第741回「東京不穏詩」アンシュル・チョウハン監督と飯島珠奈さんに聞く
このインタビューが行われたのは年末のあわただしい12月19日。ちょうど日本在住のインド人監督アンシュル・チョウハンさんが自主制作の『KONTORA-コントラ』でエストニアの「タリン・ブラックナイト映画祭」グランプリに輝いてからそれほど日はたっていなかった。日本映画としては初の受賞。才気煥発な雰囲気を予想していたが、長身、人懐っこい笑顔が印象的だった。
「東京不穏詩」は女優志望のジュンが社会に抑圧されながらも懸命に生き抜こうとする姿を描いている。東京のクラブで働くジュンは自宅で見知らぬ男に貯めたお金を奪われ、顔を傷つけられる。それは恋人の仕向けた男だった。女優になる夢も恋人も失ったジュンは5年ぶりに実家のある長野に戻る。
──本作を思い立ったきっかけについてお聞かせください。
監督 「二つ短編映画を撮った後に長編映画を撮りたいと思いました。予算がなかったので脚本を書き始める前に自分は何を持っているかをまず考えました。主人公が故郷に帰って自分を見つけるという題材をやりたいと思い、自分の持っているものを考えながら書き始めてどんどん膨らみました。例えば長野なら田んぼが使えるし、それなら農家のキャラクターが作れるという感じに物語が広がっていきました。メインのキャラクターを作り上げ、それからほかのキャラクターを膨らませることで脚本が成り立っていきました」
── ジクソーパズルのピースをどんどん埋めていくような感じの進め方ですね。
監督 「そうですね、監督によってはいい脚本を書いて全部が整うのを待ってから進めるという方法もありますが、時間がかかりすぎてしまいます。私は待っていられないからこそ自分の持っているものでベストを尽くすというやり方しかできなかったのです」
── その場合に日本で撮るということは前提だったのでしょうか?
監督 「そうです。仕事(アニメーター)を休み国外に行くわけにもいかなかったので」
── 「脚本を作るときに架空の人物ではなく実在の人をイメージしながら作っていくと聞いていますが、実際もそうだったのでしょうか」
監督 「そうですね。ただ個別の人をモデルにということではありません。いろんな人からインスパイアされてつくったものであり、一人のモデルがいてその人を描いたということではありません。ニュースで聞いたことなども混ぜ合わせて作りました」
── そうすると主演した飯島珠奈さんのジュンという役柄はいろいろな人を寄せ集めて作り上げた人ということになりますか?
監督 「たとえば私の個人的な話になりますがいつか故郷(インド)に帰って家族の問題を解決したいという思いが常にありました。ジュンの役柄は確かに私の影響が強いです」
── 作品全体を見ると抑圧というテーマが浮かび上がるように思います。それもニュースを見たり人から聞いた中でだんだん抑圧というテーマが強くなってきたのでしょうか?
監督 「そうです。主人公が故郷に帰るということは自分の人生からインスピレーションを得ました。私自身も抑圧されてきたという思いを持っていて、私の人生で簡単に消化されるものではない。それなら映画を作り映画の中で消化させようと思いました。その当時私は大変な時でした。うつだったり辛い時期でした。それを映画に落とし込んだのです」
── 映画を作り始める直前だったのでしょうか。
監督 「いや10代からそういう気持ちが蓄積されていったのです。もちろん映画を一つ作るぐらいでは消化できません。これから五つ六つの映画を作らないと消化されません」
── どんどん作ってほしいです。(笑)
監督 「今後コメディーのような作品が作られたときに私は鬱屈した気持ちが無くなったんだなと思うことでしょう」
── ところで、監督が日本で国際的なスタッフと共に映画を作るということは映画史的に見るとどういう意味を持つのでしょうか?
監督 「この映画は評価の分かれる作品です。もちろん海外の監督で日本で撮ったという人は初めてではありません。彼らは大きな予算を手にして作ったと思います。私の場合は国際的と言っても3人です。私以外ではサウンドのロブ(ニュージーランド出身)、撮影監督のマックス(エストニア出身)。人によっては「これは日本映画じゃない」という人もいれば「どうでもいい」という人もいたり。好きな映画は誰が作ったかなどとは全く関係なく引き込まれてしまう。質問されたようにこの作品が映画史的にどのような影響をもたらすかというのは全くわからないです。映画祭で賞をとることだけが重要なことではない。なぜなら映画は普通の人が見て、そこで何を得られるか、どんな影響を受けるのかによるからです。例えば京都の田舎に行って上映し農家の人が見て「なんだこれは」と言えば、いくら映画祭で賞を取っても全く意味はないことになります。学んだことは、評価にとらわれないこと、いろいろな評価がありますが自分が信じるものを作り続けることです」
── 日本で外国の人が映画を撮ることも珍しいのですが、20歳になるまで映画を見ることがなかったというのは珍しいのではないでしょうか。
監督 「そうですね。私は映画をとても見たかったんです。見ようと努力したのですが軍士官学校にいたので見れませんでした。9年間、私は家にいるか、軍士官学校で学んでいてニュースしか見ることができませんでした。夏季休暇で一カ月間実家に帰っても家には扉付きのテレビがあり、同じ軍士官学校出身の父親も扉を開けてホッケーなどのスポーツ番組は見ていました。彼が家を出る際は扉を閉めカギをかけました。15歳ぐらいのとき父親がいなくて母に弟と一緒に映画を見たいと言ったら母はしょうがないねといいテレビをつけてくれた。その時映っていたのがインド映画でした。悪役が田舎の女性を連れ出し洋服を切り刻むシーンでした。たまたま。それを見た母親がそんなものを見たいのかと言って私を叩きました。母は洗濯物を取り込み中で、そのハンガーで私を叩きました。こういう人生なので一本の映画を最初から最後まで見るということができなかったんです」
── そういう鬱積したものが映画作りに反映されていますか?
監督 「はい。両親を愛していますが、抑圧されてきたという思いもあって、見せてくれないんだったら作ってしまえという思いもあります」
── 映画のシーンに戻りますが、映画の中でも抑圧感が強くて暗いです。中盤の方で川で裸になって遊んでましたね。重く垂れこめていた空気が一気に放出された、そういう解放感を感じました。その辺は意図的に作られたのでしょうか。
監督 「あのシーンはもともと脚本にはなかったんです。たまたま川が美しくていい天気だったんです。もしも川でシーンを撮ったら何かしらの変化が生まれるのではと思ったんですね。映画自体は暗くなってどんどん落ちていく、これから先またどんどん落ちていくよりはいったん上がって、その後どうなるのかを見てもらったほうがいいのではと思ったんです。あのシーンはいいタイミングだと思いました」
── 見ている方も救われたなと感じたんです。
監督 「もしもあのシーンがなかったら、この作品がもっと暗いものになったと思います。同時にあの川のシーンとリンクして元恋人のタカが東京からやってくるシーンもミックスされているのであのシーンを見ると確かに救われるんだけどタカのシーンも入ってくるので、この先で何か悪いことが起きるんじゃないかと予感をさせる」
── タイトルもそうなんですね。「不穏」と。不穏を感じさせることがどんどん迫ってくる感じです。それがすごいです。あの邦題はどうお感じですか?
監督 「あれはプロデューサーが英語タイトルから意味を汲み取って翻訳をした時に、しっくり来なかったので、彼女のお母さんに相談したんです。その時もらったアドバイスががきっかけで、このタイトルが完成しました。なので彼女なしには出来なかったタイトルだと思います。タカがジュンを捜しに来ますね。途中で女性と話をします。その役の彼女がアドバイスをくれたんです」
── 素晴らしいタイトルですね。
監督 「でも彼女はまだ作品を見ていないんです」
── あ、そうですか。主演の飯島さんにもお聞きしたいです。映画評論家の暉峻創三さんが「それぞれの局面で見せる顔と演技の引き出しの豊かさに驚愕する」と激賞しているわけですね。「当たっている」「褒めすぎ」「ちょっと違う」どれでしょうか。(笑)
飯島珠奈 「ほめ過ぎですね、まあそれぞれいろんな役者がいて、今から言うような役者は私のゴールではあるんですが、その役者というのが多分自分で役の全てを作り上げていけて、その上で監督の演出があわさり更に高みへといくような、そういう人もいて。私はまだそこまで行けずに、思ってはいるんだけど何かしらの監督のサポートが必要な役者だと思います。まだまだ。そう言っていただけるのはうれしいんですが監督の力が大きいので一緒に作ったという感じですね。なのでほめ過ぎです。(笑)」
── 監督のパッションと、受け入れ態勢ができているのが良かったと……。
飯島 「受け入れ体制は確かにできていましたけど、彼がガイドをしてくれて。わたし切り替えがうまくないのですぐ自分に戻るということができずに。そういうときにほかのキャストの方やクルーの人たちが温かく見守ってくださったのは大きいです」
── それと少し関連しますが、初めて出演の話があったときに、また三択ですみません。(笑)「これはやれる」「やりたい」「当たって砕けろと」
飯島 「ああ、どれも似てますね」
── そういえば似てますね。感想としては……。
飯島 「やりたかったんです。やりたいし、やらなければいけないという。私の中にもジュンのような思いがあって。鬱屈とした思いを発散できる場所もない。できるはずだという思い。でもどうすればいいかわからない。お話をいただいたときは、これをすれば思いが消化できると思いました。すごくやりたいというのとやらねばいけないと思いました」
── 監督との仕事で自分は大きく成長できたという部分があったらお聞きしたいです。
飯島 「そうですね、成長できているんだろうか。人として映画への姿勢が変わりましたね。演技への姿勢、心構えとか格段に良くなりましたし、あと覚悟もつきましたね。自分の全てを投げうつという覚悟はアンシュルとの作品で強くなりましたね」
── 監督との作品だけでなく飯島さんの次回作も楽しみになって来ましたね。
飯島 「是非見てください」
── 具体的なお話はあるのでしょうか?
飯島 「オーディションが結構たまっているのでそれを経てのことになります。でも何かしらお見せできるものを作ります」
── 楽しみにしています。また監督にお聞きします。インド映画は日本でも上映や公開が増えています、ご自身から見るとどうご覧になっていますか。
監督 「インド映画は2種類の作品が作られています。いつも並行線をたどっています。一つは有名なボリウッド作品。ダンスをしたり歌とかそういったもの。もう一つはいわゆる芸術性の高いものですね。ボリウッド作品は私は見ません。アート系の方は見ます。それらの作品は世界中で著名な映画祭でいろんな賞を取っています。それもあってか、今までは有名な役者がボリウッド作品に出ていたのですが最近、芸術性の高い作品に役者が興味を示してきています。今まではハリウッドでもボリウッドでも役者の名前で見に行く。で監督の名前は知らない。しかし芸術性の高い作品は監督の名前で判断するようになってきました。この10年で少しずつ変わってきました。とてもいい映画が多いです」
── 具体的な作品を挙げてください。
監督 「海外でも有名な作品を挙げます。『The Lunchbox (めぐり逢わせのお弁当)』『Monsoon Wedding (モンスーン・ウェディング)』『Bandit Queen(女盗賊プーラン)』」
── いずれも日本公開されています。チョウハン監督の選んだ映画祭というのをやっていただきたいですね。「チョウハン・フィルム・フェスティバル」とかね。
監督 「いい作品は前から作られていますが配給されないから今まで気づかれなかったんです」
── 映画に対する愛情がひしひしと伝わってきますね。今日はありがとうございました。
★アンシュル・チョウハン監督の好きなインド映画7本
1 – Titli / Kanu Behl / 2014 (過去10年で1番好きなインド映画)
2 – Ankhon Dekhi / Rajat Kapoor / 2013
3 – Masaan / Neeraj Ghaywan / 2015
4 – Gangs Of Wasseypur Part 1 and 2 / Anurag Kashyap / 2012 (1番好きなインドの監督) 2つのパートに分かれています。
5 – The Lunchbox / Ritesh Batra/ 2013
6 – Monsoon Wedding / Mira Nair / 2001
7 – Bandit Queen / Sekhar Kapoor / 1994 (インド映画で2番目に好きな映画)
「東京不穏詩」は 18日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
【紀平重成】
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「私のアジア映画ベストワン」は次回(17日ごろ)掲載します。
こだわりのコメントや、すぐにでも映画館に駆け付けたくなるようなワクワクする感想を多数お寄せいただきありがとうございました。どの作品がベストワンの中の1位になるかどうぞご期待ください。