第762回「ハッピー・オールド・イヤー」
1年の締めくくりにと考えたご紹介作品は、今春、大阪アジアン映画祭でグランプリ(最優秀作品賞)に輝いた本作。選んだ理由はもちろん作品内容の素晴らしさにあるが、断捨離という師走の恒例行事に相応しいテーマを扱っていることもある。もちろん、断捨離自体はいつやってもおかしくはない。それでも「迷わない」「思い出に浸らない」「感情に溺れない」と映画の中でも唱えられる断捨離の心構えに、年越しと同じような潔さを感じるからだ。
この作品はタイの若者の繊細な心の揺れをすくい取ることで定評のあるナワポン・タムロンラタナリット監督が『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』でカンニングに挑むクールなヒロインを演じたチュティモン・ジョンジャルーンスックジンとタッグを組んだ話題作。
デザイナーのジーンは留学先のスウェーデンでミニマルなライフスタイルを学んで帰国する。かつて父が営んでいた音楽教室の入る小さなビルで、家を出てしまった父の思い出に浸る母や自作の服をネット販売する兄との3人暮らし。ある日、ビルを改装しデザイン事務所にすることを思いつき、様々な物に溢れる家の断捨離を開始する。洋服やレコードから果ては写真など友人から借りたままの物を返していくうちは良かったが、元カレから借りたカメラも小包で送ると、受取拒否で返ってきてしまう。部屋は着実に整理されていくものの、手にする物から様々な思い出が溢れ出し、ジーンの心は揺れ動く。
この作品が成功しているのは『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』でカンニングする女子高生を生き生きと演じてクールなイメージが強烈に焼き付いているチュティモン・ジョンジャルーンスックジンを、監督が今作のヒロインに抜擢したからである。このイメージが父の思い出に浸る母のよりどころだったピアノを売り飛ばし、友人からのプレゼントさえも捨てるクールで思い切りのよい主人公のイメージと重なり、映画の進行に勢いをつけている。
だが何事もやり過ぎると本来はプラスだったことがマイナスに。家族や友人の心を傷つけてしまうことにもなる。ましてや物には思い出が詰まっていて、人の感情はおろそかには扱えないことを思い知らされるのである。
強気一辺倒だったジーンが判断を迷い、断捨離したものを取り返そうと「待って、おじさん」と追いかけるコミカルな場面もある。攻めの気持ちが一瞬にして消え去り、隠れていた弱気な面がにじみ出す瞬間だ。その姿はなんだか滑稽で演じるチュティモン・ジョンジャルーンスックジンのコメディエンヌとしての素質が出てきたように感じた。彼女の新境地かもしれない。
断捨離の必要性やその限界をも考えさせる作品だが、冒頭の断捨離についての3つの心構え「迷わない」「思い出に浸らない」「感情に溺れない」を筆者はすべて実行できそうもなく、ものにあふれる生活は年越ししそうな年末だ。
『ハッピー・オールド・イヤー』は シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開中【紀平重成】
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