第728回「SHADOW 影武者」
「三国志」は筆者が少年時代から愛読していた一冊だが、英雄が綺羅星のごとく現れるこの大作を巨匠チャン・イーモウ監督はどう描いたのか? そんな興味と若干の不安をない交ぜにしながら見た作品は思っていた以上に面白かった。
同書は中国の後漢末期から魏、呉、蜀の三国時代を経て晋による中国再統一にいたる約100年間をまとめた一大歴史絵巻。その一コマである「荊州争奪戦」から着想を得て大胆にアレンジした本作は史実の足かせから自由に解き放たれ、チャン・イーモウ監督ならではのこだわり満載の娯楽大作に仕上がった。
世界の映画祭で数々の栄冠を手にし、2008年の北京五輪では開会式の演出まで手がけた同監督が「どうしてもこの作品を作りたかった」と挙げたのが影武者を主人公とする物語だ。
影武者には本物に成り代わり危険な役を引き受けなければならないという「決まり」があるように思う。それがバレれば命の保証はなく、たとえ報酬はあっても危険が大き過ぎる。そんな負のイメージが色濃い影武者を必要とする男として監督が選んだのは軍政長官にあたる都督だった。
時は戦国時代。沛(ペイ)国が炎国に領土を奪われて20年。炎国とは休戦同盟を結び平和が続いていたが、国王は屈辱的な思いを抱いていた。一方、軍トップの都督は領土奪還を願う男たちを束ねつつ自分の思いをかなえる機会をうかがっていた。
ある日、影武者は都督の命を受け、敵の将軍で最強の戦士・楊蒼(ヤン・ツァン)に対決を申し込む。王は臣下の勝手な行動に激怒するが、王にもある秘策が用意されていた。さらに都督から自由と引き換えに敵地で大軍と戦うよう命じられた影武者も胸に人知れぬ思いを隠していた。実に3人の男がそれぞれ危険な思惑を秘めていたのである。
ところで主人公の都督と影武者を一人二役で熱演したダン・チャオの演技は光る。影武者であることを王に気づかれないよう、都督がけがをすれば同じような傷あとをわざと付けて痛みに耐えるかと思うと、美しい都督の妻に恋焦がれていながらそれを表には出せず、じっと我慢する。
肉体的にも精神的にもハードな状況から逃れることができない男の映像は水墨画のようにグレーのモノトーンで統一されている。赤や黄色をふんだんに使い「色彩の魔術師」と呼ばれた監督の手法は見事に封印されているのだ。むしろわずかに映る赤の美しさが逆に際立ち効果を上げていると言えるだろう。「色彩の魔術師」の新たなステージと言ってもいい。
色彩の扱い方と並んでもう一つの「チャン・イーモウ印」に挙げられるのが視覚効果とCGだった。ところが今作ではこちらもほとんど使わなかった。その結果、武闘場面では肉体の軋みを視覚的にとらえることに成功した。また新しい武器を考案しスローモーション映像にも取り込んだ。その武器とは傘である。
傘を開いて心棒をクルクルと回せば円のへりは高速で回転し、当たればけがをするほど痛い。この原理を武器に使えないかと発想を飛ばし、刀の刃を扇風機の羽根のように放射状にびっしりと並べたのが外観は傘そっくりの武器なのだ。傘を横8の字状に左右に振って勢いをつけると鉄の盾も真っ二つに割ってしまう恐ろしい凶器にもなり、あるいは「柔よく剛を制す」のことわざように相手の攻撃を美しく見事にかわしていく。
この武侠アクションは、「楽しく、美しく」というチャン・イーモウ式映画愛が最高に感じられる場面となっている。終盤のどんでん返しの連続と合わせお楽しみいただけるだろう。
都督の妻役にはダン・チャオと私生活でも夫婦のスン・リーがキャスティングされている。一人二役の夫との呼吸はピタリと合い、チャン・イーモウ監督のこだわりがここでも光っている。
「SHADOW 影武者」は9月6日より TOHOシネマズ シャンテほか全国公開【紀平重成】