第676回 「人間機械」
かつては日本がそうだったように、経済発展の道をひた走るインド。本作品は西部グジャラート州にある巨大繊維工場を舞台とするドキュメンタリーだ、朝8時から夜の8時まで12時間働き続ける出稼ぎ労働者。そして彼らをモニター画面で管理する経営者と対比させながら、経済成長の影の部分である格差問題をあぶり出していく。
ラーフル・ジャイン監督の非凡なところは、撮影を始める2カ月前から工場内を歩き回り、工員たちにカメラを意識させない雰囲気を作っておいたことだ。中国のワン・ビン監督とよく似た手法を取ることにより、仕事に向き合う労働者たちの過酷な現場と、憑かれたように働く彼らのごく自然な表情をとらえることに成功している。
それにしても狭い通路をさらに狭めるように染料の入った缶が乱雑に置かれている。大小さまざまな機械を動かすため石炭が次々とかまどに放り込まれる。その排煙や水蒸気がないまぜになって巨大な工場の中はボーっとかすむ。
本来なら猥雑で汚れた工場内なのに、カメラがとらえるのは絵巻物のように美しい映像のつながりだ。そこにプリント用の機械から流れてくるチャカチャカといった金属音が通奏低音のように反復し、厳かな宗教儀式に立ち会っているような錯覚すら覚える。
ここで働く人たちは大半が州をまたいで貧しい地域から出稼ぎにきた労働者。低賃金なので12時間働いても仕送りはできないし、古里に帰っても仕事はないので、またここで働くしかない。世界のどこでも繰り返されている資本家と搾取される労働者の構図がここでもガッシリと根を張る。
そうかといって労働者が一枚岩のようにまとまっているわけでもない。染料の入った重たいドラム缶を工具を使ってクルクル回しながら前後左右に器用に移動させていた男が言う。「神から手を授かった。だから労働は義務だ。誰もが12時間働く。この缶を動かす時だって頭を使う。向こうの工場はコンピューター制御だが、ここでは力と知恵を使う」
少年も言う。「工場の門に着くと、そのまま引き返したくなる。僕の本能がこう言うんだ。帰るべきだと。それはダメだよね」「大人より子供の方が覚えがいい。若いうちから機械に慣れておけば仕事が出来る大人になれる。技術が身に着く」
彼らに共通するのは、この働き方はおかしいとか、互いに助け合って、と考えるよりは、機械にどう自分を合わせていくかに関心が向けられているようだ。
休憩時間であろうか。疲れ果てた男たちがうず高く積まれた布地をベッド代わりに爆睡している。労働から解放され、しばし自分の時間を取り戻した夢でも見ているのかもしれない。
団結を訴える人もいる。「組合を作れば会社も無視はできない。団結しなければ元の羊のままだ」。仕事の斡旋屋がこう忠告する。「組合を作ればリーダーは殺される」
監督は工場の経営者にもインタビューしている。工場内に設置された監視カメラを通じて九つの画面を同時に見ることができるソニー製の大型モニターのある清潔でゆったりした部屋。画面を見ながら、時に笑みを浮かべつつ語り出す。「たとえば収入が4倍になれば無学の連中は何をすると思う? 手にした金でタバコを買い、恐らく酒も買う。他にもくだらない物で金を使い果たす。古里に仕送りなどしない。家族のことを考えるやつはほぼいない。やつらの半数はそうさ」
仕事が終わって外に出た労働者がカメラを取り囲む。用心していた男がこう切り出した。「ここに来た訳を正直に言ってくれ。取材が終われば、いなくなるんだろ、演説して帰るだけの政治家と同じだよ。いつも同じ。おれたち労働者には無意味だ。あなたが本気で労働者の役に立ちたいと思うなら何をすべきか教えてくれ」
現状がずっと変わらない無力感。情報が一人ひとりには行き渡らず、つながることすらできないもどかしさ。遠い外国のことと傍観するだけでいいのだろうか。監督と同様、私たちも問われている。
「人間機械」は7月21日よりユーロスペースほか全国順次公開
【紀平重成】
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