり、そして世界でも。そんなことを考える作品。【紀平重成】
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