第753回「パブリック 図書館の奇跡」
図書館を舞台にした映画といえば、すぐ思い浮かぶのが『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』だ。知の殿堂とうたわれる同図書館の舞台裏をじっくりと映し出す一方で現代の図書館が果たす公共の役割や民主主義との関わりについても考えさせる傑作だった。
同作品がドキュメンタリーの手法で図書館の魅力に迫ったのに対し、今回ご紹介する作品はまったくのフィクション。とはいってもロサンゼルス・タイムズに掲載された元公共図書館副理事によるエッセイを読んで着想を得たエミリオ・エステベス監督が構想11年を経て笑いあり、涙あり、さらにはサプライズもありの感動的な物語を紡ぎ出すことに成功している。
オハイオ州シンシナティの公共図書館員スチュアート(エミリオ・エステベス監督が主演、製作、脚本を兼ねる)は常連利用者のホームレスから「今夜は帰らない。ここを占拠する」と告げられる。大寒波のため路上で凍死者が続出しているのに行き場がないというのがその理由だ。70 人に及ぶホームレスの事情を察したスチュアートは彼らと行動を共にし3階出入り口を封鎖する。
当初は満室のシェルターに代わる避難場所を求めてのやむを得ない選択に過ぎなかったのに、市長選出馬を目論む検察官の高飛車な態度やフェイクニュースも厭わないテレビ局の過激報道によってスチュアートは自分の犯罪歴まで公開されてしまう。しかもちょっと“あぶない人”として。追いつめられた彼とホームレスたちの取った奇跡の一手とは……。
この作品の最大の見どころは次のような発言を図書館のアンダーソン館長にさせているところだろう。当初はスチュアートの行動に懐疑的だった館長が「図書館はこの国の民主主義の最後の砦だ。戦場にさせてたまるか」と訴え、警官隊突入もやむなしという検察官ら強硬派へ反旗を翻すように封鎖の中に入って行き、占拠のグループと隊列を共にするのだ。
この館長の発言は台風の際に避難場所のスタッフがホームレスの被災者受け入れを拒否したことを批判され区長が謝罪したという日本の事例を思い起こさせる。世界の各地で貧富の格差や政治的分断が進む中で、映画を見る人々の胸中に「あなたに弱者を救済する道徳心はありますか?」という問いかけをしているのである。
現場を預かる図書館員にとっても判断に悩む難しい問題を今の図書館ははらんでいる。たとえば匂いは人によって感覚が異なるのに、その感覚で判断せざるを得ないケースが出てきそうだ。映画の中でも過去に匂いを理由に入館を断られた利用者から図書館長とスチュアートが損害賠償で訴えられる話が紹介されている。
「匂いと差別」は敏感なテーマで、アカデミー賞を受賞したポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』でも描かれていたことを思い出す。豪邸で働き出した半地下の住人たちが実は同じ家に暮らす一家だとは知るはずもない長男が、住人4人から同じ匂いを感じたことを話題にして一家をドキリとさせる場面だ。
筆者が本作品を気に入っている理由の一つは、図書館員ならだれでも経験するようなエピソードがさり気なく紹介されていること。スチュアートが隣人の女性といい仲になって電話でデートの相談をする際に彼女が「図書の分類で悩んでいるの?」と親しみを込めてジョークを飛ばす場面には思わず笑ってしまう。監督はもしかしたら図書館員はヒマで本の分類しかしていないと勝手に思い込んでいる人が多いことを逆に揶揄しているのかもしれない。
本作はスリリングな展開があるかと思えば情感あふれる会話も織り込まれるというバランスの良さが光るエンターテインメント作品。しかもいま声を上げることの大切さをホームレスの人々に託した展開は豊かな社会を目指していくためのヒントとなるだろう。ラストの奇想天外な解決策と合わせ心地よい余韻に浸らせてくれるはずだ。
エミリオ・エステベス監督は青春映画のスターだった1985年に『ブレックファスト・クラブ』に出演。同作品の中でも「自分とは何か?」の題でエッセイを書くため仲間4人と図書室に缶詰めになった役を演じている。この時の本に囲まれた図書室の体験がよほど気に入ったのだろうか。「自分とは何か? 今自分は何をしなければいけないのか」。ホームレスの人たちを守るためスチュアートが奮戦する姿から30年以上前にドラマの中で突き付けられた問いへの答えをようやく彼が見つけたのだと思った。
『パブリック 図書館の奇跡』は 7月17日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかにて全国順次公開【紀平重成】