第752回 韓国映画「波高」のパク・ジョンボム監督に聞く
新型コロナウイルス感染予防のため映画館が続々と臨時休業に入っている。そのため本欄では新作紹介をお休みし、昨年11月末の東京フィルメックスで上映された韓国映画『波高』のパク・ジョンボム監督インタビューをご紹介したい。取材は映画祭開催中の11月29日に行われたが新作紹介を優先したため記事アップのタイミングを失したことをお詫びしたい。
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──監督の作品は必ずご自身が出演されていますが、そのことにこだわる理由を聞かせてください。
パク・ジョンボム監督 「もちろん私自身が映画に出演したくて映画を撮っているわけではありません。その一方で映画の中に自分でできる役柄があれば、それを演じてみたいという気持ちもあります。たとえば自然とストーリーが浮かんでくるような時、この演技なら自分で表現できるのではないかという役柄が自分の中に浮かんでくることがあります。そういう時には俳優と一緒に息を合わせながらやっていきたいと思います。映画に出演するということは私の中では一つの仕事として映画のすべてにつながっていることであり、切り離して考えたことはありません。ただ最近は私の出演していない映画もあります。また物理的にきつい役でも出演することもあれば、これは直接自分で表現できるんじゃないかとシナリオを描きながら感じている役については自分で演じるようにしています」
──そうすると演じていながらここは変えたほうがいいなと思って撮りなおすということもあるのでしょうか? 自分の演技がきっかけになって。
「多いですね(笑)。そうすると周囲の俳優さんたちも気分が良くなるようです。僕がNGを出すことによって」
本作は「ムサン日記 白い犬」のパク・ジョンボム監督第3作。過疎化が進む小島に赴任した女性警官ヨンスとその娘サンイの目を通して閉鎖的な村社会に生きる人々の間にうずまく欲望を鋭くえぐり出した作品。ロカルノ映画祭で審査員特別賞を受賞した。またパク監督はイ・チャンドン監督作品『オアシス』『シークレット・サンシャイン』『ポエトリー アグネスの詩』に助監督として参加している。
──監督の作品を拝見すると最後でバランスを取っているなと感じることがあります。ものすごく胸を締め付けられていることから解放されたりとか意図的に狙っているのでしょうか?
「私の映画で描かれている世界観と言うのは最初の『ムサン日記 白い犬』(2011年、東京フィルメックスで上映)ではスンチョルという主人公が悲劇的な最後を迎える。まるで資本主義によって殺害されたかのようにですね。その映画を撮った後、ずっとその世界を考えていく中で2作目の『生きる』(2014年、東京フィルメックスで上映)を撮ってから考えが変わってきたところがあります。映画を撮るということは普通の世界を撮ることだと思います。それはバランスがとれた世界で、極端な世界ではない。この世界というのはある種の均衡が働いていて誰かが誰かをケアしたり、一方では誰かを憎んだり嫉妬したり、またはいがみ合ったりという人々もいます。これはある意味すべてがゼロとなるようにバランスをとっている感じもしますが、世の中には悪もあれば善もある。そのバランスの中でこの文明社会を人は生きていると思います。なのでその調和、均衡が最も大事なことだと思います。その過程、プロセスが愛によるものだと私は考えています。それがこれから、いや生涯映画を撮り続けていく中でのテーマになるんじゃないかと考えています」
──この作品を作るきっかけになったのはある事件があって、それは性的な事件だったと話されていたと思いますが、そうするといま世界で話題になっている“Me Too問題”も意識的に作品に取り込んだということでしょうか。
「Me Tooというのは、これまで声を上げることができなかった、抑圧された自由の中から生まれたものだと思います。暴力に対して抵抗することができない世の中に対する反省と言うのがあると思いますが、この映画にはイェウンというキャラクターの人がいます。彼女は出稼ぎに来た若者たちと性的な関係を持ち、金銭を得ている。もちろん彼女の犯した過ちと言うのもありますが、それ以外にも様々なものの犠牲になっていくというプロセスがあります。それはまさにMe Tooに通じるものであり、この世界で数多くの人が経験している物語でもあり、さまざまな共通点があると思います」
──作品の解釈はそれぞれですが、銃の暴発があって娘のサンイが倒れ、気を失ったあと元気になりましたね。撃たれて意識を失っているような描写が続きますが、あれは夢の中の話と言う理解でよろしいのでしょうか?
「この映画は母親ヨンスの夢から始まります。母親がこの世界に感じている憂鬱や恐怖が表現されていた夢だと思いますが、一方で娘のサンイが見ていた夢と言うのは一時のどこでも起こりうるハプニングのようなものではないかと私自身も考えていました。目覚めたときに突拍子もないことを言いますよね。イェウンを助けるためには泳ぎ方を教えてあげればいいんだと目を開けた時に話します。私はそれがまさに正解だと思います。イェウンが生きていくためには(客が)お金を渡すのではなく自分の足でこの世界を生きていけるように、そしてより大きな世界で自立していけるように自分自身で生存できる方法を教えていくことが大事だと思います。なので映画の中で描かれていること全体があるひと時の夢、ハプニングだったかもしれません。イェウンは19歳ですが、19歳の時に経験したある騒動、数日間におきたある騒動だったということで今後彼女が生きていく。これが彼女のすべてを覆い尽くすとなるととても大変なことだとは思うのですが、そのように夢のようなハプニングだったと思えば彼女はこれから泳ぐ方法も学んで20~30年後になったら、19歳の時にこんなことがあったなととらえることができるかなと考えました」
──とても面白い解説でした。監督は常に弱者の目線を大切にしているなと思います。それは意識的に心掛けているのでしょうか?
「これまで描いてきたのは労働者とか、貧しい人々だったり、あるいは精神的に弱い人々でした。そういう人々に私自身の関心があったからです。彼らが貧しいから不幸なのか、または精神的に弱いからといって不幸なのか、ということを繰り返し自問していく中で最近思うのは、自分たちが生きているこの世界が彼らを受け止めることができないからではないのか、それは愛することを学べなかった世界でもあるというふうに考えるようになりました。それは私自身の映画作りのテーマにもつながっていると思うので、だからこそこれまでも映画の中に繰り返し登場していると思います。ただこれから先というのは、これまでがそういう人たちが置かれている環境に目を向けていたとすれば、今後はその人たちが置かれている時期、タイミングがすごく重要だなと思うようになってきています。例えば貧しい人でなくても、裕福な人であっても精神的につらい時期というのはあります。何かの危機に遭遇した時、その瞬間にどんな選択をするかによって悪い道を歩むこともあるでしょうし、正しい道を選択することもあります。なのでその危機の瞬間というのをこれからは題材として映画の中に描いていくのではないかと思います。今準備している作品も危機が訪れた瞬間にどんな選択をするのか、こういったものを描こうとしています」
また東京フィルメックスでパク・ジョンボム監督の新作にお目にかかれるよう期待したい。【紀平重成】