第735回「この星は、私の星じゃない」
古い道徳観を押し付けられている女性を解放しようと1970年代にウーマンリブ運動がさかんになった。そのカリスマとして活躍した田中美津さんの半生を記録したドキュメンタリー(吉峯美和監督)である。
リブと言えば女性による過激な運動だとして男性から反感を買ったり色眼鏡で見られ揶揄されることがあった。それは男女平等意識がまだ十分に社会に浸透していなかったせいもある。また田中さんがデモでまくために一晩で書き上げた「便所からの解放」という名のビラも社会に訴えるインパクトはあっても、逆に女性の間に対立をもたらしかねない「毒」を含んでいた。
それでも運動自体はその後の男女雇用機会均等法の制定をはじめ様々な運動に影響を与えた。セクハラや性的虐待を受けたことをカミングアウトしたり、被害者に寄り添うことを表明する最近の「Me Too 運動」の先駆けになったともいえる。
田中さんの「いのちの女たちへ とり乱しウーマン・リブ論」(パンドラ発行・現代書館発売)は平塚らいてうの「原始女性は太陽であった」などと一緒に世界の「フェミニズムの名著50選」に選ばれている。難しい理論ではなく自らの言葉で語った彼女の考えは生き辛さを感じる多くの女性に共感されていった。
「嫌な男からお尻を触られたくない自分」と、「好きな男が触りたいと思うお尻が欲しい自分」。そんな両者が心の中に同居するのを矛盾とはせず、どちらも同じくらい大事だと考える。「それが人間なんだ」という風に。
こうした自身の矛盾や不安を隠すことなく運動を続ける田中美津さんにとって「かけがえのない、大したことのない私」という考えは一つの到達点のように見える。運動するのは社会のためというよりは自分のためなんだという思いが正直に出ている。自分が元気になれば社会のためにお役に立つこともあるだろうという謙虚な考え方が「大したことのない私」に見事に集約されているように思う。
1975年にメキシコで開かれた国際婦人年世界会議に参加したことをきっかけに同国で4年半暮らし、帰国後鍼灸師になって82年治療院「れらはるせ」を開設。施術を通じて心と体の関係を見続けたことで、表情も優しくなったように見える。
その田中さんを間近に見る機会があった。96年に当時渋谷にあった毎日新聞カルチャーシティで「冷え性を治す」をテーマにした講座をお願いしたところ、定員40人の4倍を超える申し込みがあり、急遽もう一クラス増設して対応したことがあった。
教室一杯の受講生がアイドルを見るように田中美津さんの話に夢中になるひと時。テーマが自分の体にについて考えるというタイムリーな内容だったこともあるだろうが、講師が著書や講演などを通じ自分に正直であり常に一生懸命生きる姿をさらしてきた田中さんだからこそ、健康法というテクニックだけではない生き方の基本となる心構えに直接触れてみたいという受講者が多かったと思う。
映画では鍼灸師の資格をとった息子のらもんさんと進路をめぐって言い合う場面も紹介されている。それはどこの家庭でも見られる母子のいさかいであり、微笑ましくもある。そんなカットが続いた後だけに、突然田中さんの口から語り出された幼い時の性被害の話に緊張する。
「私は汚れた存在なんだ……なぜ私の頭にだけ石が落ちてきたのか……」
その言葉を何度か繰り返す様子に、いかに痛みが大きかったかを感じ重く受け止めるしかなかった。しかしこうも言える。その体験があったからこそ差別を受ける人たちの思いに寄り添い手を携えて歩んでくることができたのだと。
このところ田中さんは毎年のようにツアーを組んで沖縄を訪れる。米軍基地を普天間から辺野古へ移設するために始まった名護市の埋め立て工事に反対し地元住民と一緒に座り込む。「本土の住人の無関心を謝る代わり」というのがその理由だ。この問題をおいては死ねない。そう語る姿にも彼女の変わらぬ強さと優しさがうかがえる。
自分は何者で、どこへ行こうとしているのか。その答えは簡単には見つからない。でも「この星は、私の星じゃない」ということだけは田中さんにも分かっている。そう思わなければ生きてこれなかったのだから。
「この星は、私の星じゃない」は10月26日よりユーロスペースほかにて全国順次公開中
【紀平重成】