第739回「幸福路のチー」
少年漫画を見て育ったのにアニメーションはちょっと苦手と思ってきた筆者だが、本作にはスーッと入ることができた。そのわけは、もちろん大人になった主人公チー(リン・スー・チー)の声優がごひいきのグイ・ルンメイだからということもあるが、ソン・シンイン監督の半自伝的な物語に欠かせない少女時代を回顧するためには、郷愁を誘うファンタジックな映像が効果的で、その狙いが見事に当たっていたからだろう。
実際にソン監督は実写で撮るかどうか迷ったそうだ。アニメの経験がなかったからである。しかし成長にともなう残酷さや痛さを温かみのあるノスタルジーに変換するためにはこの手法が欠かせないと判断。資金集めから始まりアニメーションスタジオの設立を経て4年の歳月をかけて本作を完成させた。たとえ遠回りする形になっても映画作りへの執念が揺らぐことがなかったのは、自身の半生を振り返って「人には誰でも語るべき歴史がある。この私にも」という確信を得たからに違いない。
アメリカで暮らすチーに台湾の祖母が亡くなったという連絡が入り、30代半ばの彼女が久しぶりに故郷に帰るところから物語は始まる。台北郊外の幸福路にもどってみると自分の記憶とはずいぶん違っている。よく遊んだ運河は整備され、遠くには高層ビルが林立している。同級生に会っても相手は自分のことが分からないようだ。自分はそんなに変わってしまったのかと驚くチーは自らの記憶をたどり始める。
昔の思い出で印象深いのは台湾の原住民族であるアミ族の祖母との交流だ。当時の学校教育は中国の歴史を重視する内容で原住民族は野蛮人というとらえ方だった。
ソン監督もビンロウを噛み、タバコを吸う祖母への思いは軽蔑に近かったという。映画の中では「お前の血の4分の1はアミ族だ」と語る祖母を登場させる。チーが怖い夢を見て泣き出したときは頭から嫌な記憶を吸い取る真似をして「これで悪夢を見なくなる」と言ったり、「周りと違うことがお前の強みになる」と孫を信じて励ます役割を与えるなど見直した祖母へのお詫びの気持ちを忍ばせている。
チーが生まれたのは1975年4月5日。この日は国共内戦に敗れた国民党の蒋介石総統が亡くなった日だ。
小学校に入学した81年は後に総統になる陳水扁が台北市議に初当選。中学入学の87年は世界最長の戒厳令が解除された年。そして大学時代の96年には初の国民直接総統選挙により民選の総統が誕生。2000年の政権交代を経て14年には学生が立法院を占拠したひまわり学生運動が起きている。
チーが生まれ育ったこの40年余は台湾という小さな島に住む人々が、激しい流血事件に巻き込まれることなく民主化を実現させたまさに世界に誇るべき激動の時代だったことが分かる。文化的背景は異なっても世界の人々がこの作品を見て「自分たちの物語だ!」と共感するのも分かる気がする。とりわけ多感な青春時代をこの時期に送ったチーの世代にとっては懐かしさと悔恨がない交ぜになった思いの人もいることだろう。
ソン監督にとって幸運だったのは長編のもとになった短編「幸福路上」が台北電影奨を受賞した時の審査員がグイ・ルンメイだったことだ。同作品のファンになった彼女は長編の脚本を読んで涙を流し声の出演を快諾したという。そう言えば彼女が主演した「GF*BF」の中でも台湾の民主化を求める「三月学運」と呼ばれる学生運動が登場しており、彼女にとっても馴染みのある時代背景だったかもしれない。
さて、ソン監督はすでに十分過ぎる幸運を手にしていると言えそうだが、まだまだ幸運は続く。台湾の人気歌手ジョリン・ツァイがテーマソングを歌ってくれたのだ。不思議なことにツァイは映画の舞台となった幸福路近くの出身で幸福路のことを知っていた。エンドロールで流れる「幸福路上」は彼女がチーの生き方に共感してのびやかに歌う作品。幸運を次々と引き寄せる。これもソン監督の実力だろう。
「幸福路のチー」は 全国順次公開中
【紀平重成】
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