第708回 「サッド・ビューティ」のボンコット・ベンジャロンクン監督に聞く
ちょっと間が空いてしまったが第14回大阪アジアン映画祭の「監督インタビュー・シリーズ」第2弾はタイ映画「『サッド・ビューティ』のボンコット・ベンジャロンクン監督に聞く」。
上映後のQ&Aに監督は胸元が大きく開いた大胆で美しいドレス姿で登場。これまでに「トム・ヤム・クン!」など20本以上の作品に出演する人気女優とは承知していたが、目の前で放つオーラは監督というより女優そのもの。会場は大喜びで、サイン会にも長い列が続いた。
本作品は幼なじみの親友を眼のがんで亡くした監督がその体験をもとに脚本を書きメガホンを取っている。その作品とは……。
タイの人気女優ヨーは対応が上手くないためマスコミに嫌われている。そんなヨーに親友のピムはいつも寄り添ってあげる。ある夜、ピムがヨーを連れて自分の実家に行くと、義父が母に暴力をふるっており、止めようとしたピムは勢い余って義父を殺してしまう。思いがけず友人のもめ事に付き合わざるを得なくなったヨーは、女優としての立場を気にしてピムに「私はあんたと違い将来がある」と愚痴る。この時、ピムは眼のがんを患っていた。
――若者のエネルギーが発散するようなダンサブルな描写があるかと思えば、途中からサスペンスやシリアスな場面もあったりといろいろな要素を併せ持つ作品でした。メリハリが効いて、すごく引き込まれました。
ボンコット・ベンジャロンクン監督 「いろいろな雰囲気を出したかったのでたくさん撮ったんですが、プロデューサーから90分以上はダメと言われました。それで好きなシーンをだいぶカットしなければならなかったんです。議論を重ね、これは捨てた方がいいとか助言をもらって再構成しこのような完成品になりました。私の望んだ映像にはなっています」
――上映後のQ&Aで監督が「ワクワクしている」とおっしゃっていましたね。それはどういう感じだったんでしょうか。「反応が良かったから」とか「作品自体が初めて日本で公開されたから」とか。
「やはり私の作品が初めて日本で上映されるということにワクワクしました。また観客の皆さんがこの映画を気に入ってくれたのかなとか、失望したんじゃないかとか、監督の立場で心配するという意味もありました」
――監督を手がけ、やりがいというか、今後も続けたいという手応えはあったんでしょうか。
「私はずっと前から映画が好きだったので、絶対映画を捨てずに仕事を続けたいと思っています。まだ脚本を書いていないので次の作品は漠然としているんですけれども、たくさんの作品を作りたいと思っています」
――大変高名な女優さんでもありますが、女優を続けるのか、監督と掛け持ちということになるのか、あるいは監督にシフトしていこうと考えているのでしょうか。
「タイではいろいろなシステムが変わってきています。映画業界も政治の影響を確実に受けていますから、なかなか映画を撮る機会がなく予算も少なくなってきました。これから何ができるかというのは、今度の総選挙(3月24日投票)が終わってからでないと分からないと思います。あと今後も女優を続けるかどうかですけれども、私は表舞台が長くて、ちょっと飽きてしまったし、実際に新しい役柄について提案されていません。どちらかと言えば裏方の方にすごく興味があるので、今後は裏方としてやっていきたいと思っています」
――でも自分の企画と脚本を自分で演じたらすごく近道ですよね。
「いまタイの政府には映画を作るなら社会のためになるような映画を作って欲しいという意向があります。ひとつの視点に絞った映画というのは好まれない。むしろもっと全体的な視点をもった映画、例えば歴史や社会、観光をプラスの面でとらえた映画を撮ってほしいと思っています」
――それも必要かもしれませんが、発想を変えたらいろんなチャンスはあると思いますが。
「政府の出資を受けてしまうと、政府の意向に沿って撮らなければならないし、一般的な出資者も最近ではどっちかと言うと、社会的な話とか、タイの精霊信仰だったり、各県の文化のような内容を撮ってほしいと思っています。つまり一人の監督に出資したいと思わないんですね。そうなるとみんな同じような映画を撮ることになってしまうので、だったらもう何も撮らないという人も多いです」
――女優から監督になったケースというのは少ないのでしょうか?
「そうです」
――まだそれに続くという気配はないですか?
「俳優から監督になったという人は他にもいるんですけれども、私が割と新しい世代で、しかも映画祭まで行けたというのは稀なんです」
――映画祭というのはこちらの映画祭ですか?
「映画祭というのは海外の映画祭に出たということです。例えばこの『サッド・ビューティ』が最初に海外で上映されたのはイタリアの映画祭なんですね。それから上海、韓国の富川、アメリカのニューヨークとシカゴで上映されたんです。どうしてそんなに海外の映画祭で上映されるのかなって思う人はいるかもしれないです」
――映画の中でヨーさんという女性がいますね。演じた女優をキャスティングした理由とその手応えはいかがでしたでしょうか?
「あの女優さんはフローレンス・ファイブレさんという人なんですけど、実は脚本を書いているときに彼女の顔がずっと浮かんでいました。まだ彼女にはやってほしいと伝えていない頃からなんです。この役はセリフが多いので、人を常に惹きつけられるような役者じゃないとダメでした。フローレンスさんは若いころ……実は私もそうでしたが、モデル時代からの長い友人で、彼女はニューヨークでモデルをしたこともありました。脚本を読んでもらったら気に入ってくれたので、とてもうれしかったです。またフローレンスさん自身もこういう役をやってみたいとずっと思っていたようですけど、今までオファーがなかったそうです。なので私と彼女それぞれの夢が叶ったんですね」
――劇中で彼女は最初の表情と後半では顔が全然違うんですね。いろんなことができる女優さんだなと思いました。
「彼女は自分がきれいに見えるかどうかということを全く気にしていないんです。しかも現場で意見を出してくれました。例えば車を運転していてブレーキを踏まなければいけないシーンで、スタンドイン(代役)でやろうとしたら、いや、自分でやりたいと言ってきたんです。彼女はマニュアル車の運転は得意じゃなかったんで、いいですよって言ったんですけど、いや、自分でやりたいと言って本当にやってくれました。実際に自分で車をバックするとワオ!と気分が高揚したような、すごくリアルな表情になったんです。彼女は顔とか声だけではなくて体を使って演技をしてくれました」
――いい俳優さんを使われましたね。
「相手のピム役の女優さんはパッカワディー・ペンスワンといって演技経験が全くなかったんですけど、私はそういう人がほしかったのです。なぜかというと芸能界のことを何も知らないという設定だったので。実際に彼女も白血病ではありませんが、血が少ない、血液が薄い病を患っているので、病むということがどういうことかということをよく理解していました。そして脚本に感動してくれて、髪を剃ることも認めてくれました。すごく一生懸命でした」
――男性の監督では出てこないものを監督は引き出したのかなと思ったのですが、その辺はいかがですか?
「やっぱり女性同士のコミュニケーションが取れていたというのはあると思います。例えばヨー役を演じたフローレンスさんにこういう感情って分かる?こういう気持ちになったことある?って聞いたときに、あると言われたことがありますし、ピム役の女優さんには、女同士でシャワーを浴びることなんてないから、分からないって言われたんですけれども、女子校に通っていた人は、いつも浴びてたから、そういうことはあるよと。一緒に脚本を読んでお互いに理解しあいながら、考えをシェアしてもらいました」
――タイ国内での反響というのはいかがだったんでしょうか。
「やはりタイ人にとっては見慣れないタイプの映画だと思います。私はこの映画をインディーズ寄りにもアート系にもしたくないし、かと言って商業的にもしたくないと思ったんです。様々な表情を持つような作品にしたかった。意味を限定したくなかったんです。人の人生が多様であるように、様々なものを取り入れたいと思いました。ただし90分以内でという制限がつきました」
――何気ない平穏なところでも一歩踏み外すと地獄が待っているというようなことが起きますね。そんなイメージを持ちました。
「急変するということですね」
――タイ映画というと、ホラーとかコメディをたくさん観てきたんですけど、初めてのジャンルだったので非常に面白かったです。
「ありがとうございます。そういう風に思っていただけたらと思っていました」
【紀平重成】