第771回「我が心の香港~映画監督アン・ホイ」
いま香港の映画界で最も発言を注目されているのはアン・ホイ監督ではないか。なぜなら40年以上に渡って今も映画を撮り続ける数少ない巨匠の一人だからである。作品が社会的なテーマを扱う地味なアート作品だったとしても商業映画の要素があり、逆に商業映画として公開されても背景にしっかりと現代社会の課題が描かれている。その監督が香港映画の危機と言われる最中に撮影された本ドキュメンタリー(2020年・マン・リムチョン監督)の中で今なお映画作りへの熱い思いを語っているのだ。また本作ではツイ・ハークやフルーツ・チャン、ティエン・チュアンチュアン、ホウ・シャオシェン、アンディ・ラウ、ジャ・ジャンクー、シルヴィア・チャンら香港、中国、台湾のいわゆる中国語圏映画の著名監督らがアン・ホイ監督との交友や人物像について自由に証言しており、その映像自体が香港映画史を飾る貴重なワンピースになっているとも言えよう。
まずは「自分は中国人」と言い切る彼女の文化的アイデンティティから説き明かそう。1947年に中国の遼寧省鞍山に中国人の父、日本人の母の間に生まれた彼女はその後祖父母の住むマカオに移り住み幼少年期を過ごす。そして52年、5歳の時に家族で香港に移住した。ロンドンの映画学校で学んだ2年を除いても70年近く香港に住み続けているので香港人としての自覚の方が強いかと思ったのだが、彼女の場合は違った。
本作の中でこんなエピソードが紹介される。歴史の授業でかつてある王朝が周囲の種族と戦った事例を教師が紹介するとアン・ホイが手を挙げ「先生、その種族って私たちのことですか」と聞いたという。また漢詩の授業では「昔の人は漢詩を北京語の発音で読んだのですか、それとも広東語?」などと聞いてこの時も先生を困らせた。盲点を突いた鋭い問いかけだが、この事例にはアン・ホイ監督の悪戯っぽさと同時に漢民族とは限らない、たとえば少数民族と呼ばれる「異なる人々」への温かい眼差しを感じないだろうか。監督が香港ニューウェイブの旗手として注目を集めた『望郷/ボート・ピープル』(82年)はベトナム難民の姿を描いたサスペンスフルな社会派ドラマだが、大陸から逃れてきた自身の体験を重ねているように見える。生まれは中国でも、いまは香港での暮らしが長くなった。実際に監督は小さいころよく遊んだインド系の友達の写真を見せながらこう話す。「みんな難民同士だったから、つながりはいまも続いている」と。
1995年発表の『女人、四十。』は興行的には低迷期が続いた後の久しぶりのヒット作と言われる。小さな貿易会社の部長メイ(ジョセフィーヌ・シャオ)は突然転がり込んできた認知症の義父リン(ロイ・チャオ)の介護と自分の仕事を両立させるため奔走する。散々振り回され精神的にも追い詰められながら、なおも義父を一緒に生きていくべき仲間と認め覚悟をする場面は感動的だ。うがった見方をすれば、スポンサー探しで苦労したアン・ホイ監督が「闘わないと生き残れない」という確信を持ちつつも、同時に「共に歩んでいく」決意をした経験が重なっているようにも感じられる。
後半のインタビューではアン・ホイ監督が体力や気力の衰えを感じていることや、合作と中国市場に頼っている香港映画の現状を心配していることも紹介されている。そんなアン監督にホウ・シャオシェン監督は「アンと僕は同じ年。まだアクションを撮るか。
ただ同じテーマでも年齢で見方が変わる。身の回りの世界を見つめ直し、映画の形で伝えることができる。今の世界に対する自分の考え方をね」と励ます。
これに対しアン・ホイ監督は「(私は)部外者みたいにクールにはなれません。ここ(香港)に残ります。今は香港のために何か貢献したいんです。私にできるのは映画を撮ること。香港人についての映画を撮りたい。香港の変化をたくさん撮ることで前向きの効果を生み、社会に貢献したいのです」とインタビュアーに答え「私は映画の撮り方を知っているし、映画の影響力は大きいから」と結んでいる。
『我が心の香港~映画監督アン・ホイ』は11月6日より新宿 K’s cinema ほか全国順次公開【紀平重成】